感興の詩
ジャータカの第230話あたりにわかりやすく原始仏教の教えを説く詩があったのでご紹介します。
「アシターブー前生物語」(3-234)
美しい少女が嫁入りしたが、夫は浮気ばかりしていたので、新妻は出家をした。彼女を取り戻しに来た夫との間の応答の詩。
〈アシターブー:元妻〉
あなたに対する愛情はなくなりました
これはいまあなたがなさったことです
のこぎりで切り取られた象牙のように
この愛情はふたたび結び付けられません
〈浮気な夫〉
高望みをして、欲が深すぎて
欲の深さに目がくらんで
人は真の利益を見失う
わたしがアシターブーを失ったように
「ヴァッチャナカ前生物語」(3-235)
マッラ人(末羅国:ヒマラヤ山麓の国)のロージャがアーナンダと親しくなり、かれを還俗させようと誘惑する。それに対するアーナンダの答え。
〈マッラ人〉
家は楽しい、アーナンダよ
黄金があり、食物がある
そこでは、食べて、飲んで、
苦労知らずに眠れるのだ
〈アーナンダ〉
努力しない者には家はなく
いつわりの話をしない者には家はなく
ムチが与えられないもの
他をだまさない者には家はない
このように欠陥あり
制御しがたい家にだれが入るであろうか
〈解説〉
ジャータカではアーナンダの部分はお釈迦様の前生のヴァッチャナカになっていますが、おそらくアーナンダの実話なので呼びかけを「アーナンダ」変えました。
マッラ国は仏教の経典に出てくる十六大国の一つです。リッチャビ族の国よりもさらに北のヒマラヤ山麓にあった国とされています。リッチャビ族の説話にはアーナンダがよく登場します。アーナンダが頻繁に布教に出向いていたのでしょう。
その際にマッラ人と意気投合し、そのマッラ人はアーナンダを引き留めようとしたのだと思います。おそらく還俗させて娘の婿にしようとしたのでしょう。これはそれに対するアーナンダの答えです。
正しい人には家はないというのは逆説的です。しかし、世俗の財産や身分は拠り所にならないという仏教の基本的な考えに沿った詩です。
「サーケータ前生物語」(3-237)
バラモンのサーケータの問いかけに対するお釈迦様の答え。
〈サーケータ〉
世尊よ、この世において、
ある人に対しては全く愛情が無くなり
ある人には心が喜ぶのは
なぜでしょうか?
〈お釈迦さま〉
前生において一緒に住んだために、
あるいは現在得られる利益のために
青い蓮が水中に生ずるように
この愛情は生ずる
〈解説〉
これは「サーケータ前生物語」(1-68)の続きです。このことから、第230話~240話はジャータカの第一篇の断簡ではないかと私は考えています。
サーケータ前生物語は、お釈迦さまがある村で老人から急に「息子よどこへ行っていたのだ」と言われて家に招待され、お釈迦さまがおとなしくその歓待を受けた話です。不思議がる弟子たちに対して、お釈迦さまはこのバラモンと私は遠い前生で親子であったのだと解説しました。
現代人にとっては、非現実的で信じがたい話ですが、あるいは実際にそういうこともあったのかもしれません。
「一語前生物語」(3-238)
利益に至る門とは何かという子供の質問に答えられなかった在俗信者に対して、お釈迦さまが与えた答え。
〈息子の質問〉
さあ、お父さん
いろいろな意味を持った言葉にもとづいた
真理を表す一語を教えてください
わたしはその言葉を守ろうと思います
〈在俗信者の答え(お釈迦さまから教わった答え)〉
息子よ、堪能という一語は
種々の意味を持った言葉である
これが戒と結合し、忍耐によって完成されるのならば
友を楽しませ、敵を苦しめるのに十分だろう
「青ガエルの子前生物語」(2-239)
魚を食べる蛇が、人が仕掛けた網にかかってしまう。網の中で蛇は逆に魚につつかれてしまい、必死で網から逃げ出す。眺めていたアオガエルの子(お釈迦様の前生)は、それぞれ自分の領域・場所・餌場においては最強であることを説く。
〈蛇〉
わたしは水に棲む蛇であるのに
漁網の中に入った
すると魚たちはわたしにかみついた
青ガエルの子は、これをどう思う?
〈青ガエルの子〉
人の力の及ぶ限り
人は他を略奪する
また他の者たちが人を略奪するときには
その略奪された人がいずれ略奪をする
〈解説〉
被害者が立場変われば最大の加害者となることを説いています。弱いからと言って善ではないと説いているところがリアルだと思います。
この話の枕はコーサラ国のパーセナディー王とアジャータサットゥ王(阿闍世王)の戦いです。コーサラ国王は姉をマガダ王国のビンビサーラ王に嫁がせ、生まれた王子がアジャータサットゥ王でしたので、パーセナディーにとってアジャータサットゥは甥でした。アジャータサットゥ王の時代に、マガダ国はコーサラ国に対して攻勢に転じます。
攻守が入れ替わる説話は、おそらくパーセナディー王からの問いかけに対するお釈迦様の答えでしょう。後で説明しますが、コーサラ国王のパーセナディーとお釈迦さまは親友でした。ここは手塚治虫の「ブッダ」は史実と正反対になっています。
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