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2017年3月 4日 (土)

占い

お釈迦様の占いに対する考えが分かる説話です。私の易占いとの関わりも書きました。
 
 
前兆判断をするバラモン前生物語(2-87)
 
 
迷信を信じて三宝を敬わず、邪見を抱きつつも豊かで財産あり、おおくの資産に恵まれたあるバラモンがマガダ王国のラージャガハに住んでいたという。彼は一片の布から吉凶判断をすることに秀でていた。
 
ある時彼は頭を洗った後に、衣服を着ようとして、衣装箱にしまっておいた彼の衣服にネズミがかじった跡があることに気が付いた。
 
「もしこのネズミがかじった服をこの家に置いておくと、大災難が起こるであろう。これは、厄の神にも等しい不吉なものである。息子や娘たちにも、また召使いたちにも与えることはできない。というのは、これを持つものすべてに大災難が起きるであろうから。だから墓場に捨ててしまおう。召使いにわたすと彼らは自分の物にしてしまうので、息子に捨てさせよう。」
 
そうして彼は息子を呼んで、そのことを告げ、「息子よ、おまえはそれを自分の手で触らずに、棒に引っ掛けて墓場に持っていき、それを捨ててから、全身を洗って帰ってきなさい」と使いにやった。
 
師(ブッダ)は早朝に墓地の入り口で六色の仏光を放ちながら坐っておられた。息子は、父の言うとおりに、服をヤモリのように棒の先にかけて(モズのはやにえのこと)墓場の入り口に到着した。そこで師は彼に向かって語り掛けた。
 
「何をしているのか?若者よ」
 
「ゴータマよ、この衣服はネズミがかじったもので、厄の神に等しく、毒蛇の猛毒のようなものですが、私の父が『ほかの者に捨てさせると欲を起こしてとってしまうであろう』と心配して、わたしを使いに出したのです。」
 
「それならば捨てなさい」
 
息子が捨てると、師は、
 
「これらはわたしたちに対する布施にふさわしい」と言って彼の面前で不吉なものを取った。
 
「ゴータマよ、これは厄の神のようなものであります。どうか手に取らないでください」
 
息子は急いで家に帰って父に告げた。
 
「あれは不吉なもので、どんな修行者であっても、ゴータマでも災難を受けるだろう。ひいては私まで非難されるだろう。修行者ゴータマにほかの多くの衣服を与えて、それを捨てさせよう」
 
彼は多くの衣服を手に持って、息子とともに竹林園に赴き、師を見て片隅に立ってこのように言った。
 
「ゴータマよ、その衣服は不吉です。あなたがそれを着られると、災難が起きるでしょう。僧院全体にも災難が降りかかるでしょう。もしもあなたがたの下着あるいは衣服で使えないものがあれば、これらの衣服を取って、それを捨ててください。」
 
「バラモンよ、われわれは出家である。われわれには、墓場、町の中、ゴミ捨て場、浴場、大通りなどのような場所に捨てられ、落とされた布切れがふさわしいのだ。」
 
 
  吉凶判断や、占い、夢占い、観相を頼ることのない人は、
  吉凶判断のあやまちから離れている
  かれは、種々の煩悩から脱し
  輪廻の生存に赴くことはない
 
 
このように法を説いた時、バラモンは息子とともに<聖者の最初の境地>に達した。
 
 
<解説>
お釈迦さまが占いやまじないを否定したのは昔から明らかでした。しかし実際にどのような態度をとったのかは正統なお経にはあまり記録されていません。なぜなら正統な仏教も多かれ少なかれこれらの呪術を取り入れてきたからです。
 
この説話はお釈迦さまが「ゴータマ」と姓で呼ばれており、またお釈迦さまが修行者として町の人に扱われており、立派な僧院ではなく墓場で朝の修行をしていることから、間違いなくお釈迦様生前の逸話です。
 
お釈迦様の態度は非常に合理的です。このお話ではお釈迦さまは墓場で朝のお散歩をしています。バラモンが墓場に不吉な布切れを捨てるように息子に指示したことからわかるように、当時のインドでも墓場は気持ちの良い場所ではなかったようです。お釈迦さまは無常を悟るために、あえて墓場のようなところで座禅を組むこともありました。
 
お釈迦さまは出家者には粗末な布切れで作った衣服を身に着けるように決めました。これを糞払衣(ふんぞうえ)といいます。便所掃除に使うような布切れで作った服という意味です。ですので、バラモンが捨てた衣服を着ることは戒に適合しています。しかし、息子の目の前で着て見せたのは、彼等の迷妄を払うためにわざとしたのでしょう。
 
このバラモンは、占い師ですが自分の職業に誠実であったことが短い描写からわかります。不吉と判定された布を家族だけでなく、召使が身に着けることを心配しています。身分差別が厳しいインドにしては誠実な考え方です。そして、不吉な布を着たお釈迦様のことを心配して、上等な衣服を改めて献上しようとしています。自分の占いに誠実だったのです。これが、お釈迦さまが、これ見よがしに息子の前で衣服を着て彼を教化しようと考えた原因ではないかと思います。
 
この話には、お釈迦さまが不吉な布を着た結果どうなったかは書かれていません。意味がないからでしょう。布の色形が幸運や不吉をもたらすことはないからです。
 
個人的な経験から言うと、真剣に行った占いというのは実際当たります。しかしそのうち、自分に災難を避けようという気持ちがないと、いかに易がアラームを出してくれてもそれを受け取ることができないことがわかりました。
 
災難を避けるのも幸福に飛び込むのも自分の気持ち次第であることが分かったのです。つまり占いをする前から決まっていたのでした。盲目になっていればいくら難卦が出ても人は災難に飛び込むし、何かの導きで物事がうまくいく時は…そういう時は不思議と占って決めてみようという気は起きないのです。
 
人事を尽くした結果であるので、悪い結果でも避けようとは思わないからです。おそらく占いをしたくなる時というのは、無意識のうちに何か自分の努力が十分でないことに気が付いている時なのでしょう。それに気が付いた時、自然と筮竹を触らなくなりました。
 
しかし、自分が易経六十四卦の中でどのような状況にいるのかは、占いをしなくなってからかえってはっきりとわかるようになりました。お釈迦さまは吉凶判断は余計な因縁(カルマ)を作ると何度もいっています。将来が分かる(わかった気になる)ことは果たしてその人を自由にするのでしょうか?

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