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2017年4月22日 (土)

法の将軍サーリプッタ

サーリプッタは優しく人間味ある人でした。しかし、不真面目な弟子などがいると、厳しいことを言って突き放すこともありました。ここら辺は、人付き合いが上手で、権力者や在家信者をうまくあしらったアーナンダと異なるところです。
 
ジャータカではサーリプッタは「法の将軍」と呼ばれています。彼の生前のニックネームだったらしいです。仏教でいう法とは人間が生きていく上で必要とされる法則のことです。法の将軍とは、自己統制がとれた人という意味になるでしょう。
 
仏教信者がサーリプッタをお釈迦さまの次に尊重していたことは説明するまでもないので、それではごく普通の人からはどのようにみられていたのかをジャータカの説話から探っていきましょう。
 
 
「利得の非難前生物語」(3-287)
 
サーリプッタの弟子が長老に近づいて「私に利得を得る方法を教えてください、尊師よ」と尋ねた。これに対してサーリプッタ長老が答えた。
 
「友よ、四つの条件を備えていれば利得と尊敬が得られる。
  自分の心の内にある恥じらいを絶て(厚顔無恥であれ)
  修行者の生活を放棄せよ
  正気であっても気狂いのようにふるまい、人の悪口を語れ、
  踊り子のように媚態を見せ、無駄口をたたき、騒ぎを起こせ」
 
弟子は憤然としてその場を去った。
 
  正気の者、人の中傷をしない者
  踊り手でない者、騒がない者
  彼は愚者の間で利得を得ることはない
  これがおまえにたいする教えである
 
  何と厭わしいことか
  この名声と財宝を得ることは
  バラモンよ、自らを滅ぼし、
  悪を行うことによって成り立つこの生活は
 
  鉢を手にして、家なく
  遊行したとしても
  この生活の方が悪によって
  望みをかなえるよりましである
 
 
このようにサーリプッタは出家生活の徳を唱えた。
 
 
「黄衣前生物語」(3-221)
 
マガダ国の都城ラージャガハにサーリプッタが500人の仏弟子とともに滞在していた時、デーヴァダッタも仲間とともにガヤーシーサに滞在していた。
 
その時、ラージャガハの商人が教団に布施をし、美しく良い香りのする衣を集めていた。そして、サーリプッタに布施するか、デーヴァダッタに布施するかで議論になった。
 
「サーリプッタ長老は数日間滞在しては気の向くままにどこかに行ってしまわれる。デーヴァダッタ長老はわたしたちの近くにずっと滞在し、吉凶いずれに対しても私たちの頼りになる方だ、デーヴァダッタ長老に贈ろう。」
 
こうして、商人たちはデーヴァダッタに布施をした。
 
 
〈解説〉
サーリプッタの人となりがよく表れている説話。世俗的な利益を期待して質問をした弟子に対して、「愚か者としてふるまえば利益が得られます」とマジレスをしています。彼はこういう不純な考えが耐えられない人だったのでしょう。ただ、お釈迦さまであれば、弟子の不純な動機を受け入れつつも、良い方向へ教え導く話をしてくれそうな気もします。
 
二つ目の話では、在家信者の間でサーリプッタは淡白だとみなされていたことがうかがえます。彼はお釈迦様の教えをよく守り、遊行生活を実践していたのでしょう。そして一か所に留まって在家信者に馴れることを避けていたようです。
 
それに対して、デーヴァダッタのグループは一か所にとどまって厳しく戒を守り、苦行を実践していました。普通の人にとってはずっとそばにいてくれる人の方が、何となく頼もしく感じられるものです。また、厳しい苦行に打ち込むデーヴァダッタの教団に、超自然的な力を期待する向きもあったのでしょう。在家信者はデーヴァダッタの方に布施をしました。
 
以上から浮かび上がってくるサーリプッタは、私心が全くない人です。自分のために何かをするということが全くありませんでした。しかし非常にまじめで、どんな人から受けた質問に対しても、本気で受け答えをするような人だったようです。しかし、他人の心が分からなかったわけではありません。人の命を救うためには、戒を破ることも厭いませんでした。
 
次はサーリプッタは弁が立つ人であることを伝えた説話です。
 
 
「小カーリンガ王前生物語」(4-301)
 
ヴァッジ国の都ヴェーサーリーには、7,700人のリッチャビ族が住んでいた。彼らはみな反問し吟味することを好んでいた。そこにあらゆる弁論術に精通したジャイナ教徒の男と女がやってきた。リッチャビ族は二人を議論させたが、甲乙つけがたかった。
 
「この二人から生まれた子は賢くなるだろう」と考えて彼らを結婚させた。二人の間に四人の娘と一人の息子が生まれた。父母は娘たちに次のように言い聞かせた。
 
「もしだれか在家の人でおまえたちを論破する者がいれば、その人の妻になりなさい。もし出家の人であったら、弟子になりなさい。」
 
娘はジャンプ樹の杖を携えて町から町へ議論の武者修行に出かけて、コーサラ国のサーヴァッティーにたどり着いた。都の門にジャンプ樹の杖を立てて、「誰でも私たちを議論で打ち負かすことができる者は、この土の山を蹴散らして杖を踏みにじるがよい」と子供たちに言い置いて、托鉢のために町へ入って行った。
 
さて、若い尊者サーリプッタは、掃除をして空の水瓶には水をくみ、病人たちを見舞った後、お昼近くなって乞食のためにサーヴァッティーに入ろうとして、杖を見て子供に訳を尋ねた。そして子供に杖を倒させてから「この杖を立てた者たちは食事後にジェータ林の門屋へきて私に会うがよい」と言った。
 
女ジャイナ教徒は杖が倒れているのを見て、子供に尋ねた。そしてサーリプッタ長老を尋ねた。彼女たちは千通りの議論を吹っ掛けたが、長老はそのすべてに答えた。そして長老は言った
 
「他に何を知っていますか?」
 
「知りません、先生」
 
「では私があなた方に何か質問をしましょう」
 
「お尋ねください、先生。知っていればお答えしましょう」
 
「一というのは何ですか」彼女たちはわからなったので、長老は答えを教えた。彼女たちはサーリプッタの弟子になった。長老は彼女たちをウッパラヴァンナー長老尼のもとで出家させた。彼女たちはみなほどなくして〈聖者の最高の境地〉に到達した。
 
〈解説〉
サーリプッタが相当弁論に秀でていたことを表す説話です。サーリプッタはジャイナ教の経典にも記録されていますので、本当に公開討論でジャイナ教徒に勝ったのかもしれません。
 
ここでも、サーリプッタは病人の世話をしていたことがさりげなく記録されています。この病人は都市の郊外にいたということなので、都市に住むことができない病人だったと考えるのが自然です。となるとインドならばピンとくる人は多いと思います。おそらく癩病患者(レプカ、ハンセン氏病)の世話をしていたのでしょう。
 
午前中は郊外で病気に苦しむ人の世話をして、午後に食後の腹ごなしに論客を破る、すごくかっこいいですね。
 
リッチャビ族は議論を好み、部族の方針を寄り合い会議で決めていたことが大パッリパーナ経に記録されています。理知的で弁の立つサーリプッタはリッチャビ族から尊敬されました。
 
サーリプッタは教団の良心でした。仏教でいう法(ダルマ)とは、人間が生きる上での法則のことです。「法の将軍」というニックネームがぴったりの人だったのでしょう。
 
最後に経典に残るサーリプッタの感興の詩を取り上げます。
 
 
「テーラガータ」より
1006 かれは、心静かに、やすまり、思慮して語り、心が浮つくことなく、もろもろの悪しき性質を吹き払う、風が樹の葉を吹き払うように
 
1007 心静かに、やすまり、思慮して語り、心が浮つくことなく、もろもろの悪しき性質を吹き捨てよ、風が樹の葉を吹き捨てるように
 
1008 心静かに、煩労なく、心が清く澄んで、けがれなく、性行がよく、聡明であり、苦しみを滅ぼすものであれ
 
1009 こういうわけで、ある在家の人々をも、さらに出家者をさえも、信頼してはならない、もとは善良であっても、のちに不良となる者どもがいる、また、もとは不良であっても、のちに善良となる人々がいる。
 
1010 官能的欲望と、害心と、ものうさと、ざわつきと、疑惑、これらの五つは、修行者にとって、心の汚れである
 
1011 尊敬を受けていても、また尊敬されていなくとも、どちらであろうとも、つとめはげんで生活する者は、精神の安定が揺らぐことがない
 
1012 瞑想し、堅忍不抜で、もろもろの見解を微細なところまで洞察し、執著を滅ぼすのを楽しんでいる人、かれを〈立派な人〉と呼ぶ
 
1016 わたしは、師(ブッダ)に仕えました、ブッダの教えを実行しました、重い荷を下ろしました、迷いの生存に導くものを根絶やしにしました
 
1017 怠ることなく、つとめ励めよ、これが私の教え諭しである、さあ、わたしは、円かな安らぎに入ろう、わたしは、あらゆる事柄について解脱している
 
 
 

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