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2017年3月22日 (水)

ジャータカ(十四)…大乗仏教の萌芽

ジャータカには様々な年代の説話が収録されています。お釈迦さま生前の逸話、十大弟子の逸話から、教団が強大になって王や都市の商人から保護された時代、仏教の中心が北インドのカシミールに移行した時代、おそらく前後五百年くらいの説話が収録されています。
 
その中には、大乗仏教の萌芽とみられる説話が見受けられます。ヒンズーの神々や天神がお釈迦さまに話しかけたり、お釈迦さまが超人的な力を発揮する話などです。また、アジャータサットゥ王の説話やコーサラ国のヴィドーダバ将軍によってカピラバットゥが滅びた話など仏教説話でおなじみの話も出てきます。
 
 
 
言語にとらわれない空の観相を会得することを悟りととらえる立場、それが般若思想です。大乗仏教の基本的な思想の一つ。般若が初めて出てくる説話を紹介しましょう。空は哲学的にはナーガルジュナ(龍樹菩薩)によって空論として完成されます。修行してこれを体得することを重視するのが禅宗です。
 
 
(1)空の萌芽と禅定の絶対視
「禅定の楽しみ前生物語」(2-134)
 
サンカッサの町の入口で師がおっしゃたことを法の将軍サーリプッタが詳しく説明した。
 
昔ボーディサッタ(菩薩:お釈迦様の前生)が森の中で臨終のときに、「想にあらず無想にあらず」と言った。(これに対して最上の高弟が解説をしたが)苦行者たちが受け入れなかったので、ボーディサッタは光音天から降りてきて、空中に立って、次の詩を唱えた。
 
 
  想のあるものも苦しみをもち
  想のないものもまた苦しみをもつ
  この両方をすてなさい
  この禅定の楽しみこそ、清浄である
 
 
このようにボーディサッタは法を示してから、弟子の徳を語り終わって梵天の世界に帰った。その時から、残りの苦行者たちは最上の高弟(サーリプッタの前生)を信ずるようになった。
 
 
〈解説〉
これはおそらく、お釈迦さまが臨終の際につぶやいた言葉に対して、サーリプッタの流れをくむ弟子たちが解明を試みたことを表しているのでしょう。涅槃経にはお釈迦さまが臨終の際に様々な精神的階層を行ったり来たりしたことになっています。臨終の人の精神状態を外から見て克明に実況中継することはできないので、これは後世の学者が付け加えたものです。しかし、何かもとになるようなお釈迦様の言葉があったのかもしれません。
 
大パッリパーナ経ではお釈迦さまは非想非非想処を通って亡くなったことになっています。おそらく、お釈迦さまは弟子たちから臨終の際に精神の境地を尋ねられて、第134話の「想にあらず、無想にあらず」と答えたのではないでしょうか。
 
初期の仏教には精神の境地を細かい階層に分類して評価する発想はありませんでした。しかし第134話には、臨終のお釈迦様の境地を悟りの基準にしようとする発想が見受けられます。
 
サーリプッタで思い出すのは空を説いた般若心経と般若経は、お釈迦さまがサーリプッタ(舎利弗、舎利子)に語りかける形式をとっていることです。第134話と第135話から、サーリプッタの流れをくむ人たちの中から、言語にとらわれない精神状態を空とみなす思想が生まれたのではなかろうかと私は考えています。
 
また、この詩は禅定することが正しい修行であると断定しています。お釈迦さまは心と身体を落ち着けることを重視しましたが、それは何もせずにじっとしていることを意味してはいませんでした。しかし第134話の詩は想念が生まれない状態を最上の修行としています。
 
これは修行僧にしかできないことを特別視しようとする思想の萌芽と言えます。
 
 
 
(2)禅定を絶対視しない立場からの反論
果たしてそのような生活に支障が出てきそうな修行を最善とお釈迦さまが評価していたのか。ジャータカの第101話(「狭い胎内で苦しんだ王子前生物語」のすぐ後)にはこんな詩すら残されています。
 
 
  智慧のない者が、百人以上も集まって、
  百年ものあいだ、禅定を修したとしても、
  語られたことばの意味を知る、
  智慧あるたった一人のほうがすぐれている。
  (2-101)
 
 
これは前生の物語も現生の物語も全くなく、詩だけが残っている説話で、お釈迦さま本人の感興の詩である可能性が濃厚です。お釈迦さまは、ただ単に僧院の中でじっとしているだけの修行に価値を見出していませんでした。
 
般若とは智慧のことだということになっています。世間から離れて禅定するだけになってしまいがちな、空を奉じる研究者は、そのような非難に対して自己防衛をする必要性を感じていたのでしょう。そこで空こそが智慧であると言い始めたのではないかと考えられます。
 
禅定と智慧を結び付けようとサーリプッタの流れをくむ研究者たちが苦労したことは次の第135話にも表れています。
 
 
(3)敬神を重視する立場
「臨終のボーディサッタ前生物語」(2-135)
 
昔ボーディサッタは森の中で臨終を迎え、弟子たちが質問したのに対して、「日光、月光」とだけ言って、光音天に生まれた。
 
(これに対して最上の高弟が解説をしたが)苦行者たちは最上の高弟を信じなかったので、ボーディサッタが下りてきて、空中に立ち、次の詩を唱えた。
 
 
  この世で、智慧によって、
  月光と日光とを修得するものは、
  無念の禅定によって、
  光音天に生まれるであろう
 
 
このように、ボーディサッタは苦行者たちを目覚めさせ、最上の高弟の徳を述べて、梵天の世界へ帰って行った。
 
 
〈解説〉
これもお釈迦さま前生の臨終の話になっています。けれども、これはお釈迦さまが臨終で昏睡状態になった時につぶやいた言葉をどう解釈するかで教団内に論争があったことを示唆しています。また、サーリプッタの弟子たちの回答を、修行を重視する人たち(ジャータカでは苦行者と表現されている)が受け入れなかったことも推測できます。
 
サーリプッタはお釈迦さまに先立っていますので、お釈迦様の臨終の言葉に解を出すことはできません。そこで、お釈迦さまが前生で臨終を迎えたときに、サーリプッタの前生が解説をするという込み入った設定を編み出したと考えられます。そしてその答えに権威を与えるために、超自然的現象が起きたという大乗仏典の常套手法がここにも出てきます。というよりはおそらくジャータカの第134話と第135話がこの手法の嚆矢ではないでしょうか。
 
お釈迦さまは個人的には釈迦族として、自分は太陽神の子孫であると信じていました。それは太陽神を称える詩が、教団で暗唱されていたことからも明らかです(1-4)。また、灼熱の地インドでは、月神が慈悲ある神様として崇拝されています。したがって、臨終のお釈迦さまが、太陽神と月神に祈りを捧げてもおかしくはありません。
 
お釈迦さまは無神論を説いたわけではありませんでした。この世に永続するものは無いと言っただけです。ましてや、お釈迦さまが生きていたのは古代なのです。当時のインドに住む人間として、当然のことながら自然を崇拝していたはずです。だからお釈迦さまが臨終にあたって、太陽と月に祈りを捧げるのは十分にありうることです。
 
お釈迦様の臨終に立ち会ったアーナンダ(阿難陀、阿難)とその流れをくむ者にとり、それは自明のことでした。やがてアーナンダは在家信者の中に入っていく道を選び、アーナンダの流れをくむ者たちがジャータカの前半部の核を作りました。
 
それに対して哲学的観相を重視したサーリプッタの弟子たちは、言葉にとらわれない世界把握という概念を生み出します。これを大成したのが龍樹菩薩で、アーナンダとサーリプッタの流れはやがて北インドで再び出会い、大乗仏教を生み出すのです。

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