マハーカッサパの伝説
お釈迦さまの死後に仏教教団の指導者となったマハーカッサパは、かつて結婚していましたが、何らかの理由で出家し、お釈迦さまの弟子となりました。
既婚者が出家するのは当時のインドでは珍しいことではなく、他ならぬお釈迦さまがそうでした。それどころか、夫婦でそろって出家をして、ともに天界に生まれ変わることを願う風習もありました。
マハーカッサパの結婚には不思議な説話が残されています。
彼は若い時から出家することを望んでいたが、親から結婚するように強制されたので、絶世の美女の絵を親に見せて、そっくりの女性を連れてくれば結婚しましょう、と言いました。しかし、親が美人絵そっくりの女性を連れてきたため、仕方がなく彼は結婚をしました。しかし、その女性も、同じく結婚を望んでいなかったため、二人は肉体的関係を持たないまま十数年が過ぎ、後に二人そろって出家をしたという伝説です。
さて、本当にそのような話があるのでしょうか?
ジャータカの第328話は、マハーカッサパの結婚伝説と全く同じ内容であり、マハーカッサパが後に神格化される過程で、弟子たちはこの説話を師匠に当てはめたと考えられます。これは在家向けの説話が、経典に取り入れられた例と言えるでしょう。
「悲嘆無用前生物語」(4-328)
昔ボーディサッタ(お釈迦さまの前生)はバラモンの家に生まれた。両親が彼を結婚させようとしたが、ボーディサッタは家庭生活を望んでいなかった。両親がどうしてもとせがむので、黄金の美女の像を作り、「このような娘が得られました結婚いたしましょう」と言った。
彼の両親は従者に命じて、黄金像を車に乗せてジャンプ洲(インドの古い呼び名)を探し回らせた。
さてそのころ、一人の福徳を積んだ人が梵天界からカーシ国のバラモンの家に娘として生まれ変わった。彼女はサンミッラバーシーニーと名付けられた。彼女は十六となったが、美しく、愛らしく、天女にも等しい相好を備えていた。彼女の心には煩悩が生じたこともなかった。
人々は黄金像を見てサンミッラバーシーニーと瓜二つであることに驚いた。嫁探しの一行はそれを聞き、サンミッラバーシーニーにを嫁にと所望した。
「わたしはご両親が亡くなられた後は、出家いたします。私は家庭生活を望んではおりません」とサンミッラバーシーニーは、ボーディサッタと全く同じことを言った。両親は「何をバカなことを言っているのか、娘よ」と言って黄金像を受け取り、大勢の従者をつけて娘を嫁に出した。
ボーディサッタとサンミッラバーシーニーは二人とも望んでいないのに結婚させられた。二人は同じ寝台で寝たのであるが、欲情を持って互いを見たことはなく、二人の修行者、二人の梵天のようにして一か所で暮らした。
やがて、ボーディサッタの両親が亡くなった。ボーディサッタは全ての財産を妻に譲って出家しようとしたが、妻も一緒に出家することを望んだ。二人とも苦行出家者となり、森の木の根や果実を食としてヒマラヤで修行した。
二人は、塩と酸味の物をもらうために、里に下りてきたが、やがて体の弱かったサンミッラバーシーニーは赤痢にかかって死んだ。ボーディサッタは静かに彼女をみとった。彼女のために里の者は葬儀をした。一向に悲しんでいる風に見えないボーディサッタを村人は不思議がった。それに対してボーディサッタは詩で答えた。
尊尼は多くの死者に混じりたり
死者は我に取りてなんの意味があろうか
さあればわれは悲しまず
いとしきサンミッラバーシーニーを
おのれにあらざるものを
いちいち嘆かば
わが身をこそ嘆くべかれ
絶え間なく死に向かふわが身を
止まらず、坐らず
横たわらず、進む者にあらざれば
目を瞬く間にも
寿命はすぎゆく
わが身は全きにいくものならず
別離も疑いなし
生き残りたるものにこそ心をかけ
死したるものを悲しむべからず
〈解説〉
元々この説話は、妻を亡くして悲嘆に打ちひしがれる在家信者のために、お釈迦さまが説いて聴かせた話です。詩の方にお釈迦さまが本当に伝えたかったメッセージが込められています。
愛しい者もやがては死ぬ。必ず別れの時は来る。既に死んだ者のことを嘆いても仕方がない。と説いています。お釈迦さまは、夫婦の情愛を否定してはいません。詩の中で、妻のことを「愛しい」と表現しています。
さらに注目するべきは、死んだ人のことばかり気に掛けるのではなく、生き残った自分そして周りの人たちのことを思い出してその人たちのために生きなさい、死者のために生きてはいけないと最後の句で言っていることです。
仏教を本来は死者を弔うためだけの消極的な教えではなかったことが分かります。
しかし残念ながら、正統派の経典は、お釈迦さまの前向きなメッセージが込められた感興の詩の方は無視して、枕のお伽噺だけと取り上げて、教団の祖であるマハーカッサパを神格化するための道具に使いました。言葉の真意というのはなかなか伝わらないですね。
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