« 湧出する宇宙と三千世界 | トップページ | 法華経(一) »

2018年1月31日 (水)

世界と意識の相似形(沙石集)

大乗仏教が、根源的な仏性(真如)から、無数の仏が湧きだす。そのようにして無数の世界(宇宙)が生み出される。そのような世界観を説いた理由は何でしょうか。
 
 
大乗仏教は、世界と人間の心は相似であると捉えていました。そのため、世界の成り立ちをイメージすることによって、心の在り方を正しく理解することができると考えていたのです。
 
大乗の経典が、世界のイメージを特に雄弁なのは、読者が「そうか!私の心の中も同じ仕組みなんだ!」と気が付くことを期待しているからです。
 
鎌倉時代の僧侶無住(梶原景時の遺児)が編んだ「沙石集」には、「有漏・無漏」「差別(区別)をなくせ」という発言が多数出てきます。「沙石集」は江戸時代には、最も人気のある仏教を理解するテキストでした。私も「沙石集」は、壮大で難解な大乗仏教を非常にわかりやすく解説していると感じました。無住は何を言いたかったのでしょうか。
 
無住が言いたいことはこうです。感覚が外界に触れることで、鏡像のように心のなかで外界の像が映し出されます。これは三次元の虚像です。イメージとしては、乳液のような液体が心であり、感覚からの情報に乳液が反応して、乳液が見たままの像に変化する(聴いたままの像に変化する)。これが心の作用である。
 
このようにして、人間は心の中に外界の虚像を作っていく。人間はこの乳液でできた虚像の中で生活している。決して外界そのものを見てはいない。外界そのもの中で生きることはできない。
 
無住はこれを池に映った月と表現しました。池の水面には外界が全て映っている。手を伸ばせば触れることができそうだ。しかし実体がない。これが心だというわけです。禅宗がよく使う比喩です。
 
ただし無住はこうも言っています。人間の心は感情や偏見によって乱れている。無明です。無明によって心の中に結ばれた像は波立って濁っている。心を鎮め、妄執をなくすことによって、心が外界と寸分たがわない像を再現できるようになる。これが差別をなくすということであり、悟りに近づくということだと。
 
日本人が「差別」という言葉に弱いのは、悟るためには差別をなくさなければならないと千年間教わってきたからです。Discriminationに仏教用語の差別を当ててしまった弊害です。
 
とまれ、心静かにしていれば、心のなかで意識が像を結ぶのが分かる。それは水面が波立って、水滴が水面(真如)から分離して意識の形に変化していく。大乗仏教が三千世界の描写で説明しようとしたのは、心の仕組みでした。
 
 
 
近代になって「沙石集」はエッセイ集の先駆けとしてしか読まれなくなってしまいました。無住はユーモアのある人でしたから、彼が集めた滑稽話を読むのも確かに楽しいです。しかし、沙石集の本質は、仏教の解説にあります。無明にとらわれた人間は、非合理的な行動をとります。それがおかしみを誘います。無住は、無明にとらわれて、非合理的な行動をする人間のこっけいさから、心の仕組みを探ろうとしたのでした。
 
江戸時代の人々は、沙石集の真の価値を知っていました。沙石集を滑稽話としてしか理解できない近代人は、果たして江戸時代の人よりも進んでいると胸を張って言えるのでしょうか。
 
沙石集は冒頭に国生み神話を持ってきています。沙石集は本地垂迹説の絶好の入門書でもあります。日本人が生み出した、日本古来の神と、仏が共存する世界。明治維新の時に不純で無価値と断じられてしまった本地垂迹説が、非常に高度な精神的境地に至っていたことが沙石集からわかるのです。これはまだ研究中なので、またいずれ解説します。

« 湧出する宇宙と三千世界 | トップページ | 法華経(一) »

仏教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173723/66326393

この記事へのトラックバック一覧です: 世界と意識の相似形(沙石集):

« 湧出する宇宙と三千世界 | トップページ | 法華経(一) »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ