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2013年7月 7日 (日)

禁断の近代日本史(二)

 米騒動がなぜ発生したかを見てみましょう。第一次世界大戦によって欧州諸国は戦争に全国力を振り向けたため、欧州からアジアへの輸出が減りました。日本製品はその穴を埋めます。日本は輸出によって大いに潤います。

 

 当時の日本はまだ生産力が十分ではありませんでした。生産力不足なのに輸出ばかりしていると、物資が減るのでインフレ気味になります。好景気によって国内のキャッシュフローは拡大していますので、ますますインフレを促進します。

 

 この時に世界の経済の中心であった欧州は戦争によって経済が大混乱中でした。こういう時、貴族や資本家は資産を米国や植民地に逃がして助かろうとします。そうすると、国の信用力が低下して、米国から軍事物資を購入できなくなります。これを防ぐために欧州諸国は金輸出を禁止しました。資産逃避防止策です。

 

 寺内内閣は深く考えずに欧州の真似をして金輸出を禁止しました。当時貿易黒字国だった日本が金輸出を禁止する必要はありません。金輸出を停止すれば円の信用力は低下します。輸入品の価格が上がって、日本はますますインフレとなりました。

 

 米余りの現在からは想像もつきませんが、当時の日本は米の輸入国でした。金輸出禁止によるインフレで米の値段は上昇します。そこにシベリア出兵が重なります。

 

 当時のロシアには欧米人・日本人が大勢いましたし、各国はロシアに大量のお金を貸していました。これが革命によって踏み倒されることを恐れた列強は、自国民保護と債権保証を求めてロシアの領土を占領します。これがシベリア出兵です。

 

 シベリア出兵が分かりにくいのは、マルクス史観が列強の目的を誤って理解しているからです。シベリア出兵の目的はロシア革命を潰すことではありません。自国民保護と債権保証です。ボリシェビキ政権はウクライナの穀倉地帯をドイツに割譲する媾和条約を結ぼうとしていました。これによってロシアが経済的に破綻し、ドイツが戦争に勝ってしまうことを列強は恐れました。

 

 しかしこの媾和が実現する前にドイツが経済破綻によって自滅し、ロシアが立ち直ることが確実になったので、列強はシベリアから引き上げています。しかし極東では混乱に乗じた日本人傷害事件が続いていたのと、シベリアに住む少数民族が日本に保護を求めたため、日本だけは1921年までシベリア出兵を続けました。

 

 さて、既に国内が米不足であったのに、シベリア出兵によって軍食用に米が国外に持ち出されてさらに米不足になることに危機感を抱いた庶民は打ち壊しを起こします。これが米騒動です。戦前の庶民の経済感覚は非常に鋭敏だったのです。

 

 米騒動の経済的背景を全く理解していなかった寺内内閣は対処法を見出せず、経済に強い原敬に政権を譲りました。戦後の研究者はデモクラシーの勝利という意味でしか原敬の首相就任を理解していませんが、原敬は経済通として元老から期待されていたのです。だから山県有朋は苦々しく思いつつも、原敬に全権を預けるのです。

 

 丁度、欧州では第一次世界大戦が終わり、日本では輸出景気が終わりを告げます。今度は供給力過剰によるデフレの危機が訪れます。これに対して原内閣は、西園寺内閣の時と同様に公共事業による内需拡大策で対応しました。例えばこの時に鉄道網が一気に広がります。均衡がとれた経済成長によって都市と地方の所得差を縮小するのが政友会の基本政策でした。これは自民党にも受け継がれています。

 

 この時に大蔵大臣として積極財政を支えたのが、日本銀行出身の高橋是清大蔵大臣でした。

 

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