饅頭怖い
マガダ国の都ラージャガハ(王舎城)の近くにサッカラという名前の町があり、そこにマッチャリコーシャという名の八億の財産を持つ豪商が住んでいた。彼は草の先についた油滴ほどのものをも、他の人に与えたこともなく、また自分で享受することもなかった。だから、かれがたくわえたその財産は、あたかも鬼神に魅入られた蓮池が使われないままにあるように、息子や妻などのためとか、修行者やバラモンなどのために使われるということは一向になかった。
豪商は王様に呼び出されてお城に出仕した帰りに、地方から出てきた一人の人が餓えに餓えて、酸味のある粥のいっぱい入っているまんじゅうを食べているのを見て、自分も食べたいと思い、自分の家に向かいながら考えた。
「もしわたしが『饅頭を食べたい』などと言えば、多くのものがわたしと一緒に食べたくなるであろう。そうすると、わたしの多くの米やバターや砂糖が無くなってしまうであろう」とおなかの空いているのを我慢しながら歩いていた。歩きつづけているうちに、しだいに気分が悪くなってきた。かれは、飢えをこらえることができないので、寝室に入り臥床にしがみついて横になってしまった。かれは、こんなふうに帰って来ても、財産の減るのを恐れて誰にも何も話そうとしなかった。
そうしているうちに、妻が彼のところにやってきて背中をさすりながら、
「あなた、どこか気分が悪いのでありませんか」と尋ねた。
「気分はどこも悪くない」
「王様があなたを怒ったのですか」
「王様が私を怒ったわけではない」
「それでは、息子か娘、あるいは下女下男などが何かあなたの気に入らないことをしたのでしょうか」
「そのようなこともない」
このように妻に問われても、財産が減るのを恐れて何も答えなかった。
「あなたどんな望みがあるのか言ってください」と言うと、彼はやっとのことで答えた
「私には一つの望みがある」
「その望みは何ですか。あなた」
「饅頭を食べたい」
「一体どうしてだまっていたのですか。あなたは貧乏人ではありますまい。いま、サッカラの町中の人々に十分なだけの饅頭を作りましょう。」
「彼らのことは放っておけ。かれらは、自分の仕事をして食べるだろう。」
「それではこの通りに住む人々に十分な饅頭を作りましょう。」
「おまえは大金持ちだと思うよ」
「この家だけの皆に十分にこしらえましょう」
「おまえが浪費家なのがよくわかるよ」
「それでは、あなたの息子と娘だけに十分に作りましょう」
「どうして子供たちに作ってやるのか」
「それでは、あなたとわたしのためだけにつくりましょう」
「おまえはどうしてそんなことをするのか」
「それなら、あなたおひとりのためだけにこしらえましょう」
そこで大豪商は妻に命じた。「ここで煮ると、多くのものが一緒に食べられると思うだろう。良い米は使わず、砕けた米とかまどと揚げ鍋と少しばかりの牛乳とバター、蜜と砂糖を持って、七階の高殿の上の平らな広いところに座り、わたしひとりで食べよう」
「かしこまりました」と、妻は同意し、召使に材料と料理道具を運ばせ、高殿の入り口を全て鍵で閉じ、豪商とともに七階に上り、饅頭をこしらえ始めた。
その時、師はモッガラーナ長老に声をかけられた。
「モッガラーナよ遠く離れたサッカラの町で、貪欲な豪商が饅頭を食べようと、ほかの人が見るのを恐れて、七階の高殿の上で饅頭を煮ている。おまえはそこに行って豪商を教化してきなさい。今日私は五百人の修行僧たちと僧院で座していよう。一緒に饅頭の食事をしよう。」
「かしこまりました尊師よ」
といってモッガラーナは神通力ですぐにその町へ行き、空中に浮かび上がり、七階の窓の前に宝石の像のように立った。
大豪商はモッガラーナ長老を見て、心臓の肉が震えた。
「わたしは、このような奴らを恐れてここにやってきたのに、こいつがやって来て、窓の入り口に立っているなんて」と、取るものも取りあえず、怒りに震えながらまた次のように言った。
「修行者よ、空中にいてあなたは何を得ようとしているのですか。空中の道なきところに道を示して、ぶらぶら歩いていても、何も得られないでしょう」
長老はなおも空中を行ったり来たりしていた。豪商は見かねて。
「歩いてみて何を得ようとするのか。空中で両足を組み合わせて坐ってみても何も得られないでしょう」
すると、長老は両足を組み合わせて坐った
「坐って何を得られようか。やってきて窓の敷居に立っても、何も得られないでしょう」
というと、長老は今度は敷居に立った。さらに、
「敷居に立って何を得られようか。香をくゆらせたとしても何も得られないでしょう」
と言われて、長老は香をたいた。すると高殿全体が煙に包まれて、豪商はむせた。豪商は家が火事になるのを恐れて、
『炎を出しても何も得られないでしょう』とは言わずに、『この修行者は非常に貪欲である。饅頭をもらわなければ帰らないだろう。彼に一つ饅頭を与えよう』と考えて妻に命じた。
「妻よ、小さな饅頭をひとつ作って、修行者に与えて追い返しなさい」
彼女が少しばかりの粉を鍋に入れると、それは大きな饅頭となって、入れ物いっぱいに大きくふくれてしまった。豪商は妻が大量に粉を入れたのだろうと考えて、今度は自分でさらに少しだけの粉を入れると、もっと大きな饅頭ができた。このように次から次へと、こしらえてもこしらえても、それらはみな大きくなってしまった。彼はうんざりして妻に言った
「妻よ、彼に饅頭をひとつやりなさい」
彼女が入れ物から饅頭をひとつ手に取った時、饅頭は全部一緒にくっついてしまった。
「旦那さま、饅頭がみなくっついてしまいました。別々にすることができません」
豪商は饅頭を分けようと妻と一生懸命になっているうちに、体から汗が流れ出たので、おなかが空いていたのを忘れてしまった。そこで妻に言った
「妻よ、わたしは饅頭はもういらない。入れ物ごと、この修行僧に与えてしまいなさい」
そこで長老は供養の功徳を説いた。
「大豪商よ、正しく悟りを開いた人が『饅頭を食べよう』と五百人の修行僧とともに僧院に坐しておられます。よろしければ、奥様と一緒に饅頭や牛乳などを持たせて師のもとに参りましょう」モッガラーナはそういうと、大量の饅頭とともにひとっ飛びし、ジェータ林の師のもとにたどり着いた。豪商とその妻は饅頭を五百人の僧侶に分け与えたが、饅頭は減ることはなく、残食で生計を立てている人々に分け与えてもなお、なくなることはなかった。
<解説>
完全に落語です。お釈迦さまがモッガラーナにカツアゲを命じているのもすごいし、モッガラーナが豪商を煙攻めにして饅頭をせしめるのもすごい。訳者が上手なのかもしれませんが、豪商と妻の会話も軽妙です。こういう明るいユーモアがあるのが仏教の良いところです。
でも、体を動かしてへとへとになった豪商が、貪欲から解放されるというところに真理があるような気もします。
お釈迦さまが僧院に住んでいることから、これはお釈迦さまが亡くなってから作られた話なのですが、なんで笑い話の主人公がモッガラーナなのか不思議です。モッガラーナは辛辣で、異教徒を鋭い舌鋒でへこまし、怠ける修行僧に神通力で地獄を見せて戒めたといわれているからです。強面だったからこそ、笑い話の主人公にされたのでしょうか。
あるいは、ユーモアのある人は同時に強烈な皮肉屋であることが多いです。一休さんなんかがそうですね。モッガラーナはそういうタイプの人だったのかもしれません。
この話には特に落ちがありません。落ちがなく唐突に終わってしまうことが多いのがインドの昔話の特徴です。みんなで楽しく饅頭を食べて、貪欲な豪商も教化されたのだからそれでいいじゃないかというわけ。驚くなかれ、この豪商は<聖者の最初の境地>に達したことになっています。初期の仏教では悟りは特別なものではなかったようです。
さてこの饅頭。砕けた米をお湯に溶かして作っていて、べたべたくっついて一体化することから、上新粉でつくる白玉のようなものではないかと想像できます。ジャータカにはほかにも粽や馴鮨とおぼしき食べ物も登場します。これも古代のインドには東アジア的な要素が強かったのではないかと私が考える一因です。おいおい紹介していきましょう。
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