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2013年7月28日 (日)

禁断の日本近代史(五)

 大日本帝国憲法は省庁、軍、司法、国会にそれぞれ独立の権限を与えており、国家機関の調整機能に対する既定がありませんでした。この調整ができる人(組織)こそが最高権力者であることはすぐに分かりますが、明治国家は若い国だったので、まだそういう序列がなかったのです。

 この調整機能は明治維新以来の重臣(後の元老)が担当していました。伊藤博文、山縣有朋、松方正義、西郷従道、大山巌・井上馨などが時には各機関のトップとなり、あるいは大御所として、調整機能を果たしていました。

 元老たちの話し合いでも問題が解決しない時には天皇の出馬になります。明治天皇は軍や貴族院に、○○という法律を通せと言うような細かい勅語を何回か下しています。これなどは元老の間で意見対立が収まらなかったので、明治天皇が裁定を下した例です。明治天皇とウマがあった伊藤博文がこの手法を多用しています。伊藤博文は明治国家の中で立憲体制を代表しており、明治天皇は伊藤博文の目指す憲法を中心にした体制を支持していましたので、明治天皇の裁定はだいたい内閣寄りであり、省庁と軍部を牽制しています。

 大日本帝国憲法は君主の権限を抑制する文言になっていますが、元老と天皇が憲法に規定がいない調整機能を果たさないと動かないようにできていました。肝心な部分を空白にしているのは、伊藤博文が、軍部と省庁の権限抑制にそこまで踏み込めなかったのと、成文化することによって帰って国家意思決定が硬直化することを心配したからです。

 伊藤博文は憲法を作る際に英国の立憲制度を研究しています。英国は憲法を文章化していません。英国の憲法は法律と慣例の集合体で、それを使ってどのように判断するかは時の政権中枢の判断に委ねられています。英国の立憲制度は人間の判断能力に期待する制度です。法律でがんじがらめにするのは日本の国情には合わないので、伊藤博文と明治天皇は敢えて調整機能を憲法の外においたのでした。

 大日本帝国憲法は君主(官僚機構)に強い権限を与えるプロシアを憲法を参考にした憲法といわれていますが、調整機能を外においたのは英国の立憲体制を参考にしています。文章化されていないので分かりにくく、教科書的な知識としては国民に共有化されていませんが。

 明治天皇は先に触れたように伊藤博文を一番信頼していました。大正天皇は原敬や大隈重信を信頼していました。日本の政党政治が大正時代に進展したのは、大正天皇のパーソナリティーに依るところも大きいのです。バランスがよいことに、大正天皇は政友会の原敬と、憲政会の大隈の両トップと関係が良く、政友会と憲政会が交互に政権を担う体制が出来たのは大正天皇が両党を公平に見ていたからでもあります。

 しかし原と大隈は大正10〜11年に相次いで亡くなってしまいます。最晩年は政党との折り合いの付け方を勉強して、返って官僚や軍部からは弱腰として煙たがられるようになっていた山縣有朋も亡くなります。

 元老が去った後に表舞台に躍り出たのは成功体験しかないタカ派の官僚と軍人たちでした。加藤高明、濱口雄幸、井上準之介、田中義一、宇垣一成、寺内正毅などです。この時に政友会はリーダーを失って内紛を起こして混乱します。

 しかも大正天皇は重病にかかってしまい、政治的な判断をすることが困難になります。大正天皇・西園寺公望・原敬・大隈重信・山縣有朋によって運営されて意外とうまくいっていた大正国家体制は10年で終了し、そこで皇太子(昭和天皇)が摂政に就任し、国家の調整機能を担うことになります。

 原敬が暗殺されたのが大正十年11月4日で、皇太子の摂政就任が11月25日。従って皇太子の摂政就任は原を含めた上記重臣の総意でしたが、彼等は全てを二十代の若い摂政に委ねるつもりはなかったでしょうし、大正天皇もまだ人事不詳にまでは至っていませんでした。西園寺と原が摂政の宮を後見し、二人と摂政の宮の間で意見の対立があった場合には大正天皇を持ち出して(二人とも大正天皇とウマが合う)、摂政を押さえるつもりだったのだと思いますが、この目論見は原が暗殺されてしまったために狂います。

 明治国家体制の君主は激務で緻密な判断力を求められます。大正天皇をその激務から解放して、病気療養に専念してもらい、通常の君主の役割は摂政の宮に担わせるのが上記重臣の目論見だったのでしょう。

 原の暗殺は本当に一人の狂人による個別犯だったのか疑われるところです。

 原・大隈・山縣が相次いで去り、財務省と財界に抑えが効いた井上馨と松方正義も亡くなった後に、生き残っていた元老は西園寺公望ただ一人でしたが、西園寺公望は政党にしか基盤がありません。戊辰戦争でお飾りとして軍隊を指揮していたのでかろうじて軍には顔が利くといった程度です。このように西園寺公望は人脈が薄かったので、宮中に各国家機関の長老を集めて重臣とし、間接的に国家機関を操縦しようと努力します。

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コメント

こんにちは。再コメントありがとうございます。
一連のエントリーはまだ続きがありそうですので、以下の私のコメントについては気にせず、当初の構想通りに書き進めてください。後でお読みいただければ結構です。(こちらの時間の都合上、実質フライングになりますが申し訳ありません)

帝国憲法に関する英国法の影響については、案外多くの先行研究があるものですが、このエントリーに関しては、風変わりな議論が可能です。

近代日本法には、世界的に見てもかなり変わった強固な法文化的伝統がありまして、日本の法令の条文は、憲法から政令まで、

・当たり前の大原則は、わざわざ書かない
・でも、目下揉めている論点も、やっぱり書かない
・さんざっぱら個別要件を並べておきながら、最後になぜか一般条項を置く
・組織間で随時融通を効かせる制度を、さりげなく挿入する

結果、日本は、独仏法を継受した欧州大陸法圏と言われながらも、どこか英米法「的な雰囲気」を漂わせる場面が出てきます。

一例としては、民事裁判の、国際裁判管轄というものがあります。一般には馴染みの薄い話で申し訳ありません。欧州大陸では、出訴時の先後でガチガチに決めるのですが、英米では、「本件における『自然な法廷』はどこか?」という議論をして、柔軟に決めます。日本は?というと、不適切な国際管轄は、「特別の事情(民訴法3条の9)」があれば却下すると言うのです(ごく最近の立法ですが、昔からの判例法理です)

この2つが似ている、という指摘は、研究者の間ではされているのですが、むしろ着目すべきは、この概念の微妙な違いです。
「自然な法廷(natural forum)」には、原則そのものが記述されているのですが、「特別の事情」には、原則は書かれていません。裁判所の個別判断に委ねる、という主旨です。判断要素は二段階で丁寧に示されています。「事案の性質、応訴による被告の負担の程度、証拠の所在地その他の事情」→「当事者間の衡平を害し、又は適正かつ迅速な審理の実現を妨げる」→「特別の事情」です。これこそが必要なのだ、管轄が「自然である」なんて概念は不要だよ、というのが日本の隠れた法文化の核心部分です。

 明治憲法も同じなのでしょう。天皇大権と言いますが、実際には、各部局の実務家集団同士が、官僚的なすりあわせ作業を行なって、国家意思を揃えていく、そしてそこには原則はなく、明文に書かれることもない、という制度設計なのだろうと思います。(現憲法は更に強くこの性質を持っており、これは半世紀以上それなりにうまくいっています。まあ、ぶっちゃけ主権が霊南坂に握られているからですけどね(笑)。)
 イギリスの憲法慣習は、各権力集団間で大胆に「相互乗り入れ」を行い、そこに議論の渦と均衡を作るという制度設計です。王家の重臣会議(内閣)に、議会庶民院が突っ込み(議院内閣制)、判例法を決める決定的役割を果たす司法府の終審は、今度は貴族院が握っていました(ごく最近になって廃止)
 似ているような、全く違うような、実に微妙な比較です。昭和初期の憲政の絶望的機能不全については、こういう面も含めて、多角的な考察が必要だと、私も思っています。

エジプト・リビア・シリア(内戦に突入しましたが)等の中東諸国で生じている国家の機能不全にも、大日本帝国と同様の構造があるのかもしれませんね。

君主制から民主制に移行する間に、各機能の間で序列が決まらずデッドロックに乗り上げるというのは、どの国にも起こりうる危機なのかもしれません。

私は歴史の研究者が書いた本しか読んでいないのですが、法律の研究の方では明治国家と英国の立憲体制の類似性が話題になっているとは知りませんでした。

すこし話は飛びますが、私は日本の税収が伸び悩んでいるのは、成長している分野の代表者を国家の中枢に取り込むことに失敗しているからではないかと何となく思っています。

近代の日本は皇室を中心とする国家中枢の血縁網に新しい産業とか学問とかの人材を取り込んでいくことで、国を更新しているのですが、この20年くらいこの機能が停滞しているんじゃないかと。

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