上毛私鉄乗車記
今日は上信電鉄、上毛電鉄、そしてわたらせ渓谷鐵道に乗ってきました。山沿いのローカル線に乗ると自然と古代~中世史を追うことになります。
朝4時に起きてほの暗いうちに出発、昨日の停電の時に使った数年前のコンサートで買った蛍光ライトがまだ光っていたので灯りとして持っていきました。
北八王子から八高線に乗車、八高線は八王子から、比企郡、そして高麗川に伸びています。茅ヶ崎からのびる相模線と一繋がりの街道で、これは関東の帰化人入植ルートです。なので沿線には帰化人の伝説が残り、昔は養蚕が盛んでした。八高線沿線は山奥の割には平らな土地が続いていて、高麗、越生、小川と歴史がある町が並んでいます。
高崎についてそこからは上信電鉄に。三日前にユネスコに登録された富岡製糸場が沿線にあります。そのことからも分かるように、多摩から入間、比企、群馬にかけては有名な養蚕、絹織物工業地帯で、日本の近代化を支えました。
これらの地域で織られた布が八王子に集荷されていました。八王子は絹織物問屋の町だったのです。上信電鉄も八高線も、絹織物を運ぶための鉄道です。
上信電鉄には「山名」という駅があります。守護大名山名氏の出身地です。関東の御家人の出身地はだいたい帰化人の入植地と重なっています。馬庭なんて駅もあり、武士団の牧場があったことが伺えます。その隣は吉井で、これも御家人の出身地だったはずです。
終点は下仁田、ネギで有名なところです。幕末には水戸の天狗党が高崎藩と激戦を繰り広げました。
次に前橋から上毛鉄道に乗って桐生まで、これも絹糸を桐生まで運ぶための鉄道です。地方のローカル私鉄が結構山奥に建設されているのは、戦前は養蚕が日本最大の輸出産業で、山間地が豊かだったからです。米しか作れない下流の平野部は貧しかったというと現代人は驚くかもしれません。
上毛電鉄は昔京王井の頭線を走っていた車両が現役なので、不思議な気分がしてきます。中部の大胡のあたりは古墳群があります。上毛野氏という強力な国造がいたとされています。
終点が織物の町桐生で、桐生からわたらせ渓谷鐵道に乗り換えます。わたらせ渓谷鐵道は足尾銅山の銅を運び出すために作られた鉱山鉄道です。今の終点は間藤ですが、かつてはもう少し先の古河までのびていました。古河が足尾銅山の中心地です。古河電工の古河です。鎌倉公方の成れの果てである古河公方がいた茨城県の古河とは関係ありません。
わたらせ渓谷鐵道では女性の車掌さんがお土産を売りにきてくれました。神戸("ごうど"と読みます)には鉄道会社直営のレストランがあり、駅弁を社内に売りにきてくれました。舞茸弁当と銘酒榛名山のカップ(ぐんまくん印)を買いました。これが結構うまかったです。神戸には星野富弘美術館もあります。
水沼駅には温泉があります。渡良瀬渓谷の景色はきれいで、沿線には花がたくさん植えてあります。観光客のために沿線住民が育てているようです。しかし足尾まで来ると、鉱毒で一度禿げ山になり表土が流れてしまったため、岩肌を見せた寂しい風景に変わります。渡良瀬川もかつては鉱毒で死の川でした。
間藤は終点ですが、何もない場所です。鉱山遺跡がある古河まで走らせれば良いと思うのですが。
帰りは東武特急に乗って帰りました。東武伊勢崎線も、太田(新田氏の出身地)、足利、館林と古式ゆかしい地名が並びます。がんらい私鉄の方が歴史が長い地域を走っているんですね。関西なんかはそれが顕著です。歴史があるので鉄道を引くだけの経済力があったのです。
上毛の歴史を感じた一日でした。この次に来る時は富岡製糸場や上毛古墳群、桐生などに実際に降りてみたいです。下仁田はカツ丼スタンプラリーなんかもあるそうです。
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