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2017年4月15日 (土)

サーリプッタ

正史が伝えるサーリプッタはいかなる人物だったのでしょうか。
 
中村元の「仏弟子の生涯」によると、サーリプッタはブッダの弟子のうちで最も有力な人であり、マガダ国の首都であったラージャガハの北の方にあるバラモンの家に生まれました。かれは、「智慧第一」とたたえられ、お釈迦さまは彼を非常に信頼し、彼を後継者とみなしていたこともありました。彼はお釈迦様の教えを、万人にわかるように、合理的に整理し、また特に慈悲の精神を強調したことでも知られているとあります。
 
サーリプッタは最初のうちは懐疑論者であるサンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子でしたが、マハー・モッガラーナとともにお釈迦さまに帰依したといわれています。
 
釈迦十大弟子のうちでも第一に挙げられる人で、「教えを伝える将軍」とたたえられました。
 
彼の最初の師サンジャヤは当時有力な思想家でしたが、サーリプッタは幼馴染のモッガラーナと共に彼のもとで一緒に修行をしていました。ときに、サーリプッタはアッサジ(お釈迦様成道後最初に弟子になった五人の一人)が托鉢のためにラージャガハに入ってきた姿に心打たれて「誰を師としているのか?誰の法を楽しんでいるのか?」と尋ねたところ、アッサジは自分はお釈迦さまの弟子であると答え、次の詩句を唱えたといわれています。
 
 
  諸々の事柄は原因から生ずる
  真理の体現者はその原因を説き給う
  諸々の事物の消滅をもまた説かれる
  大いなる修行者はこのように説き給う
 
 
そこでサーリプッタは法の目を開いたといわれています。これは、それ自身で成立しているものはなにもあり得ないという因縁を説いた詩句でした。中村元によると、サーリプッタが因縁説を聞いてお釈迦さまに帰依したことは、ジャイナ教の経典にも記録されているそうです。
 
ついでモッガラーナもアッサジから教えを聞いて帰依し、二人はサンジャヤの弟子である250人を引き連れてお釈迦様の弟子になりました。サンジャヤは痛憤したといわれます。あるいはサンジャヤはすでに死去していて、サーリプッタとモッガラーナは後継者として250人を率いていたという記録もあります。
 
中村元は、懐疑論者の後継者であるサーリプッタがお釈迦さまに帰依したことは、当時のインド思想界において一大事件であったろうと推測しています。仏教が懐疑論を克服したことを意味するからです。もっとも初期の経典である「スッタニパータ」のアッタカ篇やパーラーヤナ篇のような最古層に懐疑論的表現が多いのは、サーリプッタら懐疑論者が仏教教団の核にいたからだろうとしています。
 
しかしサーリプッタは理知的で、もってまわった表現を嫌っていたことも、ジャータカに残る彼の逸話からも推測ができます。懐疑論者としての彼の姿と矛盾しています。あるいは、この矛盾こそが、彼が懐疑論をすてて、お釈迦さまに弟子入りした理由だったのかもしれません。 
 
 
サーリプッタは思想家としてはスッタニパータなどの経典に残るような、懐疑的な論法を駆使しましたが、実際の彼ははっきりとした物言いを好む人であったと考えられます。ジャータカでサーリプッタがいかに描かれているかは次回以降解説します。

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