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2013年7月31日 (水)

禁断の日本近代史(六)

 明治・大正と政党にとって物わかりがよい君主が続いて軍の権限が縮小していると感じた山縣有朋(伊藤死後の皇族のお目付役であった)は、大正天皇の皇子たちに軍隊教育を施します。教育係責任者は乃木希典。漢学者や日露戦争の英雄などを教育係に配置し、皇子たちを政治家からシャットアウトしました。

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2013年7月28日 (日)

禁断の日本近代史(五)

 大日本帝国憲法は省庁、軍、司法、国会にそれぞれ独立の権限を与えており、国家機関の調整機能に対する既定がありませんでした。この調整ができる人(組織)こそが最高権力者であることはすぐに分かりますが、明治国家は若い国だったので、まだそういう序列がなかったのです。

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2013年7月 9日 (火)

禁断の近代日本史(四)

 世界恐慌に金解禁による混乱が追い討ちをかけて、日本は金融恐慌に陥ります。まず浜口首相が狙撃されます。浜口はすぐには死にませんでしたが、若槻礼次郎に首相は交代します。

 

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2013年7月 8日 (月)

禁断の近代日本史(三)

 その後しばらく日本は需要不足に苦しめられます。公共事業を拡大すると財政が悪化して財政破綻の危機が迫る。当時の日本は海外から大量の借金をしていましたので、財政破綻の危機が迫ると金利が上昇し経済が破綻する。今の東南アジア諸国と似た経済でした。だから公共事業を絞る、すると景気が悪化する、このジレンマにどう対処するかによって二つの政治潮流が生じます。

 

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2013年7月 7日 (日)

禁断の近代日本史(二)

 米騒動がなぜ発生したかを見てみましょう。第一次世界大戦によって欧州諸国は戦争に全国力を振り向けたため、欧州からアジアへの輸出が減りました。日本製品はその穴を埋めます。日本は輸出によって大いに潤います。

 

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2013年7月 6日 (土)

禁断の日本近代史(一)

 戦後に書かれた政党政治史には一つのお約束があります。それは民政党を善玉とし、政友会を悪玉として描くことです。民政党は大正デモクラシーの申し子であり英米協調の平和主義政党、それに対して政友会は利権政治家の巣窟で大陸進出を進めた悪い政党、少なくとも私が読んだ近代史はどれもこういう見方でまとめられていました。

 

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