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2017年5月20日 (土)

お釈迦さまのお后

お釈迦さまの妃としてはヤショーダラー妃が有名です。また、お釈迦さまにはラーフラという息子がいました。彼は十大弟子の一人に数えられています。一般的な仏教解説書は、ヤショーダラー妃をラーフラの母としていますが、「ジャータカ」はヤショーダラーは登場せず、ラーフラの母だけ出てきます。そして、ラーフラの母の名はビンバデーヴィーであったとしています。そのため、ラーフラの母はヤショーダラーではなかったと考えられます。

〈ラーフラの母〉

先にサーリプッタが、ラーフラの母のために病人食を作っていたことを取り上げました。気づいた方もおられるかもしれませんが、あの説話ではラーフラの母親の名前がビンバーデーヴィー長老尼となっています。正妃ヤショーダラーではありません。

ジャータカでは、ラーフラの母親は「ラーフラの母」と呼ばれています。このことから、ラーフラの母はヤショーダラーではなかったと考えられます。お釈迦さまは王子でしたので、妻妾が複数いるのはおかしくありません。むしろ当然でしょう。

ビンバデーヴィーはコーサラ国の首都サーヴァッティーで、コーサラ王家の保護下に生活していたようです。

 

〈ヤショーダラー〉

お釈迦さまの正妃はヤショーダラー姫です。彼女はカピラヴァットゥの隣国であるコーリヤ国の王女でした。そしてお釈迦さまの母方の従妹でした。お釈迦さまの系図は以下のようになります。

釈迦族王家(ゴータマ家)・コーリヤ王家系図(PDF)

ヤショーダラーのことは、経典にほとんど記録がありません。ただ、ジャータカ冒頭にあるお釈迦さまの伝記に、興味深い記録があります。(ジャータカでは、この女性は王女でラーフラの母だったことになっています。しかしスッドーダナ王が「娘」と呼んでいることから、この女性はヤショーダラーであったと考えられます。)

成道後、お釈迦さまは故郷に錦を飾るために、カピラヴァットゥを訪問します。一族みんながお釈迦さまを出迎えに城の外に出たのに対して、ヤショーダラーだけは寝室にこもって出てきませんでした。仏教研究家の中村元は、要するにヤショーダラーは拗ねていたのだろうと言っています。私もそう思います。

そこでお釈迦さまは、サーリプッタとモッガラーナだけを連れて、ヤショーダラーの寝室まで行きます。戸を叩く際にお釈迦さまは二人の弟子に対して、「王女がどのような方法で如来を礼拝しても、止めてはいけない」と注意します。

中村元もこの部分には解説を入れていません。しかし私が考えるに、お釈迦さまはヤショーダラーが、自分を捨てた怒りのあまりにお釈迦さまをひっぱたいたり、あるいは感激のあまり抱きついたりと言った行動に及ぶことを危惧していたのでしょう。悟りを開いた聖者としてはふさわしくない、不測の事態が生じることを覚悟していたのでしょう。

ヤショーダラーがお釈迦さまの妻になったのは家が決めたことですので、彼女には過失はありません。ヤショーダラーはお釈迦さまの修行の犠牲者です。ですから、この時ばかりは何が起きても、お釈迦さまはそれを受け入れるつもりだったのだと思います。それで信頼できるサーリプッタとモッガラーナだけを連れてヤショーダラーの寝室に行ったのでしょう。

お釈迦さまは、真理のために身内を捨てることを当然と考えるような冷たい人ではなかったのだと思います。このエピソードは、お釈迦さまは身内に対して、やはり多少の負い目を感じる、人間としては標準的な感情を持つ人だったことを表しています。

特に騒ぎは発生せず、ヤショーダラーはお釈迦さまの足に礼拝したとジャータカには書かれています。

お釈迦さまの弟子たちの詩集である「テーラガータ」には、尼となったヤショーダラーがお釈迦さまとの出会いを詠んだ詩が残されています。彼女も最終的には出家をしたようです。

 

〈ラーフラの母とヤショーダラーの混同〉

ジャータカは父としてのお釈迦さま、あるいは息子としてのお釈迦さまを強調しています。これはジャータカが在家信者にわかりやすく教えを説くための説話集だからです。そのため、親子の情愛や葛藤をテーマにした説話が、多く収録されています。

その場合、子供の方が主人公であれば、息子がお釈迦さまの前生となり、父親はスッドーダナ王の前生とされるパターンが多いです。また、父親の方が主人公であれば、父親がお釈迦さまの前生となり、息子がラーフラの前生となります。その時に母親も登場していれば、ラーフラの母の前生とされます。

ラーフラはコーサラ国の首都であるサーヴァッティーで修行していました。サーヴァッティーにはラーフラ以外にも、ラーフラの母親や、お釈迦さまの育ての母であるマハー・パジャーパティーその他の釈迦族が暮らしていました。しかしジャータカにはヤショーダラーは登場しません。そのことから、私はヤショーダラーはサーヴァッティーには住まず、年を取ってからは実家のあるコーリヤ国に帰ったのではないかと推測しています。

ジャータカは「ラーフラの母」のことを、お釈迦さまの妃であったとは書いていません。ジャータカの冒頭はお釈迦さまの伝記です。そこには成道後のお釈迦さまがカピラヴァットゥを尋ねた時のことが詳細に書いてあるのですが、そこでもお釈迦さまはラーフラの母に会ったという書き方がされています(前述)。

ジャータカが持って回った書き方をしているのは、サーヴァッティーに暮らしていたラーフラの母ビンバデーヴィーがお釈迦さまの正妃ではなく、妾であったからだと考えられます。コーサラ国の教団としては、説話にお釈迦さまの妻を登場させないわけにはいきません。しかし、彼女を妃と言ってしまうと嘘をついたことになります。嘘は戒に違反します。そのため、「ラーフラの母」という言い方をすることによって、信者が、サーヴァッティーにいたビンバデーヴィーを正妃ヤショーダラーと混合するように誘導しているのでしょう。

十大弟子の一人とされたラーフラへの遠慮もあったのでしょう。

ジャータカを作ったのはコーサラ国にいた釈迦族と考えられます。釈迦族はカースト制度に対してはとらわれませんでしたが、一族内部の序列には大変なこだわりがあったようです。そのため、ラーフラの母が低い家系の出身であることを公言するのははばかられたのでしょう。

ただし、ラーフラの母サーヴァティーに住んでいたうえに、ジャータカでは厚遇されていますので、釈迦族であったのではないかと考えられます。釈迦族の仏教信者たちは、コーリヤ国の王女であるヤショーダラーよりも、ラーフラの母ビンバデーヴィーに親しみを感じていたようです。

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