パセーナディー王
〈釈迦族とコーサラ国〉
サーヴァッティーの教団では、釈迦族出身者は若干特別扱いされていました。コーサラ王家から保護されていました。カピラバットゥはコーサラ国の属国で、釈迦族とコーサラ国の王族は血縁関係があったともいわれています。そのため、コーサラ王家は教団内の釈迦族出身者を保護しました。お釈迦さまの従弟とされるアーナンダも、コーサラ王宮に自由に出入りしています。
このことと、コーサラ国によってカピラヴァットゥが滅ぼされたことがどうにも結びつきません。釈迦族の滅亡は、お釈迦さまとアーナンダの死後なのではないでしょうか。
お釈迦さまは、一族郎党をことごとく出家させたといわれています。養母マハーパジャーパティ、正妃ヤショーダラー、ラーフラの母ビンバーデーヴィー、息子のラーフラ、異母弟(マハーパジャーパティーの息子)ナンダもまた出家して、コーサラ国のサーヴァッティーに住んでいました。なぜお釈迦さまは、一族郎党のほとんどを出家させて、コーサラ国に住まわせたのでしょうか?
先にジャータカ(六)…楽しく住む者では、カピラヴァットゥの王位が貴族の持ち回り制であったことに触れました。お釈迦さまの父スッドーダナ(浄飯王)の次に王となったと思われるパッディヤもまた出家しています。さらにはお釈迦さまと同年同月に生まれた、チャンナも出家しています。彼はおそらくお釈迦さまの乳兄弟です。釈迦族の大量出家の理由は、宗教的な理由だけだったのでしょうか?
〈釈迦族とマガダ国〉
後にマガダ国がインドを統一し、マガダ国の後継者と称したアショカ王が仏教を保護しました。そのため仏典では、マガダ国は最初から仏教を保護していたかのように記述されています。
しかし、もっとも古い経典のスッタニパータやテーラガータに登場する人はコーサラ国人が多いです。ジャータカも主要な舞台はコーサラ国です。マガダ国は経典にはあまり出てきません。
仏教を保護したとされるマガダ国のビンビサーラ王にしても、成道前のお釈迦さまに対して、還俗して国家を率いることを勧めています。ジャータカは実はビンビサーラ王には好意的ではありません。お釈迦さまの教えを真面目に聴いていなかったと記録されています。マガダ王国は、必ずしも純粋に宗教的な理由だけで、お釈迦さまに近づいたわけではないようです。
マガダ国のビンビサーラ王はコーサラ国のパセーナディー王の姉を妻にもらい、二人の間にアジャータサットゥ(アジャセ)が生まれます。アジャータサットゥ王子は、クーデタでビンビサーラ王を打倒して王位につきます。ビンビサーラ王は失意のうちに亡くなりました。
アジャータサットゥ王は、パセーナディー王が姉の化粧領としてマガダ国に貸した土地を占拠しました。これをきっかけにパセーナディー王とアジャータサットゥ王の間で戦争が勃発します。ジャータカによると、戦争はマガダ国優位で推移したそうです。
アジャータサットゥ王は、お釈迦さまの従弟のデーヴァダッタを信頼して支援しました。どうやら、お釈迦さまの晩年からアーナンダの時代にかけて、仏教教団はマガダ国では振るわなかったとみられるのです。お釈迦さまの晩年から数十年間の仏典の記録は、リッチャビ族やコーサラ国に集中しているからです。
〈釈迦族とコーサラ王家は親戚だった〉
ここから、マガダ国が仏教を保護し、コーサラ国が釈迦族を迫害していたという通説が実は間違いである可能性が出てきます。コーサラ国と釈迦族は信頼しあっていて、仏教を保護したのもコーサラ国の方でした。お釈迦さまの晩年、アジャータサットゥ王の時代においては、仏教教団はマガダ国では振るいませんでした。お釈迦さまもマガダ国には足を踏み入れませんでした。
コーサラ国王のパセーナディー王はお釈迦さまと同い年であり、彼の妻は釈迦族でした。パセーナディー王はお釈迦さまと親しく会話していますが、これは両者が親戚同士で気の置けないなかであったからです。ジャータカでは、コーサラ国の王妃が、仏教の僧侶から政治的なアドバイスをもらうようにコーサラ国王に進言する説話がいくつかあります。また、マッリカー王妃という仏教を保護した女性がいたとされています。仏教は女性を通じてコーサラ王家に入り込んだらしいです。
「首飾りを盗んだ牝猿前生物語」(2-92)では、アーナンダは後宮に自由に出入りしています。これは、コーサラ国の王宮に釈迦族出身者がいたからではないでしょうか。
パセーナディー王は、お釈迦さまと八十歳になったことを互いに祝っているのに、別の経典では、息子のヴィドーダバ将軍によって王位を追われたことになっています。そしてヴィドーダバ将軍は、同時期にカピラヴァットゥを滅ぼしたとされています。
インドの記録は年代を正確に記録しようという意識が薄く、複数の人間の話を一人にまとめたりするので、すべてを真に受けるとつじつまが合わなくなります。中村元も、カピラヴァットゥ滅亡がお釈迦さま生前の出来事であったかどうかには疑義を挟んでいます。
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