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2017年2月12日 (日)

マガ童子

仏教には社会貢献を重視する潮流もあります。日本の高僧には地方の開発に尽力した人たちが数多くいます。行基菩薩がその筆頭で、道を清め、橋を架け、用水を開いて人々の暮らしを豊かにしました。大仏建立には、流民に生活の糧を与える面がありました。弘法大師による満濃池修築、綜芸種智院(庶民の学校)建設も有名です。
 
仏の教えによる社会貢献は大乗仏教の専売特許ではありません。ミャンマーではサンガが地域開発と相互扶助の拠点となっています。おそらくタイやスリランカでもそういう仕組みはあるでしょう。
 
これから紹介する説話は、社会貢献を重視する観点から説かれています。
 
 
雛鳥前生物語(1-31)
 
 
ーマガ青年、村人を教化するー
 
むかし、マガダ国のラージャガハの都で、ボーディサッタ(菩薩、この場合お釈迦様の前生)はマガダ国のマチャラ村の大家の息子として生まれた。かれはマガ童児(恵み深き者という意味、帝釈天の別名)と名付けられた。長じて彼はマガ青年と呼ばれ、結婚して息子や娘に恵まれ、五戒を守って暮らしていた。
 
その村には家が三十軒あった。村人たちが村の中央で立ち仕事をしていた。ボーディサッタは、立っている場所の土ぼこりを足で除いて、その場をきれいにして立っていた。そこへ、他の一人がやってきて、その場所に立った。ボーディサッタは、別の場所をきれいにして立った。そこへまた、他の者が立った。という具合にボーディサッタは全員の立つ場所をきれいにした。
 
またほかの時はその場所に天幕(テント)を張った。さらには会堂を立てて、腰掛板を置き、水瓶を置いた、時がたつにつれて、その三十軒の人々もボーディサッタと同じ志を持つようになった。ボーディサッタは彼らに五戒を守らせ、彼らと一緒に善行を行っていた。
 
彼等は朝早くに起き、鎌や槌を手にして、四辻などの岩石を槌で砕いて除き、車の軸にぶつかる樹木を取り除き、でこぼこしているところを平らにし、橋を架け、池を掘り、会堂を建て、施しを行い、戒めを守った。こうしてほとんどすべての村の住民が、ボーディサッタの訓戒に従い、戒めを守った。
 
 
ー悪い村長がマガ青年を陥れようとするー
 
さて彼らの村の長は考えた。
 
「以前は、こいつらが酒を飲み、生き物を殺すなどしてくれたので、酒代や罰金と税金によって、俺は財産を得た。だが今は、マガ青年のせいで収入が得られなくなってしまった。」と腹を立てて、王にマガ青年たちを誣告した。
 
「王様、大勢の盗賊どもが村の略奪などをして回っております」
 
王様はよく調べもせずにマガ青年たちを捕縛して連れてこさせた。
 
「この者たちを象に踏みつけさせよ」
 
王は村人をを王宮の中庭に寝かせておいて、象に連れてきた。ボーディサッタは、彼等に訓戒を与えた。
 
 
ー慈しみの心により危難を切り抜けるマガ青年ー
 
「あなたがたは、戒めに心を傾けなさい。中傷したものにも、王にも、象にも、自分の身体にも、等しく慈しみの心を起こしなさい。」
 
彼等は、その通りにした。すると王臣が彼らを踏みつけさせようと象を引っ張ったが、象は引っ張られても近づこうとせず、大きな叫び声をあげて逃げ出した。次々に別の像を連れてきたが、いずれも同じように逃げ出した。
 
王は、「この者たちの手の中に、何か薬があるのだろう」と考え、調べるように命じたが、何も見つからなかった。
 
「では何か呪文を唱えているはずだ。その者たちに問うてみよ。」
 
王臣たちは尋ねた。ボーディサッタが、
 
「おります」と答えた。王は彼らを全員呼び寄せて、
 
「おまえたちの知っている呪文のことを話してみよ」と言った。
 
ボーディサッタは答えた。「王様、別に私どもに呪文なるものがあるわけではありません。ただ私ども三十人は、生き物を殺さず、与えられないものを取らず、よこしまな性関係を結ばず、嘘をつかず、酒を飲みません。慈しみの心を培い、施しを行い、道路を平らにし、池を掘り、会堂を建てます。これが私どもの呪文であり、護呪であり、繁栄であります」
 
王は、彼等を信じて中傷した者の財産をすべて彼らに与え、中傷した者を彼らに奴隷として与えた。その象と村とを同じく彼らに与えた。
 
 
この説話の主人公マガ青年は在家の青年で、この説話には僧侶は登場しません。彼らは五戒を守って生活していました。五戒とは不殺生戒(生き物を故意に殺してはならない)、不偸盗戒(他人の者を故意に盗んではならない)、不邪淫戒(不道徳な性行為を行ってはならない)、不妄語戒(嘘をついてはいけない)、不飲酒戒(酒などを飲んではいけない)です。
 
マガ青年はまず掃除をすることからスタートします。掃除を重視するのは神道と仏教の共通点。やがて彼に賛同者が現れました。彼らは村の開発を始めます。
 ・道路を整備した
 ・橋を架けた
 ・溜池を作った(農業用と飲用でしょう)
 ・会堂を建てた(涅槃経に出てきますが、
  仏教では話し合いで政治をすることを
  重視しています)
そして施しを行い暮らしていました。
 
次に悪者が出てきます。悪い村長は村人の悪を取り締まることで私腹を肥やしていました。これは「法を網する」と言い、儒教でも下等な統治とされているやり方です。取り締まり法規ばかりを作って、庶民の生活を改善させない政治です。こういう政治に頼っていると、やがて政治家が庶民の悪行を期待する、転倒した政治が行われるようになります。
 
そして追い詰められたマガ青年は慈悲を唱えます。運を天に任せるやり方は、現代人にとっては歯がゆいでしょう。慈悲を守って後は運を天に任せる生き方の現実的な効果はともかくとして、私が注目したいのは、マガ青年は自分の身体にも慈悲を行き渡らせよと説いていることです。他人ばかりを思いやるのは正しくないといっています。
 
ジャータカにはシビ王物語のように、非現実的な捨身の物語が数多く収録されています。自分の体を餓えた動物に食べさせるあれです。これがジャータカを単なるお伽噺として、現代人が一段低く見る原因になっています。しかし、このマガ青年の物語のように現実的な教えも、初期の仏教にはあったのです。
 
そしてマガ青年は呪文を否定しています。体を動かして、自分と周囲の人々の生活を改善し、慈しみの心を持って生きることは、呪文を唱えたり怪しげな万能薬に頼ることに勝るとしています。
 
この説話は、現代人が仏教に抱いているイメージを変えてくれます。逆に言うと行基菩薩や弘法大師など、社会とかかわりを持った僧侶は、この話に触れていた可能性があるでしょう。

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