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2017年3月12日 (日)

苦行への態度

ジャータカの第十章に、正当な経典からは漏れたお釈迦様の逸話がいくつかまとめて載っていますのでご紹介します。まず一つ目はお釈迦さまが苦行をどう捉えていたかについての説話。

 

 

「修行する清浄行者前生物語」(2-94)
 
師がヴェーサーリーの近くのパーティカ園に滞在しておられたとき、スナカッタについて語られた。
 
ある時、スナカッタは、師の侍者として托鉢をして回るうちに、コーラクシャトリヤの教えを気に入って、十の力を持つ人(仏)の衣鉢を返上して、コーラクシャトリヤの弟子になった。彼は在家者となって師の教えをこのようにそしった。
 
「修行者ゴータマには、人間を超えた教えはない。また特にすぐれた最勝智見はない。修行者ゴータマは、思惟にもとづき、自己の見解である法を説く、たとえ人のために法を説いても、その人は苦悩の滅尽に導かれることはない」とヴェーサーリーの三城壁の中を歩き回りながら、師の悪口を言っていた。
 
(スナカッタがお釈迦さまを誹謗していることをサーリプッタが報告し、それに対してお釈迦さまは自分は神通力を持っていることを誇示するのですが、これは後世の付け足しでしょう。)
 
これに対して、お釈迦さまは、前生で自分がアージーヴィカ教徒として出家していたことがあると説き始めます。
 
その時わたしは裸で塵芥にまみれていた。また一人で住んでおり、人々を見ると鹿のように逃げた。種々の変わった食べ物、魚や牛のふんなどを食べていた。精進するために森の中にある恐ろしい場所に住んだ。
 
そこに住んでいるときには、雪の降るころの八日間、夜は森の中から出て原野に住み、太陽が昇ると森の中に入った。またかれは、夜は原野で雪水が湿り、同じように昼は森林から流れ落ちた水滴に濡れた。このように夜も昼も、寒苦を忍んだ。
 
暑期の最後の日には、昼は荒野に住み、夜は森の中に入った。かれは、昼には荒野で暑さのために苦しみ、同様に夜は風のない森の中にあって、暑さに苦しんだ。体には汗がたらたら流れた。
 
その時彼に、いままでに聞いたことのない次の詩が現れた。
 
 
  暑さに苦しみ、寒さに苦しんで、
  独り、森林の中で、
  裸で、火にもむかわず、
  師は、求めるところにまっしぐらである。
 
 
このように、四種の完全な梵行を行ったが、死ぬときに地獄の相を見て「これに執着することは無益なことである」と見破って正しい見解を得て、天界に生まれた。
 
 
<解説>
さて、この説話の舞台はヴェーサーリーというコーサラ国とマガダ国の中間にある城壁都市です。ここはリッチャビ族というお釈迦さまの教えに好意的な部族が住んでいた地域で、大パッリパーナ教(お釈迦様の最後の旅の様子を記録した経典)の舞台です。第十章には、お釈迦様の臨終にあたって、アーナンダが取り乱した話も収録されており、ジャータカの第十章が大パッリパーナ経から漏れた話を集めたのではないかという推測が成り立ちそうです。
 
お釈迦様の侍者はアーナンダということになっていますが、お釈迦さまが教えを説いた五十年間ずっとアーナンダが侍者だったわけではないでしょう。アーナンダは大パッリパーナ経に登場することから、晩年の侍者だったと考えられます。この話にはお釈迦さまに先立ったサーリプッタが登場するので、まだアーナンダが侍者になる前の話なのでしょう。
 
以上のことから大パッリパーナ教は、コーサラ国でもマガダ国でもない、中間地域に残るお釈迦さまの伝承を集めた経典である可能性が出てきます。大パッリパーナ経に出てくる説話のお釈迦さまはとても生き生きとしています。尖った石を踏めば痛がり、お腹を壊して苦しみます。正直に暮らす弱小部族を守ろうとしてマガダ国のアジヤータサットゥ王に立ち向かいます。町の名士よりも、遊女からの招待を優先します(古くからの信者で先約だったから)。在家信者との交流をいかに大事にしていたかが随所に出てきます。都市の哲学的な研究者によって改変されていない、生のお釈迦様の姿を涅槃経やジャータカに見ることができます。
 
お釈迦さまが身の回りの世話をする侍者に逃げられたことは、はっきり言って教団にとって都合の良い話とは思えないので、正統な経典にはこの話は載っていません。それだけに、これは史実でしょう。スナッカッタに対して、お釈迦さまは特に評価はしていません。
 
スナッカッタはお釈迦様の教えに対して、「信じても超人的な力を得ることができない、特別すごい理屈もない、自分で考えてたどり着いた教えを説いている(神霊から得た不可思議な啓示ではない)」と誹謗していますが、これは初期の仏教の教えそのものです。スナッカッタはお釈迦様の教えを正しく理解していましたが、修行によって超人的な力を得たいと思って(得られると思って)、厳しい修行をするアージーヴィカ教に改宗してしまったのです。
 
これに対して、お釈迦さまは自分は前生にアージーヴィカ教徒として修業していたといいますが、これはジャータカの記録者の改編で、おそらく自分の苦行の経験そのものを弟子たちに説いたのでしょう。不衛生なものを食べたり、寒いときにわざと寒いところに居住し、暑いときにはわざと暑いところに居住したりしたそうです。これにより、頭の中に自分を鼓舞する詩が浮かんできたそうです。これは人が生命の危機に陥った際(臨死体験や登山者の高山病、軽い例ではマラソンのランナーズハイ)に実際に生じることで、この発言にはリアリティーがあります。これもお釈迦さまの実体験ではないでしょうか。
 
しかし、お釈迦さまは苦行によって死の淵に立ったが、その結果苦行もまた執着であり、結果として地獄に落ちる(苦しみから逃れることはできない)と悟ったといっています。
 
正統な経典にも、お釈迦さまが苦行は無益と悟ったことが説かれていて、その苦行の様子も出てきます。この説話の描写はそれと一致しています。しかし、その結果苦行ハイとでもいう状態に到達したことまでは書いていません。おそらく苦行を肯定的に考える修行者が出ることを、経典の編集者は危惧して、経典には掲載しなかったのでしょう。
 
この説話の最後でお釈迦さまは、「苦行は梵行(清浄行)であるが、執着すると地獄に落ちる」という分かりにくい評価を下しています。いろいろな考え方があるのでしょうが、わたしは人によっては苦しい修行も必要だが、その過程で出会う不思議体験に執着してはいけないとお釈迦さまは説いたと考えたいです。 

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