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2014年8月12日 (火)

人類は動詞病にかかっている

このブログでは明らかにしていませんでしたが、私は仏教が非常に好きです。経典もいろいろと読みました。最近になって仏典の古層に日本文明との共通点を見つけました。大野晋の日本語・タミル語起源説ともつながります。ただし私はタミル語が日本語になったのではなく、江南で発生した稲作が東に伝わって根を下ろしたのが日本で、西に伝わって根を下ろしたのがタミルではないかと考えています。

 
以下mixiのつぶやきから引用。
 
シャカ族のシッダルタ王子が感じた人生の居心地の悪さの中には、東アジアの稲作文明を受け継ぐ民族が、アーリヤ人の生き方(階級、因果応報、さらに言語による論理を実在として物事を考えていく思考法そのもの)を強要されたことによるストレスもあったのではないだろうか。

月本洋の「日本語は論理的である」は言語には主体がどう動いていくか追いかけていく系統(インド・ヨーロッパ語が代表)と主体がどういう範囲内にいるかを把握していく系統(日本語)があるとしている。

 
英語ではAn elephant has long nose.と表現する。主体である象と長い鼻を動詞で結びつける。英語では複数ある概念の間を動詞や副詞・前置詞で線的に結びつける。
 
日本語では「象の鼻は長い」と表現する。象の鼻という主体が長いというより大きな概念の中にあると表す。日本語の把握方法は、主体を中心にして同心円状に概念を拡大していく方法をとっている。
 
空論の大成者ナーガルジュナ(竜樹菩薩)の研究したテーマは果たして言語の構造と現実の物質の構造は対応しているかであった。言語によって物質の状態を完全に把握できるかと言い換えても良い。
 
言語とは関係なく原子は存在しそれは力学や熱力学に従って運動しているだけであることを知っている現代人にとっては、言語が物質を完全に把握していないことは自明であるが、ギリシャ人やインド人にとっては大問題だったのだ。彼らにとっては言語の論理構造に破れがあると世界は崩壊することになる。
 
古代ギリシャやインドの哲学者の役割とは言語の論理構造と現実の間の対応関係を完全にすることであった。ギリシャ人とインド人は、そうしないとこの世が崩壊すると信じていたのである。
 
ナーガルジュナは、言語と物質の間には何の関係もない、言語は人間が生活のために生み出した道具に過ぎないということを解明した。これが空論である。色即是空空即是色の意味である。
 
なぜギリシャ人とインド人(バラモン教を作ったアーリヤ系インド人)が言語と物質が対応するという脅迫概念にとらわれていたかというと、主体が概念の間を線的に動いていくというインド・ヨーロッパ語族の世界把握の方法に原因がある。
 
彼らにとっては、「自分」と「状態」の間に距離があり、その状態まで自分を持っていくことに努力が必要なのである。これを私は動詞病と呼ぼうと思う。ナーガルジュナの著述が百万言を費やして言いたかったことは「概念と概念をつなぐ(象は長い鼻を持っている式)動詞には意味がない」ということなのだ。
 
日本語は象を「鼻」と「長い」という複数の状態に分けて把握しない。象の鼻の形態をありのままに見て、それが長いという状態に入ることを素直に表現する。
 
日本語はギリシャ人とインド人(そして近代のドイツ人とかロシア人とか)が苦労した、現実と言語の間にある隙間が最初からない。インディアン、ポリネシア人、東南アジア人、ドラヴィダ人、南部アフリカの原住民など、古い言語を持つ人達にも動詞病はない。

 

しかし日本人は近代に西洋文明を翻訳する時に動詞病を発病した。この動詞病は大東亜戦争の根本的な原因である。なぜなら、ただの法律用語に過ぎない「天皇は神聖不可侵」を昭和の日本人は語義通りに受け取って狂ってしまったのだから。

 

特異であるのが中国語で、文語(漢文)は同心円的把握方法をとるが、口語は英語と全く同じ構造で線的把握構造をとる。

 

日本文明が漢字を自家薬籠中にできたのは、漢文の論理構造が日本語の論理構造と同じだったから。けれども日本語が中国語化しなかったのは、口語の論理構造は全く別だったから。

 

インド・ヨーロッパ語は牧畜と一緒に世界中へ広まった。この言語は牛や羊を統率する時のやり方からヒントを得て発明された言語なのだろう。元々自分のための言語ではなく、家畜のための言語なのだ。インド・ヨーロッパ語を使うということは、家畜を統率するように自分に指示を与えて統率する生き方を選ぶということなのだ。

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コメント

はじめまして。
いつもBlog楽しみに読ませていただいている者です。
先日見つけた鈴木大拙先生の講演でも西洋の言葉と日本語の違いについて触れられていたので、とても興味深く感じました。
http://www.youtube.com/playlist?list=PL0184DE05416B2F19
最近読んだ昭和30年代の本にも辞書が必要だったりして、日本語の大きな変化を感じました。
言葉は考え方、思想にも影響するため、これからの日本の在り方も変わっていくのかなぁ、と、ちょっと不安になったりしています。
今後、仏教ネタでも記事をお願いしたいです。

海菜さんはじめまして。

初めて書いた仏教ネタにすぐレスを返してもらえてうれしいです。

そうですね、日本語のインド・ヨーロッパ語化はどんどん進行していると思います。

最近顕著な傾向は仕事のミスとかクレイマーから責任を逃れる言い回しが蔓延していることですね。

そりゃ責任回避のはうまい言い回しだろうけれど、そんな日本語はないよな。と思う言葉をさまざまな場所で聞くようになりました。

日本というのは狩猟採集の文化を残したまま近代化した唯一の文明圏ですので、我々が生き残ることは、人類の文化の多様性を維持するためにも重要なことだと思っています。

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