浄土経典と法華経の本質
浄土三部経と法華経を旧来の解釈にとらわれずに、むしろSF小説を読むつもりで読むと、これまでとは違ったものが見えてきます。
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「沙石集」より、奈良に貧乏だけれど詩歌管弦に巧みな和尚さんがいて、近所の親が子供を習いに行かせていて、お堂の中にはいつも子供がたくさんいた。それを見たあるお坊さんが、「鮨にするほど子供がいるな」と呟くと、ある子供は「子供は鮨にするほどあるけれど肝心の飯がない」と言い返した。なかなか利口な児である。
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