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2017年5月14日 (日)

教団の分裂

昨日は、修正作業をしている間に、間違って最新投稿を過去の書き込みで上書きしてしまいました。すみません。ああ、諸行無常。
 
気を取り直して記憶を頼りに書き直しました。
 
お釈迦さまの死後数十年後に、仏教教団は教えの解釈をめぐって分裂したといわれています。ジャータカには、お釈迦さまの生前にも、教団の僧侶たちが些細な戒の解釈をめぐって仲違いしたことが記録されています。
 
 
「コーサンビーの紛争前生物語」(5-428)
 
これは、師がコーサンビー(コーサラ国の南端、ガンジス河畔)に近いゴーシタ園に滞在しておられたときに、教団に生じた分裂の危機についての記録である。このことは、律蔵に収録されている教団が分裂しかけた際の対処法を書いた「コーサンバ・カンダカ」に説かれた事件に他ならない。
 
その当時二人の指導的な修行僧が共同生活をしていた。一人は律に通じ、一人は経に通じていた。律とは僧侶が生活する上での規則のことであり、経とは教義のことである。ある日持経者は、大便をした後に、指を手で洗い(インド人や中東の人は用を足した後に、お尻を指で拭きます。そのため指を洗うための水が厠においてある)、手を洗った後の水がたまったお盆をそのままにしたまま厠を出た。
 
後から持律者が厠に入り、汚れた水がそのままになっているのを見て、持経者に尋ねた。
 
「あなたが水を使ったのですか?」
「そうです、友よ」
「あなたは、これが罪になることをご存じないのですか?」
「はい、知りません」
「ああ友よ、これは戒律違反ですぞ」
「それなら、私は懺悔しましょう」
「しかし友よ、もしあなたが故意ではなく不注意でなさったことならば罪ではありません」
 
持律者はこれは無罪であるという見解を取った。しかし、持律者は自分の弟子に「この持経者は、罪を犯しながら知らないのだ」と陰口を言った。そこで持律者の弟子たちは持経者の弟子に対して、
 
「あなたがたの先生は、罪を犯しても知らないのですよ」と言った。弟子を通して持経者はこれを知り「あの持律者は、最初は『罪ではない』と言ったくせに、後から『罪である』と言っている。あいつは嘘つきだ」と自分の弟子に言った。
 
そこで、今度は持経者の弟子が、持律者の弟子に対して「あなた方の先生は嘘つきですよ」と言い返した。
 
このようにして、両陣営はいさかいを高めていった。
 
それから持律者は、持経者は有罪であるという彼の見解を支持しない者に対して捨置羯磨を行った。これは罪を犯した修行僧から、僧侶の権限を剥奪する判決である。これにより、分裂は僧侶だけではなく、在家にも及んだ。それぞれの陣営が、反対陣営の僧侶への布施は罪悪であると攻撃しあったからである。
 
一人の修行僧が、お釈迦さまの元へ行ってコーサンビーの教団に発生した危機を告げた。
 
お釈迦さまは急ぎコーサンビーへ赴き、持律者側には、捨置羯磨が拙速で手続きに不備があることを説いた。停権された持経者側に対しては、罪を認めないことの過ちを説かれて、立ち去った。
 
しかしそれでも口論はやまなかったので、お釈迦さまは僧侶たちに交互に座って、仲良く食事をするように命じた。それでも口論がやまなかったので「もうたくさんだ、修行僧たちよ、口論してはならぬ」とおっしゃった。そこでコーサンビーのある信者は、再度お釈迦さまを招いた。お釈迦さまは三度も例え話等を引いて和解を説いた。
 
それでも修行僧たちがいさかいを止めないので「この愚かな人々は、物に取り憑かれたようだ。彼らを正気に戻すのは容易ではない」そこで、お釈迦さまはお部屋を整理され、自分の荷物をもって帰り支度をしてから、以下の詩を唱えた。
 
  僧団が分裂するとき
  愚か者はそれぞれに
  大声を上げて、何者も、
  おのれの愚かさを考えず、
  さらに相手の立場を考えない
 
  ・・・・・・・・・・・
 
  もしもお前が賢明で
  行い正しく、明敏な
  同伴できる友を得られなければ
  王が征した王国を捨て去るがごとく
  象が林の中を行くごとく
  ただ一人にて歩め
 
  ひとり歩むは優れたり
  愚者との友情はあり得ない
  悪しき行為を行わず
  欲少なくして、ひとり歩め
  象が林を行くがごとく
 
お釈迦さまはこのようにお話になったが修行僧はいさかいを続けた。そのため、お釈迦さまはバーラカローナカーラ村へ行かれ、バグ長老(「楽しく住む者前生物語」(1-10)に登場した元釈迦族の王族)に、一致することの功徳をお話になった。それから、三人の良家の息子たちの住んでいるところへ行かれ、かれらに和合の功徳をお話になった。それから、パーリレーッカヤ深林に三か月滞在され、コーサンビーには戻らずサーヴァッティーに赴かれた。
 
お釈迦さまが戻ってこなかったので、在家たちは「ここにいる修行僧たちは我らに害悪をなすものである」と考え、僧侶たちに挨拶するのをやめ、食物を与えないことを決議した。困惑した修行僧たちは、サーヴァッティーに赴き、お釈迦さまに許しを請った。
 
 
〈解説〉
できたばかりの仏教教団も、つまらない足の引っ張り合いをしていたことが赤裸々に記録されています。また、戒律が繁雑になりすぎて、指導的地位にいる僧侶でさえも、全てを把握することは困難であったことが分かります。僧侶たちは、相手の些細な間違いをあげつらって、勢力争いにいそしんでいたようです。
 
さらに、教祖であるはずのお釈迦さまの裁定にすら従わずに、いさかいを続けたと書いてあります。それだけにこれは実際に生じた事件と考えられます。この事件のあらましと、お釈迦さまがバク長老らに説いた説話を記録したとされる「随煩悩経」というパーリ語仏典もあるそうです。
 
このコーサンビーはコーサラ国の南端に位置していました。当時のインドとしては辺境です。お釈迦さまも常駐してはいなかったようです。お釈迦さまやサーリプッタが諄々説いても、修行僧が言うことを聴かないとき、雷親父の役割を果たしたのはマハー・モッガラーナでした。しかし、サーリプッタとモッガラーナは、遠くマガダ国に常駐しています。
 
コーサラ国の首都のサーヴァッティーであれば、コーサラ王室がお釈迦さまを支持していますので、修行僧もお釈迦さまの意向に逆らうことはできなかったでしょう。しかし、コーサンビーとサーヴァッティーは100㎞近く離れています。このように様々な悪条件が重なって、この事件は発生しました。
 
この説話の注目点は、つまらない勢力争いに血道を上げる僧侶を、在家は拒否してかまわないとしている点です。僧侶が尊敬を受けるに足るかどうかの判断は、在家に預けられていました。一神教では、信者の側に聖職者を評価する権限はありません。檀家制度化された近世の日本仏教にも、信者側に選択権はありません。特定の教団に入ったら、聖職者の言うことには従わなければならないのが通常の宗教の決まりです。
 
原始仏教では、信者と僧侶の間の関係は対等であった可能性があります。信者から徳がないとみなされた僧侶は、食が得られなくて餓死しても文句は言えませんでした。このように本来の仏教は、一般生活をする人たちの自由と理性を尊重した教えだったのです。宗教家への絶対服従は求めていませんでした。
 
頭に血がのぼった僧侶たちよりも、在家信者の方が正しい判断を下していることがはっきりと書いてあるところがジャータカの醍醐味だと私は思います。
 
お釈迦さまの生きている間ですら、内部争いを収めるのは容易ではありませんでした。

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