« ヴィドーダバ王子の説話(解説) | トップページ | 木花之佐久夜毗売と乙女座 »

2017年9月20日 (水)

邇邇芸命と牛飼い座

古事記では天の岩屋戸の物語の次に、出雲神話が挿入されています。出雲神話は国津神の物語ですので、星空との関連はありません。出雲神話と天津神の神話のつなぎに国譲り神話が入り、天孫降臨神話に移ります。
 
本来の天津神神話は、天の岩屋戸神話の次が天孫降臨神話になっていたはずです。出雲神話が挿入されたことには、古代の何らかの事情があったのでしょうが、ここでは考察しません。
 
天津神の神話後半は神皇三代と呼ばれる日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)、火遠理命(ほをりのみこと:山幸彦)、鵜葺草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)の物語と、神武東征神話で構成されています。
 
邇邇芸命(ににぎのみこと)の物語は、前半の天孫降臨神話と、後半の木花之佐久夜毗売(このはなのさくやびめ)との結婚神話で構成されています。
 
木花之佐久夜毗売との結婚は典型的な南洋共通の「バナナ型神話(人間の寿命を説明する神話)」であり、木花之佐久夜毗売が火中で出産する物語も、南洋では共通のモチーフです。したがって後半部分は、非常に古い根を持つ物語と言えます。
 
それに対して天孫降臨神話は、大和朝廷の政治体制の反映が見られる新しい神話であり、もともとは邇邇芸命の物語とは別物であった可能性があります。神武東征神話の際に説明しますが、星座の配置からは、天孫降臨神話はもともと神武東征神話の導入部であった可能性が高いです。
 
よって、ここでは邇邇芸命の物語を、後半に限って考察します。
 
 
1)邇邇芸命の装備
邇邇芸命は天石靫(あめのいはゆき)を背負い、頭椎太刀(くぶつちのたち)を腰に差し、天櫨弓(あめのはじゆみ)を持ち、天真鹿児矢(あめのまかごや)を手に持っていました。武人だったのです。
 
靫とは弓矢の入れ物で空穂(うつぼ)とも呼びます。
 

Kojiki42

靫(ゆき、うつぼ)
靫は矢羽を収めるために先端が広がっており、しゃもじのような特徴的な形をしています。
 

Kojiki43

頭椎太刀(くぶづちのたち)
 
頭椎太刀とは、柄の部分が膨らんだ刀で、古代では一般的でした。左右対称に柄が膨らんでいるのは環頭太刀(かんとうだち)で、頭椎太刀は片側に偏って膨らんでいます。なぜわざわざ頭椎太刀と古事記に描いてあるのかには理由があります。
 
天櫨弓(あめのはじゆみ)、天真鹿児矢(あめのまかごや)は普通の弓矢のことです。
 
 
2)牛飼い座と北斗七星
 
これらの装備とそっくりの形をした星座があります。牛飼い座と北斗七星とかんむり座です。牛飼い座は春の夜空の天頂高くに見える星座です。北斗七星は北の星空のお馴染みの星座です。北斗七星も春の宵に天高く上ります。
 

Kojiki44

牛飼い座・北斗七星・かんむり座(春の星空)
 
 
図の左下に見えるしゃもじのような形をしたのが牛飼い座です。下に輝く橙色の一等星はアルクトゥールスです。日本では初夏に天頂高く上るので、麦星とか五月雨星とも呼ばれています。春の夜空で最も明るく輝く星です。
 
見てわかる通り、牛飼い座の胴体は靫(ゆき)にそっくりの形をしています。
 
さらに、図の右上の北斗七星と牛飼い座の左手を結んだ形は、頭椎太刀にそっくりの形です。
 
かんむり座の形は言うまでもなく弓の形です。特徴的な星はないのですが、弓型にきれいに並んだ星の列はわかりやすく、意外に見つけやすい星座です。猟犬座の二つ星が矢でしょう。
 
邇邇芸命は天高く上るアルクトゥールスで、その周りの星座が古事記で邇邇芸命の装備とされている武器ではないでしょうか。
 

Kojiki46

 
3)邇邇芸命と秋分点
アルクトゥールスは日本では、天頂に最も近い場所を通る一等星です。古事記によると天孫降臨神話の最後の項で、邇邇芸命は筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)に降臨したことになっています。高千穂というのは九州山地のことで、そのなかの物凄く高い山に降り立ったと言っています。
 
神話に出てくる地名の特定にはあまり意味がないと私は考えています。稗田阿礼は「邇邇芸命はとても高い場所にいる」と言いたかったのです。
 
さらに古事記は言います。邇邇芸命は「ここは韓国(朝鮮)に向かい、笠沙岬に通じていて、朝日が入り、夕日も直入する場所である」と。そして高い宮柱を立てて、高天原に君臨したとあります。
 
天津神神話は、もともと日本列島の海洋民共通の神話で、海洋民の神様は天と地を行ったり来たりしていますので、この神様までは天にいて、この神様からは地面にいたと分離することには意味がないのです。
 
世界中どこでも、船乗りは方角を知るために星座に詳しいです。私は古事記にある邇邇芸命の住居の描写は、現実の日本列島のどこかを指すのではなく、天球中の住所を表しているのではないかと考えています。
 
韓国は日本から見て最も西にあります。笠沙岬は薩摩半島の西端です。古事記に強い影響を与えた、南九州の海人族の世界の中ではもっとも西に当たります。邇邇芸命は、自分の屋敷は星空で最も西にあると宣言していることになります。
 
天球上で方角を表す場合、春分点を東として、秋分点を西とみなすのが、世界共通の方位感覚です。7世紀ごろの秋分点がどこにあったかというと、乙女座のスピカのあたりにありました。アルクトゥールスに最も近い場所にある一等星です。
 
さらに、「ここには朝日も夕日も直入する」という邇邇芸命の発言は、朝日が真東から昇って真西に影を作り、夕日が真西に落ちて真東に影を作る、春分と秋分の太陽のことを表していると考えられます。南を向いた場合、夏には朝日と夕日は背中を通ることになるので直入とは言えません。冬には朝日と夕日は自分の斜め前を通りますので直入ではありません。
 
秋分点が夜空に見えるのは春です。邇邇芸命は秋分点を司る神様なのです。
 
天津神の姿がだいぶわかってきました。伊邪那岐命は夏至の神様、天照大御神は冬至の神様、邇邇芸命は秋分の神様だったのです。天津神は夜空の神であると同時に、それぞれの季節の太陽神でもあるのです。
 
次回は物語のヒロインである木花之佐久夜毗売の解明です。

« ヴィドーダバ王子の説話(解説) | トップページ | 木花之佐久夜毗売と乙女座 »

天文と歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 邇邇芸命と牛飼い座:

« ヴィドーダバ王子の説話(解説) | トップページ | 木花之佐久夜毗売と乙女座 »

2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ