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2017年9月18日 (月)

ヴィドーダバ王子の説話(解説)

ヴィドーダバ王子の物語から、初期仏教教団のいろいろなことが推測できます。
 
1)仏教の主要な信者は釈迦族だった
コーサラ国王は仏教の僧侶を宮廷に招こうとしますが、うまくいきません。その理由は、僧侶が親族や釈迦族の信者からの布施を優先的に受けていたからでした。
 
世俗の束縛から離れるために出家したはずの僧侶が、親族に養ってもらうというのは矛盾していますけれど、やはりそれが現実だったのでしょう。さらに、釈迦族の首都カピラバットゥが滅びる前から、コーサラ国の首都サーヴァッティーに釈迦族のコミュニティがあったことも推測できます。
 
初期仏教教団の僧侶は、釈迦族のところへ行けば十分な布施が受けられたようです。コーサラ国では釈迦族は経済的にも恵まれていたようです。
 
2)釈迦族が王族をコーサラ国王に差し出さなかった理由
コーサラ国王は釈迦族と血縁関係を結ぼうとしました。説話の中では、仏教が原因になっていますけれども、これはおそらく教団による改変です。釈迦族が経済的に強い力を持っていた、あるいはマガダ国との間の係争地であったカピラバットゥをつなぎとめる対策だった可能性が高いでしょう。
 
釈迦族は「コーサラ国王に王族を嫁がせると、釈迦族の血が穢れる」と心配しました。これはよく考えてみると不思議です。コーサラ国王が自分の一族を無理やり釈迦族の王家に嫁がせることを「血が穢れる」というならばわかります。でもなぜ釈迦族の女性をコーサラ国に嫁がせることが血が穢れる理由になるのでしょうか。普通であれば大国と親族になることを喜びそうなものです。
 
これは、インドがどちらかというと母系の社会であることと関連があるでしょう。母親が釈迦族の王子は、インドの一般的な感覚からすると、釈迦族の一員であり、釈迦族の王位継承権があることになります。すなわち、「おまえの一族の娘を嫁に」という提案は「いずれ息子をおまえの一族の王として派遣する」という意味合いがあったと考えられます。
 
しかし後述するように、釈迦族はインドでは珍しく、身分を父系継承する部族でした。したがって、いくら母親が釈迦族であっても、コーサラ国王の王子には王位継承権がありません。しかしこれはインドの一般常識には反するために理解されません。
 
いずれ生まれるであろう王子を使って、コーサラ国が釈迦族の王位乗っ取りをごり押ししてくることは目に見えていました。そのために、釈迦族はこの申し出をいかに拒否するかに苦悶したのでしょう。
 
3)釈迦族は身分を父系継承する部族だった
そこで釈迦族は王族マハーナーマが下女に産ませた娘を、王族と偽ってコーサラ王家に嫁がせることにしました。しかし、釈迦族は身分を父系継承する部族ですので、釈迦族には悪気がなかった可能性があります。
 
真相を知ったコーサラ国王によって、身分を落とされたヴィドーダバ王子を救うために、お釈迦さまがコーサラ国王に「身分は父系継承される」と説きます。お釈迦さまが血縁による身分を肯定するはずがないので、これは当然に後世の改編です。しかしわざわざ説明しているということは、当時のインド人が身分が母系で受け継がれると考えていた証左です。父系継承する釈迦族の方が珍しかったのです。
 
そもそも王妃ヴァーサバカッティヤーが生粋の王族であっても、ヴィドーダバ王子には釈迦族の王位継承権はありません。「アーナンダ2」と「ヴィドーダバ」で見たように、アーナンダの死後に、コーサラ国はヴィドーダバ王子を釈迦族の王として送り込もうとしましたが、父系継承を盾に断られたと考えられます。
 
父系継承が理解できなかったコーサラ国や、後世の仏教徒は、ヴィドーダバが下女の娘を母としていたという伝説を作ったと考えられます。
 
また、ここではお釈迦さまの父親のスッドーダナ王が登場しません。それは、この物語がお釈迦さまの死後の史実をもとに作られたことを示唆しています。
 
4)バンドゥラ将軍
ここで、唐突にバンドゥラ将軍の物語が挿入されます。彼はコーサラ国東部でリッチャビ族と戦っていたようです。リッチャビ族はコーサラ国とマガダ国の中間地帯に住んでいた部族です。論理的に考えることが好きで、共和制の国家を作っていたと言われています。
 
リッチャビ族が参加していたヴァッジ国は複数部族の連合国家でした。首都はヴァイシャーリー。各部族の代表が寄合で国策を決めていたと推測できます。ヴァイシャーリーは宗教的に寛容であったらしく、ジャイナ教も盛んでした。お釈迦様第一の弟子であるサーリプッタによって、仏教が持ち込まれたと言われています。
 
「大パッリパーナ経」ではマガダ国のアジャータサットゥ王(アジャセ王)が、リッチャビ族を侵略しようとして、お釈迦さまに止められます。中間地帯にあるリッチャビ族は、コーサラ国とマガダ国の両方から狙われていました。
 
バンドゥラ将軍の妻マッリカーは仏教徒でした。バンドゥラ将軍の物語は、仏教徒であるマッリカーが、リッチャビ族の聖なる泉で勝手に沐浴してリッチャビ族を怒らせたことになっています。その報いによってバンドゥラ将軍はコーサラ国王に冤罪で誅殺されます。
 
これは仏教説話の基本的なルールに反した珍しい説話です。仏教信者のマッリカーが悪いことをして、その報いを受けたことになっているからです。ということは、マッリカーが仏教信者であることは史実だったのでしょう。
 
仏教信者同士の、リッチャビ族とバンドゥラ将軍が戦ったことを、教団は正当化することに失敗しています。
 
お釈迦さまが保護しようとしたリッチャビ族を、仏教信者であったと思われるバンドゥラ将軍が攻めているのも不思議です。お釈迦さまの死後の史実をもとに、ヴィドーダバの物語が作られたことが齟齬の原因でしょう。お釈迦さまの死後時間が経過して、信者はそれぞれの立場で勝手に行動するようになっていたのです。信じる宗教が同じであることが、戦争を止める力にはなりえなかった現実が分かります。
 
5)ディーガカーラーヤナ将軍のクーデタ
やがてバンドゥラ将軍の無実の罪が晴れて、甥のディーガカーラーヤナがコーサラ国の将軍になります。コーサラ国王は、仏教僧院に滞在中に、ディーガカーラーヤナによって廃位されました。そしてディーガカーラーヤナは、釈迦族の血を引くヴィドーダバ王子を王につけました。
 
つまり、このクーデタには、コーサラ国内の釈迦族が深くかかわっていたことが分かります。あまり想像したくはありませんが、真相はこうでしょう。
 
  1. コーサラ国に亡命していた釈迦族は、マガダ国派に牛耳られたカピラバットゥを奪還しようとした
  2. そこで、仏教信者だったディーガカーラーヤナ将軍と示し合わせて、コーサラ国王を丸腰にして僧院に招待した
  3. 釈迦族と教団を信用していたコーサラ国王は、僧院で幽閉されてしまった
  4. ディーガカーラーヤナ将軍は、釈迦族の血を引いたヴィドーダバ王子を王位につけた
  5. ヴィドーダバ王はカピラバットゥに攻め込んで、滅ぼした
コーサラ国王は幽閉から脱出していますので、当時のコーサラ国が混乱状態にあったことが推測できます。各地で王が乱立するような状況があったのかもしれません。
 
仏教説話は、釈迦族に対して異様に冷たいです。これは釈迦族に反カースト的言動が強かったことによるものとされています。おそらく釈迦族は東アジアの文化を色濃く持つ部族だったのでしょう。そもそもカースト制を持っていない部族だったと考えられます。
 
さらにコーサラ国滅亡の混乱に、釈迦族が噛んでいた可能性がヴィドーダバ王子の物語から推測でき、同士討ちでカピラバットゥが滅びたことから、後世の人から同情を買わなかったのではないかと思われるのです。
 
また、釈迦族が下女に産ませた女をコーサラ国に差し出したことは、到底考えられないし、ヴィドーダバ王子が一時的にせよコーサラ王位についてこととも矛盾しますので、父系継承が理解できなかった後世の仏教徒による創作ではないかと考えられます。
 

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