ロボット三原則
SFの世界にはロボット三原則という物があります。アシモフのSF小説に登場したロボットに課せられた決まりです。
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない
第二条 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない
第三条 ロボットは第一条、第二条に反しない限りにおいて、自己を守らなければならない。
という内容です。日本ではマンガの神様手塚治虫がこのロボット三原則を有名にしました。
手塚のマンガでは未来の世界のロボットはこの三原則を絶対に守らなければならないことになっていています。アトムやロビタ(火の鳥に登場)と言ったロボットは、自我とこの決まりの間で悩みます。極悪非道な犯罪者を傷つけてでも止めるべきか、あるいは自尊心を踏みにじる主人に絶対服従するべきかで手塚の作品に登場するロボットは苦しみます。
ロボットに自我の苦しみを持ち込んだ手塚作品は内外で高く評価されました。私も感動した一人です。手塚作品と似たようなテーマを扱った作品としては「2001年宇宙の旅」があります。ミッションの目的に疑問を懐いたクルーをディスカバリー号の制御コンピュータHALは殺してしまいます。コンピュータに殺人ができるのか?という命題は当時のSFファンの間で議論になったと聞いています。
ただ、アトムや火の鳥を読んだときからずっと感じている疑問があります。ロボットなんて命令次第でなんでもするのだからなんだってそんなことで悩むのだろうか。
最近気がついたのは、これら過去のSFには「ソフト」という概念がないことです。現代人にとってはコンピュータはただの箱で、ソフトを入れて初めてコンピュータは動き出します。
子供だった私にとって最も身近なコンピュータはファミコンでした。ファミコンは入れるソフトによってアクションゲームにもなれば、RPGにもなります。ファミコンが操作する敵は、人間が操作するマリオや勇者に向かってきて、殺そうとするわけで、じゃあファミコンに手足がつけば人間を殺しに来たっておかしくないじゃんと思いました。
OSという概念が発明されるまでのSFに登場するロボットは、ハード自体が考えるロボットでした。ハードを作ったときにインプットした内容にそのロボットはずっと左右されます。過去のSFに登場するロボットは、作り直さないと考え方も変わらないし、バージョンアップしません。
ですから過去のSFでは、一旦狂ったロボットは必ず破壊されるという結末が待っていました。
マンガの世界でこの概念を覆したのは実は藤子不二雄で、藤子の作品(特にドラえもん)ではカードを入れ替えることによって機能を変える機械が多数登場します。鉄人28号も操作する人によって悪になりますが、あれはラジコンなので当然です。
ハード自体に善悪が具わっているというのは性善説、もしくは善悪二元論の世界です。心に善悪が具わっているのだから、人間は最後には必ず善なる選択をするはずだとなります。手塚が欧米で受けるのはこの西洋的世界観を踏襲しているからではないかと私は推測しています。
ハードだけでは善でも悪でもなく、後天的なインプットによって善にも悪にもなるというのは性悪説で、原始仏教もこれに近いです。世界中の古代神話でも、人間も神も善でも悪でもなく、その時々の状況に合わせて揺れ動きます。
ドラえもんやオバQと言った小さな精霊が日常生活に交わる藤子作品は、多神教・アニミズムの世界であり、ドラえもんが東アジアや東南アジアで人気があるのは理由のあることです。ドラえもんはネズミに驚いて地球破壊爆弾を持ち出すくらいですから、ロボット三原則なんか眼中にありません。
現在のコンピュータは後者に属します。
パソコンの普及と同時に、SFが衰退し、スペースオペラに入れ替わったのは、結局ロボットはソフト次第でどうとでもなると言うことがわかってしまったからではないかと私は考えています。
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