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2017年5月10日 (水)

ヴィドーダバ

釈迦族の滅亡第三弾。完結編です。やがて、アーナンダも死んで、コーサラ国は遠慮なく、マガダ国に寝返ったカピラヴァットゥを攻め滅ぼしました。アーナンダは最後に残った純粋な釈迦族の王位継承者たっだからです。アーナンダが死去することにより、コーサラ派がカピラバットゥの王位を継ぐ可能性が亡くなったのが、コーサラ国がカピラヴァットゥを攻め滅ぼした理由でしょう。
 
 

〈ヴィドーダバは釈迦族の王になろうとして失敗した?〉

釈迦族を攻め滅ぼしたヴィドーダバ将軍はコーサラ王家の一人で、彼は釈迦族の血を引いていたといわれています。

釈迦族の血を引いていたヴィドーダバ将軍が、釈迦族を滅ぼした理由を説明するために、手塚治虫「ブッダ」でもおなじみの説話が作られました。高慢な釈迦族は、コーサラ王家を蔑視していたので、婢女を釈迦族に仕立てて、コーサラ王家に嫁がせたというものです。

少年となったヴィドーダバは、母親の実家のカピラヴァットゥに留学しますが、そこでひどい差別を受けます。そして自分の真の出自を知ります。怒り狂ったヴィドーダバはカピラヴァットゥを滅ぼしたというのです。話の筋は「ジャータカ」も同じ。というか手塚治虫の「ブッダ」の中で仏典をそのまま使っているのは、この説話だけです。

しかし、これは釈迦族を敵視していたマガダ国側の教団の作り話でしょう。いくら釈迦族が誇り高かったからと言って、当時最強の国だったコーサラ国の王家に婢女を送るとは考えられません。

ヴィドーダバ王子が釈迦族の血を引いていたとしたら、マガダ国派に乗っ取られたカピラヴァットゥでは冷遇されて当然です。ヴィドーダバは、どうやらコーサラ国でも王位継承順位は低かったようです。彼は王子として描かれていないのです。

コーサラ国のパセーナディー王の王子かどうかもはっきりしません。パセーナディー王はお釈迦さまと同世代でした。仏典には、パセーナディー王がお釈迦さまに「私もあなたもともに八十歳を迎えた」と語り掛けるエピソードがあります。ヴィドーダバはパセーナディー王の孫もしくは曾孫の世代でしょう。彼はカピラバットゥをコーサラ国に引き戻す使命を帯びて、母親の故郷に乗り込んだのでしょうが、相当いじめられたのでしょう。

釈迦族の王位が貴族の持ち回り制だったことを思い出してください。ヴィドーダバはカピラバットゥを取り戻すために、王位に立候補したと考えられます。アーナンダ死後に、コーサラ国に残された最後の隠し玉が、ヴィドーダバ王子でした。しかし、コーサラ王家の血が濃いことを理由に、落選したのではないでしょうか。

 

〈父系継承と父系母系混合継承の衝突?〉

釈迦族は家系を父系で継承していた形跡があります。お釈迦さまの弟子たちが詠んだ詩を集めた「テーラガータ」には、多数の尼僧の詩が残されています。その中にはゴータマ家の女性を意味する「ゴータミー」という名前の女性が数名登場します。ゴータマとは、お釈迦さまの姓です。お釈迦さまは釈迦族の中のゴータマ家の人間でした。

その中にはお釈迦さまの育ての親であるマハーパジャーパティー・ゴータミーがいます。マハーパジャーパティーは、コーリヤ王家出身でした。それなのに、ゴータマの姓を持っています。嫁に入った女性が、夫の姓を名乗ることは、日本では当然のことですが、世界的には珍しいことです。嫁は結婚しても嫁入り前の姓を名乗るのが普通です。

外から来た女性でも、嫁になればゴータマ姓になるということは、ゴータマ姓の女性でも、嫁に入れば、嫁入り先の姓になることになります。釈迦族には、父方の家が継承されるという考えがあったことが推測できます。すなわち、釈迦族の女性でも、コーサラ王家に入ればコーサラ王家の人間で、産まれた子供はコーサラ王家の姓を持つので、釈迦族の王になる資格はないことになります。

同じく稲作農耕民で太陽神を崇拝する皇室からの類推ですが、多分釈迦族の王位は父系継承だったのでしょう。母系親族への王位継承は認めなかったのではないでしょうか。ではなぜ釈迦族の王位が、貴族の持ち回り制と理解されていたかですが、父系兄弟、従兄弟間で王位を継承していたからでしょう。ゴータマ家系図(PDF)お釈迦さまの父スッドーダナ王の兄弟である甘露飯王もまた王でした。この他にもパッディヤという王が、お釈迦さまと同時代にいたとされています。

傍系親族での王位の持ち回りは、古代や中世の皇室、アラブの王朝などでよく見られます。古代の皇室は、皇位継承者が複数いて、有力貴族との血縁や個人の資質を総合的に判断して次の天皇が決まっていました。そのため天皇が死んでから、次の天皇が決まるまでに数月時間がかかっています。

父兄母系混合で家を継承する人たちから見ると、父系にこだわることが非合理的に見えることがあります。母系で先代の孫がいるのに、父系を五世代もたどって継承者を探してくる父系継承は、意味不明に見えることがあります。父兄母系混合の人たちから見ると、五世代もさかのぼれば、赤の他人だからです。釈迦族とコーサラ国の間にも、似たような価値観の衝突があったのではないかというのが私の推測です。

 

〈ヴィドーダバ将軍、カピラヴァットゥを滅ぼす〉

もともと、ヴィドーダバの母親一族が亡命させられたのは、カピラバットゥがマガダ国に寝返ったからでした。もはやカピラバットゥを牛耳る人たちは同族ではないと決意したヴィドーダバは、やがてコーサラ国の将軍として帰って来てカピラバットゥを滅ぼしました。

ヴィドーダバはその後、コーサラ国内でクーデタをおこしてコーサラ国の王位を奪取したともいわれています。しかし、その後コーサラ国はマガダ国に滅ぼされていますので、クーデタによる内部分裂と、カピラバットゥという緩衝地帯を失ったことが、コーサラ国の寿命を縮めたようです。

あるいは時期的に、コーサラ国はアカイメノス朝ペルスス(アケメネス朝ペルシャ)と激しく戦っていたと考えられるので、ペルシャとの戦いで弱体化したコーサラ国の背後をマガダ国が突いて、コーサラ国は滅びたのかもしれません。これにより、仏教教団は中心地をいったん失ってしまいます。

 

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