ラーフラの修行
「聖おにいさん」という漫画があります。お釈迦さまとキリストがバカンスで日本の立川市に滞在して、普通の青年として生活したらというギャグマンガです。作者は仏教とキリスト教のことをとてもよく調べていて、私も好きな作品です。
その中で、お釈迦さまの息子ラーフラが便所を寝床にする修行をしていた話が出てきます。この話の元ネタはジャータカの第16話「三様の姿態をとる鹿前生物語」です。ジャータカには仏教教団の戒律の起源が多数記録されていて、これもその一つです。便所で寝るという修業は、果たして好意的な意味を持っていたのでしょうか。
後世には立派な修行とされていたことが、起源まで遡ると実はそうでもなかった、現代人が考えて変なことは、やはりお釈迦様の時代でも変なことであったということが分かるお話です。
三様の姿態をとる鹿前生物語(1-16)
あるとき師(仏)は、アーラヴィーの都に近いアッガーラヴァ霊廟に滞在しておられました。そこには多数の男性・女性の在俗信者と修行僧が僧院へ教えを聞くために出かけていました。始めのうちは日中に説法が行われていましたが、やがて女性の在俗信者と修行僧はいかなくなり、男性の修行僧と在俗信者だけになったので、夜中に聞法が行われるようになりました。
聞法が終わると、長老の修行僧は各自の住居(世話になっている在俗信者の家)へ帰り、若い修行僧たちは、集会所で在俗信者たちと一緒に寝ました。彼らが眠りにつくと、ある者たちはグウグウと高いびきをかき、歯ぎしりをしながら寝てしまいました。(在俗信者と僧侶がだらしなく雑魚寝をしていたのを見た)者たちはこの異様な有様を世尊に報告しました。
世尊は「修行僧が、完全な戒を保っていない者とともに同宿するならば、パーチッティヤ(波逸提)の罪である」という戒律の条項を制定しました。その後修行僧たちはコーサンビーへ赴きました。
そこで、修行僧たちは、尊者ラーフラに言いました。「きみ、ラーフラよ、世尊は、このような戒律を制定された。いまやきみは、自分の住居を見つけたまえ」
ところで、以前なら、この修行僧たちは、世尊に対する尊敬と、尊者ラーフラが修学に意欲的であることから、彼が自分たちの住居へ来ると、たいへん快く迎え入れ、小さな臥床を用意したり、枕にするための衣を与えたりしましたが、その日はパーチッティヤの戒を恐れて住居すら与えませんでした。
そこで賢明なラーフラは、わたしの父であるからと言って十の力を持つ人(仏)のところへ、あるいは私の親教師であるからといって、法の将軍サーリプッタのところへ、あるいは私の規範師であるからといって、マハーモッガラーナのところへ、あるいはわたしの小父であるからといって、アーナンダ長老のところへ行ったりはせず、十の力を持つ人の便所に、あたかも梵天の宮殿へ入りでもするかのように入って、住みつきました。
時折、修行僧たちはかの尊者ラーフラが遠くからやってくるのを見つけると、かれを試すために、箒やごみ取りを外へ投げ出しておいた、そして、かれが来た時に
「きみ、これを捨てたのは誰だろう」と尋ね、そのとき誰かが、
「この道を通ったのは、ラーフラですよ」というと、かの尊者ラーフラは
「尊師がたよ、わたしにその覚えはございません」とは言わず、それを片付けて
「尊師がたよ、わたしをお許しください」と詫びてから去るのであった。
さて、師は夜明け前に便所の入り口に立ち、咳払いをされた。かの尊者ラーフラも咳払いをした。
「そこにいるのはだれか」
「わたしはラーフラです」と出て行って、挨拶をした。
「ラーフラよ、なぜそなたは、ここに寝ているのか」
「住居がないからでございます。尊師よ、以前は、修行僧の方々は、わたしを快く迎え入れてくださいましたが、最近は、ご自分たちがパーチッティヤの罪に触れることを恐れて、住居を与えてくださらないのです。そこでわたしは、ここなら他の方々の邪魔にならない場所だ、というわけで、ここに寝ていたのです」
その時、世尊に、
「修行僧らは、ラーフラさえも、このように見捨てているとすれば、ほかの良家の息子たちを出家させたら、どのように扱うのであろうか」と、教えに対する懸念が生じた。そこで、早朝に修行僧たちを集めさせ、法の将軍に尋ねられた。
「サーリプッタよ、ラーフラは今日便所に住んでいた。サーリプッタよ、そなたたちは、ラーフラをこのように見捨てているならば、他の良家の息子たちを出家させたとき、どのように扱うつもりか。このようなことならば、この教えのもとで出家したものは、落ち着いてはいないであろう。今後、完全な戒を保っていない者たちについては、一両日は自分たちのもとに住まわせ、三日目にはその者たちの住居を定めた後、外に住まわせるようにしなさい」と補則を作った。
<解説>
これはなかなか生々しい記録です。まず、出家したばかりのラーフラが先輩の信者から冷遇されていたことがわかります。教祖の息子で、教祖から最高の教授陣を準備されたラーフラが、一般の僧侶から嫉妬を受けないはずがないので、これは間違いなく史実でしょう。これでラーフラが親の七光りを傘に着るような人物であればかえって取り巻きから大事にされたのかもしれませんが、ラーフラはさらに精進を続けました。しかしこういう健気な人は余計いじめられるものです。
また、寄宿先を見つけられなかったラーフラは、やむを得ず父であるお釈迦様の便所を寝床にしました。お釈迦さまはこれを立派な修行だとは考えず、びっくりして、自分が定めた戒律が行きすぎだったことを反省しました。やはり便所に寝ることは、二千年前だって異常とみなされたのです。
お釈迦様が息子をえこひいきするはずがない、ラーフラを特別扱いして戒律を緩めるはずがないから、これは後世の作り話だろうと考えることもできます。それも一理あります。私はジャータカの原著を見たことはないので強くは言えませんが、しかしこれは史実ではないかと思います。お釈迦様の失敗が正直に記録された珍しい話であるからです。
息子だからと大事にするのがえこひいきであるとすれば、息子であるからと言って余計に厳しく当たるのもまた特別扱いだからです。あくまでお釈迦さまは公平な人でした。自分の息子もほかの弟子も可能な限り公平に扱ったのでしょう。
ジャータカには、正統な経典から漏れた、人間味あふれるお釈迦さまとその弟子たちの逸話が記録されています。
「仏教」カテゴリの記事
- 華厳経(十六) 徳生童子と有徳童女そして旅の終わり(2019.11.01)
- 華厳経(十五) 遍友童子師、善知衆芸童子(2019.10.30)
- 華厳経(十四) 天主光童女(2019.10.28)
- 華厳経(十三) 摩耶夫人(2019.10.26)
- 華厳経(十二) カピラバットゥ城の瞿夷夫人(ヤショーダラー夫人)(2019.10.24)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント