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2018年1月17日 (水)

無量寿経(四)

釈迦如来はアーナンダにこう説きます。ダルマーカラ比丘(法蔵比丘)が請願を成就して、如来になってから、想像もできないほどの人々が感化されて悟りを開いた。その如来が発する光は無量であり、寿命も無量である。これをアミターバ(無量の光を持つもの)と呼ぶと。
 
アミターバに漢字をあてたのが、阿弥陀如来です。
 
 
10)阿弥陀如来の正体
無量寿経の作者は、阿弥陀如来は想像もできない数の人々を感化し、想像もできないほどの長い時間を生きたとしています。これを仏教特有の修辞と片づけることは簡単です。しかし、ここで経典に書かれたことを語義通り受け取って考えてみます。
 
これほどの数は、宇宙全体に存在する知的生命の数を表しているのと同じではないでしょうか。そしてこれほどの時間は、宇宙の寿命そのものではないでしょうか。すなわち、阿弥陀如来とは、宇宙そのものなのではないでしょうか。
 
11)如来は宇宙を生み出す
阿弥陀如来がどのようにして宇宙になったのか。二つの考え方があります。如来が教えを説いたときに発生した宇宙は悟りを要素として含んでいるからという考え方と、人間は宇宙そのものであるという考え方です。
 
浄土教はどちらかというと前者です。全ての人の中には宇宙がある、という後者の世界観は真言密教です。
 
実は親鸞上人は浄土教と真言密教どちらでもよいと言っています。しかし親鸞は、自分には浄土教が合っているから、もっと踏み込んで言うと、法然上人個人が好きだから浄土門に入りました。無量寿経を追究すると、真言密教と同じ世界に到達します。
 
さて、このエントリーは浄土教の解説なので、浄土教の立場から多元宇宙論に迫ります。
 
無量寿経の最終盤で、釈迦如来が教えを全て解き終わった時、数限りない人々が同時に悟りを得たとあります。如来が教えを説き終わったときに発生する宇宙は、如来の教えを機縁として生まれた宇宙です。教えを因として生れた果が、その宇宙そのものなのです。
 
12)悟りは宇宙をフォーマットする
ここに教えの結果として生じた宇宙が現れます。その宇宙の全ての存在も情報も、如来の悟りを因として含んでいます。存在自体に悟りが不可分に含まれています。その宇宙にある者は居ながらにしてすべて悟りを開いているのです。
 
たとえ、正覚を抱いた人の身は死んで滅びても、その人が生み出した宇宙はほぼ永遠に続きます。阿弥陀如来の請願が生み出した世界は、宇宙の仕組みとして請願が実現されるようにできています。すなわち宇宙が悟りによってフォーマットされているのです。
 
阿弥陀如来の請願を機縁として生まれた世界では、阿弥陀如来の願いが未熟な衆生を悟りに導いてくれるのです。
 
宗教的な妄想と言ってしまえばそれまでですが、無量寿経の作者の真剣な道心の中ではこれがまぎれもない現実だったのでしょう。
 
13)縁起によって悟る
従って、釈迦如来が悟りを開いたこの世界に住む我々は、居ながらにして悟りの要素を持つことになります。あとはいかに自覚をするかだけにかかっている。これが無量寿経の作者の結論でしょう。
 
原始仏教では、人間の自我は因縁によって成立する実体無きものであるととらえるのですが、無量寿経は縁起論を逆手に取り、釈迦如来の悟りを縁起として持つ我々の自我は、悟りを開けるようにできていると考えるのです。
 
縁起をたどることで過去や別の宇宙の如来とも、一瞬でつながることができる。無量寿経は、苦しみの元である縁起を肯定的にとらえなおした画期的な経典でした。

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コメント

この話を読んでいると「魔法少女まどか☆マギカ」を連想してしまいます。

Baatarismさん、こんにちは

「魔法少女まどか☆マギカ」はそのような世界観なのですか。実は未見です。主人公が宇宙そのものになるのですか?

私たちは、ずっと自分の思った通りに生き続けてきているように錯覚していますが、もしかしたら誰か別の人が思い立った意識のなかに生れた宇宙の住人であり、自分の人生ではなく、その誰かさんがフォーマットしたルールの中で生きているだけかもしれませんよ?

悟りを開いて自由になるというのは、人生の主導権をその手に取り戻すという意味もあるんですね。

見ていないならばネタバレはやめておきますが、見るとびっくりすると思いますよ。
自分の人生がすでに誰かに定められているという考え方は、キリスト教(プロテスタント)の予定説にもありますね。戦国時代に日本に来たイエズス会の宣教師が、浄土真宗とプロテスタントが似ていると言った事もあるようですね。

東映のプリキュアシリーズは第1シリーズの「ふたりはプリキュア」から終始一貫して、浄土真宗的な世界観と救済がテーマになっています。

「ふたりはプリキュア」から「プリキュア5」までのキャラデザインは仏像からとっています。これは気が付いている人がちらほらいます。

東映のファミリー劇場は昔から宗教色が強いので、テレビ朝日と東映の良心的な部分が出ているのでしょう。

次はプリキュアを使って浄土真宗の解説をしてみようかな?

予定説では、人生の結果がすでにプログラミングされていると考えます。

仏教の悟りによる世界のフォーマットは、世界の仕組みを自覚するということなので、ではそのОSを使って何をするかは各自の意思に任されています。

これが法華経のテーマになります。

プリキュアによる浄土真宗の解説はぜひやってください。僕はプリキュアファンでもあるので、楽しみにしています。
アニメを見ると、仏教的な考え方がいかに日本社会に大きな影響を与えているかが分かりますね。実はアニメだけではなく、日本が作り出したあらゆる作品についても言えるのでしょうが。

ついでですが、べっちゃんさんが「魔法少女まどか☆マギカ」を見たら、まどマギによる浄土真宗の解説もやりたくなると思います。

おススメだった「まどか☆マギカ」の再放送をしているので、第6話から見ています。

今朝はほむらの独白パートでした。

なるほど、何度も繰り返しているというのはそういう意味だったのですか。達観したかのようなほむらが、実は本来はまどかの後ろを走っていた後輩だったというのはよく練られたストーリーだなと思いました。

それにしてもキュウベエにはめっちゃムカつきますね!( *`ω´)
加藤英美里さんの縁起うまいよなぁ
悪いことをしているとは思っていないのが見事に表現されている。

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