天照大御神と冬至点
至点の移動の記述に間違いがあったので修正(2017/6/3)
1)二千年前の冬至点は射手座
現在の冬至点は、射手座の弓の先にあります。冬至点は地球の歳差運動によって天球を西の方向へ移動します。千年で約15度移動します。古事記ができたころ(紀元後700年)の冬至点は射手座の首右側あたりにありました(星座早見ソフトのSky Guideで確認)。
700年ごろの冬12月は、朝6時ごろに蠍座が昇りきってから、7時ごろに太陽が射手座と一緒に昇ります。
射手座は下図のようになります(「星座早見検索小図鑑・上」林完次、講談社)。
射手座は、Y字を中心にして、2つの四辺形がつながっているように見えます。東側の四辺形が南斗六星のおたまの部分です。Y字が南斗六星の柄にあたります。なんとなく、逆立ちをした二つの目と鼻に見えてきませんか?これは国生み神話(15)で、黄泉の国から逃げ帰った伊耶那岐命の顔ではないかと思います。
射手座を伊耶那岐命の顔になぞらえると、東側の四辺形が左目、西側の四辺形が右目、真ん中のY字(南斗六星の柄)が鼻になります。
射手座と三貴神の対応関係
・東の四辺形=左目=天照大御神(千五百年前の冬至点)
・西の四辺形=右目=月読命
・真ん中のY字=鼻=速須佐之男命(銀河の中心)
Y字の先は銀河の中心で天の川が最も濃い部分です。これが伊耶那岐命の鼻息であり、鼻息から生まれた速須佐之男命を表しているのでしょう。天の川の濃い部分から水という連想が生まれます。速須佐之男命が、海と風雨の神であることとも一致します。
射手座から顔が連想され、さらに冬至点があり、銀河の中心の星が濃い場所があったことから、太陽と風雨の神の誕生が連想されたのでしょう。
2)二千年前の北極点
歳差運動によって天の北極もまた移動します。2千年前の北極はりゅう座にありました。天の北極は歳差運動と同じ周期、2万6千年周期で、今のこぐま座ポラリスと琴座ベガの間を円を描いて移動します。1万3千年前はベガが北極でした。
したがって、2千年前は天の北極はもっとベガに近い場所にあったので、ベガは今以上に北にあってなかなか地平線に沈まない星でした。5千年前までさかのぼると、中緯度地帯では周回星であったはずです。一晩中沈まなかったでしょう。ベガをオルフェウスになぞらえる神話ができたのは4千年くらい前であるはずです。
3)伊耶那岐命の黄泉訪問神話のおさらい
では、琴座を伊耶那岐命に、蠍座を伊耶那美命になぞらえた、伊耶那岐命の黄泉訪問神話を図で説明します。
冬の宵に伊耶那岐命(琴座)が沈んで、未明に再び夜空に昇ってくること、日出の直前に一瞬だけ伊耶那美命(蠍座)が天に昇って、すぐに太陽に照らされて消えること、太陽が昇る直前まで伊耶那岐命(琴座のベガ)が空に見えることをうまく利用した神話です。
あるいは、秋に死んだ伊耶那美命は、冬至に太陽として復活することを表した神話だったのかもしれません。
冬至を太陽が復活する日としている文明は多いです。
4)天照大御神は伊耶那美命の生まれ変わり
従って、黄泉の国から命からがら帰ってきた伊耶那岐命が、天の川で身を清めて生れ出たのが、冬至の太陽ということになります。冬至の太陽は、伊耶那美命と一緒に昇るので、天照大御神は伊耶那美命の生まれ変わりということになります。
また、冬になって力が弱った太陽が復活するためには、一度死ぬ必要があったわけです。豊穣を象徴する女神の伊耶那美命が秋に死ぬのは必然であり、冬に若い女神として復活するのも必然です。
太陽神を女神にするのは世界的には珍しいのですが、太陽神が女神となった理由は、古代の日本人は、天照大御神が伊耶那美命の生まれ変わりであることを暗に示したかったためではないかと考えられます。伊耶那美命が太陽として復活した以上、伊耶那岐命の世代の役割も終わったことになります。そのため、伊耶那岐命も退場します。
古事記の国生み神話に出てくる、左右の方向や、人物が登場する順序は、しっかりと天体の位置関係や、時間の移り変わりと対応しています。日本神話は想像以上に論理的にできています。
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