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2018年9月 9日 (日)

HUGっと!プリキュア 第31話 禅と曼荼羅

今回もとても感動的でした。絵も丁寧で良かったと思います。
 
いじめというとても難しい課題に取り組みました。Baatarismさんがコメントされたように、いじめた側による謝罪にはこだわらず、友達と仲直りして新しい時間を踏み出すというのは現実的でなかなかの解だったのではないかと私も思いました。
 
いつまでもいじめる側への復讐感情にとらわれていては、相手と同じレベルから抜け出すことはできません。それよりも道徳的に高い位置に立って、無関心であることを表明するのも一つの解決法です。仏の教えをテーマとしてきたプリキュアらしい解決だったと思います。
 
でもまあ今の友達を引き連れて、女の命である顔にメークをしてあげるというのは、女性の感覚では、恐怖の復讐のような気がしないでもありません(笑)
 
いじめられた子とその仲間「きれいな顔にしてあげるね(ニッコリ)」
いじめっ子「ひいっ!」
 
 
新しい魔法の道具と技(名前長すぎるので覚えられませんでした)の登場シーンも感動的でした。
 
HUGっと!プリキュアは、ルールーが仲間に入った第20話くらいからは、「今この瞬間を大事にしよう」「楽しい思い出を写真に残そう」ということに繰り返し触れています。私はこれもとても仏教的な考え方だと感じています。
 
未来は確定していない、今この瞬間に全力を尽くすしかない。これは日本仏教の思想の特徴です。もちろん背景にはインドの思想もあるのですが、禅定を重視する日本仏教は、瞬間瞬間の積み重ねとして時間が前に進むことを強調します。
 
瞬間にベストを尽くすことに見返りを求めてはいけないと日本仏教、特に禅宗は考えます。仏教は、行動が結果をもたらすが、どのような結果になるかは起きてみないとわからないという立場です。ですから、宿命論とも違うし、科学的思考とも厳密にいうと異なります。
 
しかし、実践を通じて、ベストを尽くすことには価値があると身をもって思い知る。これが神仏の加護です。
 
写真を強調するのは現代風で、玩具の販促でもあるのでしょうが、宇宙とはアニメのセル画のように瞬間瞬間は停止していて、次から次へとフィルムのように記憶が受け継がれていくことが時間の流れであるという仏教思想があります。そこを意識していると思うんですよね。
 
新しいフォーメーション技は曼荼羅をモチーフにしていると思います。さらっとハグたんが変身して六人目であることが確定しました。ハグたんを中心にして、五人が立体的に陣をくむのは曼荼羅を彷彿とさせます。
 
・本当の仲間とは何かを教えてくれたこと
・限界なんてないと思わせてくれたこと
・ありのままの私を見てくれること
・自分でも知らなかった自分に気づかせてくれたこと
・一緒に過ごした時間が今を作る
・今を頑張って輝く未来を
 
社会的な生物であることを修行として肯定的にとらえる日本仏教の真髄が彼女たちの言葉に込められています。
 
HUGっと!プリキュアは素晴らしい作品です。
 
 
「静かなる細き声」はハナちゃんを応援します。

Cureael02

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アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

やっぱりはぐたんもプリキュアのようですね。
プリキュアで謎の赤ちゃんが出てきたら、過去の偉人の転生した姿や究極の存在だったというパターンはこれまでもありました。(フレッシュプリキュア、ドキドキプリキュア、魔法使いプリキュアなど)

ハグたんは究極の観音さまである如意輪観音ですから。

九条ひかりだったという可能性もありそうです。そうしたら、十五周年で物語が一つにまとまった形にできます。

九条ひかりなら、なぎさとほのかを召喚したのも納得ですね。

今回、人魚姫の世界に出てきた女性が、ハリーが愛する人で、ハリーがクライアス社から抜け出して、未来から現在の世界にやって来る原因を作ったのでしょうね。
はぐたんの本来の姿という説や、はぐたんの肉親という説もあるようです。あと、OPに出てくる金色の女神との関連も指摘されてます。
リストルさんもかつてはハリーやビシンの仲間だったんですね。これは以前にもほのめかされていましたが。
片想いである事がはっきりしたけど、それを受け入れるほまれがカッコいい話でした。

以前にここで指摘した、ほまれ(聖観音)がハリーにもたらす救済を、幼女向けでできるギリギリまで踏み込んで表現してきましたね。

ビシン役の新井里美さんは、新人の時に「ぴちぴちピッチ」というアニメで、黄色い人魚姫の役を演じています。だから、それを覚えている人はくすりとなる設定でした。でもパロディーにとどまらない深い人間心理を描いていました。

ほまれは今のところハリーの一番ではなかったわけですが、それであきらめるわけでも、ハリーを捨てるのでもないところが、深いなと思いました。思いやる気持ちは捨てられない。

でも一歩間違えると、ビシンと同じで押し付けになる危険もはらんでいます。そこをちゃんと見せているのはエライ。この二人の対決にはもう一波乱ありそうな気がします。

ハリーの相手は伏線からはハグたんなんでしょうが、プリキュアはたまに平然と伏線を無視してきますので、意外に全然関係ない人かもしれません。クライアス社の実験に失敗して死んだ仲間とか。なんだか仮面ライダーのようになってまいりましたが。

フォーメーション技のハグたんがあざといほどに可愛いですね。もうおじさんメロメロです。

海底に沈んだほまれにはなが「世界目指すんでしょ、こんな壁なんか乗り越えていかなきゃ」と呼びかけたのに対して、ほまれが「人の気も知らないで」「でも自分で言ったんだからやるしかないか」という掛け合いが非常に尊かった。

今年のプリキュアは脚本がものすごく練られていますよ。実写の方がこの幼女アニメを参考にした方がいいくらいです。

最終的にハリーが振り向いてくれなければ、ほまれは気持ちを諦めざるを得ないわけで、あきらめるというのは仏教のテーマなのですが、無かったことにするのとは違うとプリキュアを作っている何かは伝えたいのでしょう。

今回はえみるとルールー、アンリと正人という2組の同性カップリング回。前回が異性カップリング回だった事を考えれば、どういうあり方も否定しないという事ですね。
ただアンリの闇落ちがほのめかされたのが気になります。正人君はどう対処するのか。
次回ははなとことりの姉妹回ですね。姉と友人がプリキュアという立場は「スイートプリキュア」以来となります。ただしこの時は小学生の男の子で、姉とガールフレンドがプリキュアという状況でしたが。

今日の演出はサトジュン得意の劇中劇でした。彼は監督作品には必ず一つは劇中劇を挟むのです。それもターニングポイントに。

あの年頃の感情は友情と恋愛がないまぜになっていることは珍しくないです。敢えて同性だから友情、異性だから恋愛と分けて描かないところが、本作の特色だと私は思いました。

どちらなのかわからない感情のままでも良いのだと。

アンリは闇堕ちがありそうですね。

登場時は全てを超越した強キャラに見えた彼が、最も脆い面を秘めていたのは皮肉ですね。

‪「女の子同士が手をつなぐ」ことから始まったプリキュアが「男の子同士が手をつなぐ」までに至ったことに祝福を(要約) - ねとらぼ http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1809/27/news017.html

プリキュアについては、この記事を書いているkasumi氏の論考(この連載記事や、自身のブログである「プリキュアの数字ブログ」で展開されています)も良いと思います。

読んでみました。プリキュアへの愛が溢れていますね。
娘のオモチャのお下がりをもらうお父さんですか、まさしく多様性を体現していて良いと思います!

アンリと正人は恋愛と決める必要はないのだと思います。信頼を伝える方法の一つとして、男どうしが手を繋ぐことがあっても良いと思います。
どんな形であれ、人と人が触れ合うことを肯定的に捉えることから始めないと、現代社会が抱える問題は解決できないでしょう。「プリキュアを作っている何か」には、その危機感があるのだと思いますね。

今回はことり、ひなせ、ふみとの一般人トリオが主人公。三人とも何らかの形で野々はな/キュアエールに想いを抱いているというのが共通点ですね。
戦闘ではこの3人のアスパワワがプリキュアを助けるという流れでしたが、このようにプリキュアでない者が戦いで重要な役割を果たすというのは、最近のプリキュア(「Go! プリンセス プリキュア」以降)で出てくるようになった要素です。
それ以前のプリキュアでは一般人はヒーローであるプリキュアに守られる対象でしたが、最近はクライマックスの重要な場面でプリキュアが一般人(妖精の場合もある)に助けられるという流れが多くなっています。プリキュアと一般人(あるいは妖精)との間に本質的な差はないという事なのでしょうね。
話に戻ると、ことりちゃんはしっかり者でカンが鋭いですね。はながキュアエールだという事も、ひなせがはなに好意を持っている事も、気づいているようですね。プリキュア5人の正体を特定するのも時間の問題かも。
ことりとはなの同級生たち、それにクライアス社退社組は、終盤でも活躍するシーンがあると予想しています。

主人公の周囲を丁寧に描いてくれるのは良いですね。二人の姉妹愛が素敵なエピソードでした。

プリキュアはヒーロー物でありながら、誰でもヒーローになれるというのが当初からのコンセプトだから、一般人とプリキュアの間の垣根がなくなっていくのも必然かもしれないです。

身内バレが最近のヒーロー物ではあんまり深刻に扱われなくなってきています。この前提が崩れてみると、そもそも昔はなんであんなに正体を隠すことが絶対視されてきたのか自分でもわからなくなってきました。

パーマンとか魔女っ子なんか文字通り命懸けで正体隠していました。

世の中の許容度が上がったのかな?
でも普通の人の世界における同調圧はむしろ強まっている気もするし。よくわからないですね。

今回は本編よりも次回予告に持っていかれてしまいましたw
さあやの優しさが出ている良い話だったのですが。
実は次回予告でキラキラ プリキュア アラモード組は大人になった後の姿で出ています。魔法使いプリキュアも最終話では成長した後の姿が描かれているので、その可能性がありますね。

劇中で言っていた、さあや主演の女子高生医師のドラマ(アニメ)いけるんじゃないでしょうか?売れそうな気がします。

キャラデザと設定ハグプリのままでぜひやってくれ。

うらら好きなので、来週が楽しみです。

今回の話では帝王切開が取り上げれたことが話題になってますね。「自然出産」志向に一石を投じた内容にもなってます。
‪ https://twitter.com/i/moments/1048727751602003968‬

朝日放送の次回予告ページを見たら、魔法使いプリキュア組も最終話に出てきた大人の姿(大学生相当)でした。これは意味を持たせているのでしょうね。

まず私は今日のエピソードで帝王切開を失敗とみなす感覚があることを知ってものすごく驚きました。
もともと出産というのは命懸けの危険なことという感覚がまだ私にはあったので、科学技術で無事に出産できる帝王切開は人類の叡智の勝利と思っていたからです。昔だったら死んでいたかもしれないのに、帝王切開で母子ともに助かることを感謝しこそすれ、引け目に感じるのが信じられなかったです。

出産が命懸けの事業という認識が女性にも薄れているのかもしれません。

今年になって過去のプリキュアが大集合しているのは、ここに書いた多数の世界が同時に並存しているという仏教の三千世界の概念を、東映が表に出し始めたからです。
後日談で大人になったプリキュアがそのまま登場するのは、時間の概念がないインドの世界観を採用しているからです。

西洋でも多重世界を許容する動きもありますが、まだ時間は超えられない壁として扱われています。例えば、ハグたんが来た世界と来なかった世界があるとして、来た世界のハナが中学二年生になれば、来なかった世界のハナもやはり中学二年生になっていると考えます。
これはドラえもんのもしもボックスの並行世界の考え方です。
しかし仏教では時間は壁ではない、というか時間はないので、来た世界の中学生のハナが、来ない世界の高校生のハナに会っても良いのです。

医学の進歩が進んだ結果、出産が成功するのが当たり前と思われるようになり、「自然な」出産が正しいという風潮が生まれ、帝王切開や無痛分娩を否定する風潮が広まってます。出産以外でも、反ワクチン運動やガンの代替治療など、医学の成果をに不信を感じて拒否する風潮は先進国で広まってます。
ジェンダーやいじめの件でもそうでしたが、ハグプリはこういう社会のおかしな風潮を取り上げようという姿勢がありますね。

私は精神世界の存在や現実への介入を否定するものではありませんが、自然科学を無視するようなことは神様だってしませんよ。
自然の法則に徹底的に従っていながら、なをかつ神秘的なことが起きるのです。普通だったかありえない相乗作用のコンボが起きるとかね。勿論人間側の真摯な姿勢があってのことです。

医学を無視したことやれば、命を危険にさらすだけです。そういうのは自然ではなく、単なる淫祠邪教と言います。

西洋・中東や東洋では時間は直線的に進むものなのに対し(だから歴史という概念がある)、インドでは時間を円環的に捉えるのでしたよね。
以前話した魔法少女まどか☆マギカの世界では、最終話に概念的存在となった鹿目まどか(「アルティメットまどか」と呼ばれている)は全ての時間や多元世界で魔法少女を絶望から救う存在になっています。そのようなまどかのもたらす作用は、魔法少女の間で「円環の理」と呼ばれています。この辺りはやはりインド的な世界観なのでしょう。
ちなみに、今行われているまどマギの外伝であるスマホゲーム「マギアレコード」は、本編とは別の物語が展開される世界の話なのですが、先日、そこに本編の物語で生まれたアルティメットまどかが登場して大騒ぎになりましたw その世界にも魔法少女の鹿目まどかがいるのでまどかが二人になってますが、インド的な世界観なら問題なしですね。

大人の姿が出てきたのは去年のプリキュアアラモードでしたっけ?あれ、大人のデザインは中の人の顔を参考にして描いてますね。

仏教の時間は、円環というよりはアニメのセル画、あるいは映画のフイルムなんですよ。
繰り返さないのです。常に瞬間瞬間にしか存在しない。次々に移り変わっていくセル画を、観客席で見ている自分がいるという世界観なのです。

意識が次のセル画を見るから時間が前に進んでいるように感じると言ったらいいかな。

輪廻を絶対視するインドは円環なんですよね。まあだからマギカはマハーバーラタの現代版なんでしょうね。

次回予告ではプリアラ組の大人の姿が出ています。最終話に出てきた姿ですね。ただ、かつてと大きく変わっているようには見えないので、中の人との関係はちょっと分からないです。

はぐたんモフルンコンビが可愛かったり、ブンビーさんがクライアス社に引き抜かれていたり、プリキュア以外のキャラが妙に気になった回でしたw
リコ/キュアマジカルが落ちるのも、ゆかり/キュアマカロンがわがままなのも、お約束です。
初代の3人が健在だったので、次回は大暴れしそうですね。
今回出てこなかったハートキャッチ、スイート、スマイル、ドキドキはどうなるのかな。

ブンピーさんの相変わらずのスチャラカぶりに癒されました。今のところ作品を超えて登場している唯一の敵キャラ。ファンにも制作側にも相当に愛されていることが伺えます。

スイートプリキュアの敵幹部は、まだ出てくる可能性ありますよね。

今回プリキュア5はハグプリと同じ世界にいるという位置付けでしたね。はなたちは歩いてサンルミエール学園の街にたどり着いていました。さあやがうららのファンという描写もありました。

トラウムとルールーの会話もあったりして、色々と興味深かつたです。

ブンビーさんとモフルンは優遇されてましたね。
モフルンは魔法使いプリキュアの妖精役(実際は妖精ではなく、みらい(キュアミラクル)が赤ちゃんの頃から一緒だったクマのぬいぐるみ。みらいがリコ(キュアマジカル)と出会った時に、動いたり喋ったりできるようになった)ですが、プリキュア以上に人気があったキャラです。秋の映画では実質的な主役となり、映画限定でプリキュアにも変身しました。
みらいとリコが変身するにはモフルンと手を繋ぐ必要があるのですが、今回はモフルンの代わりにはぐたんと手をつないでしまうギャグをやってましたね。

もう少しまほプリ話をすると、キュアフェリーチェは最初は妖精の赤ちゃんとして登場し、みらいとリコとモフルンが育てるうちに大きくなっていきました。中盤で一度姿を消した後、少女の姿で再登場し、プリキュアになりました。人間としての名前は花海ことはですが、妖精時代からずっとはーちゃんと呼ばれています。
途中で子育て話が盛り上がった背景にはこういう話がありました。
彼女は実は女神の生まれ変わりと言うべき存在で、途方もない魔法の力を持っています。服を変えたり若返らせるくらいは簡単にできます。

モフルンの声優さんは齋藤彩夏さんだったのですね。今回初めて知りました。

魔法使いプリキュアが始まる前年の2015年まで、ライバル番組のジュエルペットで長年主役を張っていた方です。ジュエルペットはずっと見ていたので久しぶり声が聞けて良かったです。

魔法使いプリキュアとプリキュアア・ラ・モードはまだ引き続いて見ている子供がいるでしょうからじっくりやっていました。プリキュア5はキャラデザがハグプリと同じ川村敏江さんなので出しやすいのでしょう。

東映はキャラデザで世界を分けているのかもしれません(笑)

三瓶由布子さんは夢原のぞみ以来女性キャラの役が増えたせいか、十年前よりも声が女の子らしくなっていたと思います。

うらら期待したんですが、伊藤さんは今でも人気声優でギャラが高いからか、登場場面が無かったのが惜しいです。

本当にテレビでプリキュアオールスターズをやるとは…
後半のシーンは過去15年分のネタをこれでもかとぶち込んでいて、プリキュアの組み合わせも意味を持たせてるし、番外プリキュアや有名サブキャラも登場してるし、コマ送りで見直さないと全部のネタは分からないでしょうw
(のぞみ/ドリーム、みゆき/ハッピー、はな/エールの川村敏江キャラトリオもありました)

これは「プリキュアの数字ブログ」の人に分析してもらうしかないかも。
以前、プリキュアの人数を数えるという前人未到の記事を書いてますから。

‪「プリキュアは今、何人いるのか」問題を真剣に考える。 http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/nanninpuri‬

この一連のツイートでかなりのネタがまとまってますね。
https://twitter.com/kasumi1973/status/1053802835647782912?s=21

いやはや、賑やかでしたね。個人的にはキリヤ君に登場して欲しかったのですが、男キャラの大集合は20周年に持ち越しかな?

全てのカットに意味づけがあったようですね。コマ送りしないと分析しきれない。これは数字ブログの御大将に期待かな。

そんななか、チラッとトラウムさんの浄化シーンで出てきたあれは、起動したてのルールーなのか、はたまた亡くなった娘なのか(点滴が写っていたように思えます。)

娘だとすると、「時の流れは戻せない、けれどまた会いましょう」という台詞はグッと重いものになります。チラリと転生にまで言及したことになる。

僕はトラウム浄化シーンに出てきたのはルールーだったと思っていたのですが、亡き娘ならばあれは重いシーンですね。
ただハグプリでは浄化=消滅ではないので、そのうち退社後のトラウムさんにも出てきて欲しいなと思います。あのキャラはぜひ復活して欲しいです。

男性キャラもかなりいましたね。
ウェスター、サウラー(フレッシュプリキュア)
調辺音吉(スイートプリキュア)
魔法学校校長(魔法使いプリキュア)
ピカリオ(キラキラプリキュア ア・ラ・モード)
といったところがいました。

相楽誠司(ハピネスチャージプリキュア)がいなかったのが残念かな。

もう一度見返しましたが、やはりベッドに寝ていたのはおそらくドクタートラウムの亡くなった(だろう)娘ですね。点滴が写っています。

もしかしたら恋人や妻という可能性もありますが、思い出の中のドクター本人が年取っていたので娘でしょう。

だから、「いつかまたお会いしましょう」と言ったのは、ルールーではなくて、亡き娘なんでしょう。語られない部分も深い作品です。

トラウムは最終盤でルールーを修理するために登場するのではないかと私は予想しています。これじゃ天馬博士だな(^_^;)
ルールーは最終的にはトラウムと一緒に未来に帰るかもしれませんね。

見直したら、確かに点滴袋がありました。
トラウムは自分の亡くなった娘の代わりにルールーを作ったわけですか。これはアトムと天馬博士のオマージュですね。
今のプリキュアなら、それくらいはやってもおかしくないですね。これまで自身に課していた制限を取り払おうというのが、3年前からのプリキュアシリーズの方針ですから。

さすがに前回までが凄すぎたので、今回はちょっと軽めの話。しかしあそこまで人が多いところで、周囲に全く被害を出さずに戦闘して、プリキュアショーにしてしまうとは。
次回はいよいよ時間が止められた未来の話になります。物語も佳境に入りますね。

最後に大人の姿のハグたんを幻影で出したりして、相変わらずハグプリは象徴表現が上手です。流石にこれ以上ほまれにハリーを励ます役を続けさせるのは酷なので、はなにバトンタッチしましたが。

パップルさんは経営者としての素質が高そうです。

あと10話程度で終わってしまうのが信じられないくらい、まだまだ謎がいっぱいで楽しみが尽きないです。こんな感覚は久々です。

横手美智子先生が脚本でしたね。プリキュアでは初では無いでしょうか?

日本アニメの総力を結集した作品になりつつあります。凄いことになってきました。

話数的にはあと2回回ってくる可能性あり。ハグたん大人化の話は横手先生の脚本でやるのかも。

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