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2014年9月28日 (日)

日本特殊論をやめよう

社会の停滞でよく出てくる日本人は特殊だからという日本人論。これはただ単に社会で指導的立場に立つべき人たちに知恵がないことを、日本人みんなのせいにしてごまかしているに過ぎないのではと思うようになった。今問題となっているさまざまなことにも解決策はあるし、手順さえ踏めば日本人にも実行できることばかり。

こう思うようになったのは、日本の特殊事情とされてきた社会の停滞が先進国全体に広がってきたから。ほんの数年で欧州人が皆日本人のように和を重んじる優柔不断な人達になってしまったのだろうか?そんなことはあるまい。

 
人口が停滞し、豊かになって誰も負債を増やしてまで投資をしようとしなくなれば、この社会的停滞はどこにでも起こりうるのだ。日本文化は関係がない。日本特殊論で説かれていたことはほとんど全て純粋に経済的な現象だ。政府の需要維持策と社会保障の充実で時間をかけて解決するしかない。
 
米国の経済が回復しているのは、移民流入による人口増加と、表に出てくる報道官が自由主義的な言動をしているのとは裏腹に米国の経済政策は頑固な官僚たちによって激変が生じないように需要の山谷を無くすようにじっくりと運用されているので、米国の企業と家計はゆっくりと傷をいやすことが可能になっているからだろう。
 
日欧の行政は立法府に振り回されすぎている。日欧の政治家は目先の細かい経済対策にまで介入しすぎなのである。米国はドラスティックな変化が起こる国のように言われているが、実は行政はものすごく鈍重であり、それが中長期的に一貫した経済政策を実現することに結果としてなっていて需要不足の時代には奏功しているのだ。

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コメント

米国は自治体の破綻とかドラスティックにやりますが?
年度予算の承認が下りなければ、公共機関の営業停止とか平気ですし。
同じようにやったら、日本の自治体はほとんど破綻、総需要も大激変でしょう。
オバマケア以前は社会保障も連邦政府はほとんど関与しなかったので、立法府が介入する必要もなかったのでしょう。
自治体や社会保障、需要の維持政策を行えば、予算のプレッシャーが厳しくなって来るので、立法府の介入が増えるのです。
本末が転倒してます。

一つ一つの事業についてはそうでしょうが、米国は政府総支出をドラスティックに切ることはしません。

国債発行停止による一時的な支出の停止はありますが、年間で見れば支出は予定通りなされています。

米国は政府が何に対して支出するかはドラスティックに変えるけれど、政府支出の総額は変えないのですね。

それに対して日欧は、何に対して支出するかはなかなか変えないけれど、支出総額はばっさり変えたりします。これが経済にとって一番悪い。

それと、米国の場合報道官が仰々しく発言していることと実際に実行されたことはだいぶ異なっていたりしますよね。

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