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2014年2月 2日 (日)

易経勝手読み(八四)・・・地風升

 久々の易経勝手読みの新解釈です。2012年に「やさしい易」を自費出版しました。乾為天・水雷屯・天地否・沢山咸等の解釈は発表済みの内容で確実と考えていますが、まだ改良の余地がありそうな卦も十くらいあると感じています。地風升・沢地萃・風火家人等です。 地風升は上昇を意味する卦とされてきました。「やさしい易」では容器の升を意味する卦ではないかと私は解釈しました。しかし九三の升虚邑を「建設中の城塞都市」と解釈するのは実に苦しく、もっとふさわしい解釈がありそうだとずっと感じていました。

 

 地風升は上昇を意味する卦とされてきました。「やさしい易」では容器の升を意味する卦ではないかと私は解釈しました。しかし九三の升虚邑を「壁だけの城塞都市」と解釈するのは実に苦しく、もっとふさわしい解釈がありそうだとずっと感じていました。

 

 易には西洋の事物が記述されています。山天大畜はメソポタミアの星座であり、火沢睽は古代ユダヤ教のイザヤ書です。詳しくは当ブログの易経勝手読みかやさしい易(国会図書館で借りられます)をお読みください。

 

 中国には商・西周時代から、脂肪尾の羊、馬車、青銅製の剣などの西洋の事物が持ち込まれています。中国の剣にはスキタイ系遊牧民の影響が見られるため、メソポタミアと中国の間をつないだのは遊牧民ではないかと考えられます。紀元前二千年から紀元前後に中央アジアで興隆を誇ったのはアーリア人です。

 

 アーリア人とはインド・ヨーロッパ語族のうちインド・ペルシャ語を話す人達で、黒海〜カスピ海〜パミール高原一体を故地として暮らしていたとされています。紀元前千年頃に乾燥寒冷化が生じ、これらのステップ地帯の農業生産力が落ちたため、彼らは南下をします。メソポタミア方面に進出した彼らはアッシリア・バビロニアと激しく衝突し、その一派であるペルシャ人は西アジアとメソポタミアを大統一、アカイメネス朝(アケメネス朝)ペルシャを建国しました。ペルシャ人が信仰していたのがザラストラ教(ゾロアスター教)です。

 

 インドに侵入した一派は先住のドラヴィダ・アジア系を征服混淆しながらとけ込みました。インドの祭祀階級ブラーフマナ(バラモン)が保持している神への讃歌であるヴェーダは、ザラストラ教の聖典アヴェスターと共通部分が多く、ペルシャ人とインド・アーリア人は元は近縁だったのではないかと推測されています。

 

 インドと中央アジアの間にあるタクラマカン砂漠のオアシス都市の発掘では、最古層で白人の骨が見つかっており、中国の正史に残る西域諸国に登場する人名もアーリア系であるので、タクラマカンからカラクムにかけての乾燥地帯ではアーリア人が紀元前二千年頃か、あるいはそれ以前から、都市を造って先進的な生活をしていたらしいです。

 

 詩経の小雅には西域都市の風物を読んだとおぼしき詩や、西周が西域都市を勢力圏においていたと推測できる内容があります。書経や春秋に出てくる意味不明とされている文物とか異民族も西洋から来たと考えれば理解できそうな物が少なくありません。

 

 例えば春秋には狐裘という毛皮のコートがよく出てきます。作家の宮城谷昌光氏の小説で触れられているので知っている人もいるでしょう。これは狐の脇の下の繊細な毛だけで作られたコートということになっています。コートを作るほど狐を捕まえることが可能なのでしょうか。だとすると狐裘はよっぽど高価な品物であったはずですが、狐裘を30年間来続けたことが晏子の倹約の事例としてあげられたりしていて、よくわかりません。

 

 狐裘とはおそらくビロードのことです。ビロードとは平織りした毛織物の片面のループをカットするパイル織で作られた布地で、日本人に取って最も身近なビロード地は毛布でしょう。

 

 繊細なパイル織はベルベット・ビロードと呼ばれ、細かい毛(羊毛です)が上質の毛皮のようであり、厚手で頑丈なところも毛皮に似ています。ビロードは複雑な形には加工できませんので、だいたいコートやスカートにされます。

 

 アカイメネス朝ペルシャの壁画ではペルシャ人が厚手の毛織物を着用していたことが壁画から分かります。狐裘は西周や晋など北方で好まれて着用されていますのでおそらくビロードの毛織物です。

 

 長々とアーリア人のことを書きましたが、なぜかというとアーリア人のことを調べているうちに、ステップ地帯の彼らの遺跡に地風升の九三そのものを見つけたからです。

 

 ウズベキスタンはホレズム(ホラズム)地方のカラルィ・ギュル遺跡とキュゼリ・ギュル遺跡は紀元前千年頃の城塞都市の遺跡です。ここでは分厚い頑丈な長方形の城壁が発見されましたが、城壁の中は空でした。まさしく地風升の虚邑です。

 

 このもぬけの殻の都市の意味を解明する鍵はザラストラ教の聖典アヴェスターにあります。アヴェスターのうち、ザラストラがアフラ・マズダを中心に古代アーリア神話を再編成する以前の、古代アーリア人神話を採取した「ヴェンディダード」には、アーリア神話で最初の人間とされるイイマ(ヤーマ・夜麻・閻魔大王)の神話が記録されています。

 

 そこには「イイマは四辺の長さ1馬走(約3km)のバラをつくりそこに種子・牡牛・人間・犬・鳥・燃える火をうつした。イイマは四辺の長さ1馬走のバラを人間の住居にし、長さ1馬走のバラを家畜の置き場にした。そこに彼は長さ1ハトル(約1.5km)の道で水を引いた・・・そこに彼は住居・家屋・天井・庭・四方を囲った場所を作った。」とあります。

 

 古代ホラズムを発掘したS.P.トルストフはこれはカラルィ・ギュル遺跡とキュゼリ・ギュル遺跡を指していると考えました。どういうことかというと、城壁に人が住み、その中に家畜を飼った、のではないかということです。まだわかりにくいかもしれません、長いアパートを考えてみてください。壁のようでしょう?これを四つ組み合わせれば大きな箱ができます。これを外から見ると、壁の中に人が住み、中に空っぽの空間があるように見えます。その空っぽの空間で牛や羊を飼うのです。

 

 他にもヴェンディダードには「建物の広い部分に彼は九つの通路をつくった

 ・・中央部分に六つ、狭い部分に三つ・・・彼は入り口と明かり窓をこしらえた」とあり、これはパルティア人の都市ジャンバス・カラやバビシュ・ムラやチリク・ラバトによく似ています。トルストフは中央アジアには紀元前四千年からモンゴル軍に滅ぼされるまでの5千年間、アーリア人の文明が花開いたと推測しました。

 

 アヴェスターとヴェーダの一番古い部分には、彼等が中央アジアで遊牧に基礎を措く都市文明を築いてたことが記述されています。このアーリア文明の中心地で、アフラ・マズダやミスラ神(ミトラ・阿弥陀仏)よりも先に信仰されていたのが、最初の人イイマです。イイマはインドではヤマと呼ばれています。イイマは最初に死んだ人間であり、黄泉の国で死者を守護するとされています。仏教説話でいる閻魔大王です。イイマ・ヤマ・エンマの音はほとんど同じで、どう呼ぶかは方言による違いでしかありません。

 

 再び易経の地風升に戻ると、初六に「允升」とあります。允は「イン」と読みます。これはおそらくイイマのことでしょう。初六は「升とはイイマのことである」と読むことができます。

 

 九二は「孚乃利用禴」とあります。孚は捕虜やお供えのことです。禴とは木の笛、木の棒、もしくは升目のことだとされています。ザラストラ教ではバルスマンという小枝を使ってお祓いをします。ザラストラ教の中でお祓いの儀式はザラストラ以前から伝わる古代アーリア人信仰の残滓とされています。九二はバルスマンを使ったアーリア人の儀式をさしています。

 

 私の推測では、バルスマンは八卦の筮竹の原型です。八卦自体が西洋から来たのではないかと考えられますが、これは後で考察しましょう。

 

 上六「冥升」もわかりやすく、最初に死んで冥界で人類の守護者となったイイマを表しています。

 

 六五の「升階」はアーリア人の階級社会を表しているのでしょう。アーリア人は神官・戦士・庶民の三階級で社会を構成していました。これはインドの四姓やゲルマン人の自由人と隷属民に残っています。

 

 六四の「王用亨于岐山」の意味がまだ不明です。アーリア人は草原の民なので山岳信仰の要素があまりありません。この文章は「王は○を用いて岐山にお供えする」と解釈することができるのですが、この文章には目的語がありません。

 

 岐山は周族の聖地です。であればこの王は周王のことでしょう。地風升は升のことを説明しているので目的語は升のはずです。とるすと、六四は周王がアーリア人を生贄としていたか、周ではアーリア人の神官が祖先祭祀を独占していたと解釈できるのではないでしょうか。

 

 最後に何故地風で升であるかですが、先に私は山風蠱は山に死体を安置して腐敗させる殯と解釈しました。ザラストラ教の正式な葬儀は、死体を鳥に食べさせる鳥葬です。地風升は山風蠱と対になっているのではないかと思います。山風蠱は古代日本の葬儀と共通点が見られるので東夷の宗教、地風升は西戎の宗教を表しているのではないでしょうか。

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