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2017年5月24日 (水)

インド史空白の世紀

釈迦族が滅亡し、釈迦族を滅ぼしたコーサラ国も、アカイメネス朝ペルスス(アケメネス朝ペルシャ)とマガダ国に挟撃されて滅びました。その後、インド文明の中心地はペルシャとマガダ国との戦いによって大混乱し、古代インドの記録はほとんど残っていません。
 
古代から続くヴェーダやヒンズー教と言われるものは、千年くらい前にインドがイスラムの侵入を受けたときに、インド人の間で古代に復帰しようとする文化的な運動が発生し、その時に再構成された神話であり、お釈迦さまが生きていた時代にインド人が何を考えていたのか、どういう生活をしていたのか、どういう歴史があったのかははっきりとした記録はありません。
 
古代のインドの記録は、この時の混乱を逃れた周辺部に伝わった仏典にしか残されていないのです。
 
 

〈仏教の分裂〉

この戦乱によって、仏教教団は大まかに3つに分裂します。

1)釈迦族の滅亡と、コーサラ国の滅亡後、ジャータカにはヒマラヤの物語が増えます。おそらくアーナンダの系統の信者は、北インドに逃げて教えを保持したのではないでしょうか。北伝仏教の神秘主義的な流れの祖と考えられます。この系統とヒマラヤ土着の山岳信仰が合体したのがチベット密教です。

2)スッタニパータなどの原始的な経典は、西インドのパーリ語で残りましたので、西に逃げた信者もいたのでしょう。ナーガルジュナは南部インド出身といわれていますので、サーリプッタの系統はこちらに逃げたと考えられます。大乗仏教と南伝仏教の祖です。

3)後のアショカ王の時代に主流派となるのは、マガダ国に残ってヴェーダ信仰と融合した部派仏教でした。こちらは哲学的教理を追究する方向に発達しますが、最終的にイスラームに滅ぼされてしまったので、全容はよくわかっていません。

われわれ日本人が信じている北伝仏教は、1)と2)が現在のアフガニスタンあたりで合流し、中央アジアのアーリヤ人の神話を取り入れて成立しました。これが法華経・無量寿経・阿弥陀経等です。

 

〈インド史空白の世紀〉

ジャータカの中の歴史の記録は、カピラバットゥ滅亡で終わっています。その次に仏典に歴史が出てくるのはアショカ王の登場を待たなければなりません。

釈迦族滅亡からアショカ王が登場するまでの間は、インドは歴史記録が途絶え、歴史の空白期になっています。インドが相当な混乱状態にあったことが推測できます。この混乱によって、お釈迦さまが生きていた時代も不明となってしまいました。この混乱は数十年続いたとも数百年続いたたともいわれています。

インドが混乱した原因は、ペルシャとそれに続くマケドニアのアレクサンドロス大王(アレクサンダー)、アレクサンドロス大王の後継者セレウコス朝シリアのインド侵入です。アショカ王はこの混乱を抑えてインドを統一したとされています。アショカ王はインドを統一する思想として仏教を採用し、仏教の興隆が始まります。

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