機織りと漢字(1)…幾・機
「漢語林」は幾を「幺幺」と「戌」の会意に分類しています。
「幺幺」はこまかい糸の象形。「戌」はまもるの意味。戦争の際、守備兵の抱く細かな心づかいのさまから、かすかの意味や危ういの意味を表す。また、近に通じて、近いの意味を、祈に通じて、ねがうの意味を表し、借りて、いくつの意味をも表す。
とあります。おそらく説文解字丸写しなのでしょうが、はっきり言って意味が分かりません。
白川静は「幺幺」と「戈(か)」に従うとしています。「幺幺」は糸の初文であり、これを兵器である戈(か・ほこ)につけるのは、呪飾としての意味を持つもので、これによって邪霊を祓う。すなわち譏の初文である。としています。さらに、この呪飾を施した戈によって、なんらかの取り調べをしたので、調べるという字義が生じたとしています。やはり意味が分かりません。
織機(おりき・しょっき)を見たことがある人は、幾の金文が織機の中でも高度な高機(たかはた)の象形文字であることはすぐに理解ができます。
これほどまでに形象の類似性があるのに、幾を見て機織りが思いつかないのは、学者が民生品を軽視しているからと考えたくなります。文字のような高尚な文化を創り出したのは、宗教家や役人や学者に違いないという思い込みがあるのです。
①「幺幺」は当然のことながら経糸(たていと)と緯糸(よこいと)です。糸が2つあるのだから機織りが思い浮かばないなんてありえないです。
②戌の前垂れの部分は、金文では「イ」もしくは「大」で描かれていて、これは人間を表す符号であることは言うまでもありません。
③戈は兵器ではなく、織機です。天井から筬(おさ)を操作する高幾という高度な織機です。高度ですが、日本には5世紀に渡来したという記録があり、漢の時代にはすでにあったと考えられます。西周にもすでにあったのではないでしょうか。高幾でなくとも、地機であれば、西周の時代にはあったでしょう。
地機(一宮市博物館より)
では織機(おりき・しょっき)から、「幾」が持つ意味を導き出すことができるのでしょうか。
まず幾には「近い」という意味がありますが、これは織機が手や足を少し動かすだけで布を織ることができる機構であることから派生した意味でしょう。
幾には「何度も」という意味があります。幾度です。これも、機織りが気の遠くなるほど同じ作業を繰り返すことであることからの派生です。
幾にはかすか、あやうい、という意味もあります。これは織機が精緻な機構であることを意味しているのでしょう。織機は雑に扱うと壊れます。特に足踏みによって綜絖と筬を動かす機構は非常に微妙です。これも織機が精緻な機構の連係プレーによって動くことから派生していると考えられます。
金文や古い漢文では、幾を「こいねがう」と読むことがあります。これもおそらく、機織りでは緯糸を通すたびにお辞儀をするように腰をかがめるので、機織りのように何度も頭を下げてお願いするという意味ではないかと考えられます。
あったかどうかもわからない、白川の言う「古代祭祀」よりも、機織りの方が「幾」が持つ意味を論理的に説明できます。
したがって、戌は織機の象形文字である可能性が高くなりました。白川静は戈が含まれる漢字を全て「兵器」と仮定して話を進めています。しかし、白川が戈系の文字として分類した漢字のうち、相当数は兵器ではなく機織りを表した文字である可能性が高いです。
このことは白川自身も感じていて、確か「漢字百話」では、戈系の文字には飾りを表す「糸」がついていることが多いと記してあります。しかし白川は古代祭祀にこだわりすぎていて、機織りにまでたどり着くことはできませんでした。
戈が機織りであったとしたら、漢字の語源論もまた大きく変わってきます。それをご紹介します。
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