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2017年10月18日 (水)

男女が織りなす日本神話

古代日本人は、神々は男女ペアの存在であり、神々が睦み合うことで自然のサイクルが回り、反目し合うことで自然のバランスが崩れると考えていました。
 
そして神々には、神々個人としての役割と太陽神に仕える神々としての役割、二つの面がありました。個人としての役割は太陽がいない夜に発揮され、太陽神に仕える神としての役割は太陽が空に昇る昼に発揮されました。
 
太陽がいない夜には、神々は自分の力を直接人間に及ぼします。例えば、春の星座である邇邇芸命と木花之佐久夜毗売は、春に人の心をウキウキさせて、若い男女の恋を祝福します。
 
反対に邇邇芸命と木花之佐久夜毗売が太陽と一緒に天に昇る秋には、木花之佐久夜毗売は太陽から力を奪って、太陽を衰退させます。これは要するに、恋人である邇邇芸命が、太陽神天照大御神に仕えているので、木花之佐久夜毗売は嫉妬して、天照大御神の力を奪うからです。
 
しかし、神々が反目して自然のバランスを崩すこともまた、自然の営みとして欠かせないのです。
 
 
夜に神々が天の主人となる季節に発揮する力はこのようになります。
 

Kojiki61

 
神々は春に燃えるような恋をして、夏に子作りをして、秋には収穫に励んで、冬には次の世代を育てたのです。これはそのまま人間の人生のサイクルに当てはまるでしょう。
 
儒教や仏教に影響される前の日本人は、このような素朴な天人相関の世界観を持っていたのでしょう。人間が正しく生きることで、それが神に作用して、自然のサイクルも正しく回る。したがって、神に祈る祭は人生の一場面のモデル化となります。日本の祭は、神と一緒に生活の一場面を演ずることが中心となっていることが多いのです。
 
これは神のモデルを真似ることによって人間の生活が正され、人間が正されることによって神々も正しい働きをし、それによって自然のサイクルが正しく回るようになるという世界観です。自然科学的には正しくはないのかもしれませんが、我々の素朴な道徳心には合致します。
 
それぞれの神々が太陽神に与える作用です。
 

Kojiki62

 
冬には天照大御神は伊耶那美命の作用によって死に、しかし伊耶那岐命によって生まれ変わります。春には邇芸速日命が前年の秋に蓄えた力を、天照大御神に注ぎ込みます。御炊屋姫は特に太陽神にマイナス作用はしないです。夏には太陽神は子供を産みます。天宇受売命は神倭伊波礼毗古命を育てます。しかし天宇受売命は奔放な性の象徴でもあります。社会を破壊するカオスを内在する神です。梅雨や台風の意味もあるでしょう。邇邇芸命は特に太陽神に作用はしないのですが、木花之佐久夜毗売は太陽の力を衰えさせます。
 
立秋と同時期に祝われる七夕は恋の祭であり、古事記の七夕伝説は天照大御神と織姫を同一視しているので、私はかつては邇邇芸命が太陽神天照大御神の恋人に擬せられる祭があったのではないかと思うのですが、どこにも証拠はないので、これは全く私の想像にすぎません。
 
この世界観は、自然が持つマイナスの面を否定してはいません。冬に草花は一度死ななければ、次の春に芽を出すことはできません。夏にある程度暴風雨がなければ日照りになります。秋に植物は衰えますが、それは実を結ぶために必要です(木花之佐久夜毗売が一夜で子供を作る神だったことを思い出してください)。
 
破壊や滅びも人生と自然のサイクルの一部、これもまた日本人が古来から持ち続けてきた世界観でした。
 
良いことばかりも悪いことばかりも続かない。恵みの太陽も強すぎれば日照りだし、雨も降りすぎれば恵みを通り越して洪水を巻き起こす。変化する中でバランスを取り、その時に合った生き方をする。そして男女が睦み合うことが、神々が最も喜ぶことである。これが古事記の核にある思想です。

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