« 浄土経典と法華経の本質 | トップページ | 無量寿経(二) »

2018年1月 7日 (日)

無量寿経(一)

無量寿経は浄土教の根本的な経典です。
 
この経典は、釈迦如来がアーナンダや弥勒菩薩に対して、ダルマーカラ比丘(ダルマーカラ比丘)について説明する形式をとっています。ダルマーカラ比丘は、過去仏のローケーシヴァラ・ラージャ如来(世自在王仏)の弟子でした。ダルマーカラ比丘は長い修行の果てに阿弥陀如来になりました。
 
過去仏とは、お釈迦様の前に現れた悟った人のことです。
 
 
 
1)四十八請願の位置づけ
 
ダルマーカラ比丘の請願については、これまで浄土教の信者が何度も解説していますので、今更私から付け加えることはありません。ここでは、ローケーシヴァラ・ラージャ如来が、ダルマーカラ比丘を導くために用いた手法について私見を述べます。
 
ローケーシヴァラ・ラージャ如来は、過去に現れた如来が実現した浄土をダルマーカラ比丘に説きます。ダルマーカラ比丘は如来が現出した浄土の光景を都見(余すことなくすべてを見て了解すること)しました。そしてダルマーカラ比丘は浄土を実現するための手法を理解したと言います。そして、浄土を実現するための手順として四十八請願が続きます。
 
2)お釈迦様の神格化
このダルマーカラ比丘の請願は革命的です。何故なら、まだ如来には至っていない修行者に衆生を救う力があることを宣言しているからです。
 
これまでは、仏教者が衆生を救うためには、悟りを開いてお釈迦様と全く同じ境地に立たなければなりませんでした。しかし、仏教教団が勢力を持ち、修行方法がシステム化されるん及んで、如来は到達不能な境地になってしまいました。
 
お釈迦様の修行を追体験する教団にとっては、お釈迦様の境地は誰にも到達できない境地でなければならないからです。さらに、大衆(在家信徒)のお釈迦様へのあこがれが強まれば強まるほど、現実に存在する僧侶とのギャップに信者は悩みます。お釈迦様の神格化は嫌が上にも高まります。
 
これまでに「ジャータカ」で見てきたように、一般信者はお釈迦様やその直弟子たちを追慕して神格化してきました。しかし神格化が進めば進むほど、悟りの境地は遠く離れてしまって、信者には追体験が不可能になります。
 
3)菩薩による救済
人々は救済されるためには如来の出現を待たなければならないが、如来になるためには、途方もない回数の転生を経て修行を積み重ねることが必要になります。人々は生きているうちに如来が現れることをあきらめなければなりません。
 
修行者にとっても、如来への道はあまりにも遠くなってしまいました。普通の人ならば修行を諦めて、自堕落に生きてしまうことでしょう。
 
そこで、無量寿経の作者は、未熟な修行者を浄土に導く誓願をした比丘を生み出しました。これがダルマーカラ比丘であり、このように成仏できる実力を持ちながら、衆生を救うためにこの世に留まる修行者のことを菩薩と呼びます。
 
ここまでは従来の無量寿経の理解です。
 
しかし私はここでもう少し深読みをします。
 
ダルマーカラ比丘は、虚空から悟った人間が赴く境地をダウンロードすることによって、如来になることが確定したのです。ダルマーカラ比丘は修行を通してではなく、如来から直接に悟りのビジョンを受け取りました。これがまず第一の飛躍
 
そして、如来になる方法論として、他者を救うことを誓いました。修行者個人が悟った人になることは後回しになっています。これが第二の飛躍
 
つまり、自らが向かうべき目標を確信した時点で、その人は救われている(成仏している)のであり、他者のために尽くす生活はそれを、確信するための生き方なのです。
 
4)弥勒菩薩の念仏
その後、ローケーシヴァラ・ラージャ如来は求道者マイトレイヤー(弥勒菩薩)に浄土を詳細に描写して見せます。ここで主役が急にダルマーカラ比丘から求道者マイトレイヤーに移行してしまいます。
 
ダルマーカラ比丘はすでに悟りを果たして、人々を救うためのインフラになってしまいました。ではどのようにすればこのインフラに乗ることができるのか、それをまだダルマーカラの境地までは至っていない求道者であるマイトレイヤーが如来に質問しています。
 
即ち、現生(現宇宙)にはいない菩薩や如来の力を借りることで、救われる方法があると無量寿経は説いています。これが第三の飛躍です。この意味については次回に解き明かしましょう。

« 浄土経典と法華経の本質 | トップページ | 無量寿経(二) »

仏教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173723/66252826

この記事へのトラックバック一覧です: 無量寿経(一):

« 浄土経典と法華経の本質 | トップページ | 無量寿経(二) »

2018年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ