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2018年11月 3日 (土)

プリキュア オールスターズメモリー

観ました。なかなか感動的でした。
幼児を抱えたお母さんの大変さが子供にも伝わったかな?
伝わらないですかね(笑)

初代の二人とキュアエールはなぜかとても相性が良いと思います。
肉弾戦中心なのもそうなんだけど
特に特別な設定がない普通の女の子だからでしょうか?
特に渚とはなは一緒にいても自然で
お互いの物語世界が崩れません。
珍しいことだと思います。

戦闘シーンは満載で楽しかったです。
全チームの決め技オンパレードでした。
個人技のオンパレードはこの前テレビでやってましたね、

母親をモチーフにしているだけあって
芯の強さはキュアエールがシリーズ最強なのかもしれないと思いました。

おじさんではペンライトもらえなかったのがちと残念(T ^ T)

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アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

育児シーンについては「プリキュアの数字ブログ」でも取り上げられてましたね。
‪(感想)「映画HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ」ミラクルライトの演出が、凄いの! http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/hugfutarimovie‬

物凄く熱い感想です。

もうご覧になられましたか?
大人でも楽しめる名作です。
数字ブログの熱気そのものです。

ただし、作品中に山が三回あるけれどそれは少し子供にはわかりにくかったかもしれません。どこでペンライトを振れば良いのか躊躇している子供が多かったです。「あれ、まだボスがやられないの?」と困惑する雰囲気もありました。

そこら辺は次回以降の参考にしてほしいですね。

何も無い暗い空間をエールが落ちていくシーンを子供は相当に怖がっていました。まあこれは演出の成功の範囲でしょう。

おそらくこの前にやったテレビ版オールスターが、本来の東映の定石どおりの映画で、今回は新しいことに挑戦する選択をしたのだと思います。ほぼ成功だと思いましたが、東映はあまり大人の絶賛には気を良くしないで、子供の正直な感想を調べた方が良いと思います。

初日に娘と見に行きました。
個人的にはミラクルライトでプリキュアが全員復活するのが引っかかりましたが、これは大人の見方なんでしょうねw

あのペンライトで復活する演出は、子供達から支持されているという絶対的な自信が制作側に無いと出来ませんね(^◇^;)

応援がテーマの作品ですしね。

思いによって、世界が変わっていくという、最近流行りの世界観を映画にも持ち込んだというのは穿ちすぎかな。

近代西洋的世界観だと、テレビ画面の向こうで、視聴者が応援しようがしまいが、スポーツ選手の成績には関係がないはずなのですが、思いが外界に反映するという大乗仏教の世界観では、個人が本気で望むことによって、宇宙のあり方すら変わってしまうのです。

映画の制作陣にそこまでの意図は無いとは思うのだけど、でも「プリキュアを作っている何か」があの演出にゴーサインを出したことには何か思うところがあったのかもしれません。

日本文化は空白を大事にします。日本画とか能や狂言などは敢えて空白を残すことで、見る者によって作品を完成させる手法をとります。

しかし小説、映画そしてそこからの派生した漫画とアニメは、物語世界の中で完結していることを良しとしてきました。これはパイオニアの手塚治虫や東映動画が、西洋劇を理想としていたからです。

未完成を前提とした物語を構成することはアマチュアのやり方としてこれまで忌避してきたのですね。

それに対抗するのが、ラブアンドリーベから始まる収集型ゲームの物語です。参加者の傾向を見て、制作側は追加キャラを変更していき、結末すら可変です。プリティーリズム、アイカツ!、艦娘、マギカレコードもそうですね。

半年くらい前に書いた法華経の、未完成で読者にぶん投げ手法がついに事業化される時代が来たのです(笑)

寄席の落語とか江戸時代の歌舞伎は、観客の反応見ながら物語の内容を変えていくのは普通でしたから、アニメも元に戻ってきたのかもしれません。ジャンプの人気投票もそれに近いけれど、もっと積極的に未完成にしていくようになりつつあります。

漫画だと読者の反応で物語の内容や世界観、主人公が変わっていくのは昔からありますね。特にジャンプが顕著で、ドラゴンボールやジョジョ、昔だとトイレット博士もそうでした。こち亀も入るかな。
べっちゃんさんが法華経を本宮ひろしに例えたのも、あれがジャンプ的世界だったからかもw

Hugっとプリキュアももう39話。未来に行って謎が少しは明かされるかと思いきや、展開が急すぎて訳が分からなくなりましたw 大人ハグたんや、プリキュア伝統の巨女も出てきましたね。ハリーとリストルの戦いは熱かったです。リストルもいろいろ抱えてるキャラですね。
最後にハリーが真実を明かそうとすると、パパモードのドクタートラウムが邪魔するしてしまい、全てはうやむやに。シリアスとカオスが混じったような回でした。
次回は未来の謎は放置して、トラウムとルールーの親子回かな。

第40話。ついに謎が明かされました。
ルールーとトラウムの関係は基本はアトムと天馬博士でしょうが、アラレちゃんへのオマージュもあるのかも。
そしてここで別れの予感が出てきました。プリキュアの「別れ」は過去3年のプリキュアに入っていたのですが、今回もやるようですね。辛い未来を受け入れられるかという点で、クライアス社との戦いとも繋がってくる話です。

41話。ルールーとの別れを考えただけで声が出なくなるほどのショックを受けてしまったえみる。それでも帰ろうとするルールーには、「歌を失ってしまった未来に歌を広げたい」という夢ができていたんですね。
実はルールーの生まれた未来は、はなたちの時代からそれほど遠い未来ではなく、大人になったえみるはルールーと再会できるのではないかという考察も出てました。
えみるのお兄さんもすっかりはなちゃんやアンリくんに感化されてしまったようです。
次回はアンリくんの闇落ちのようですね。さて闇から復活してプリキュアになれるのでしょうか?(そういうのもありかも)

Baatarismさんこんにちは

第39話から41話は内容がものすごく濃かったですね。いずれ頭の中を整理してエントリーにしたいと思っています。

先日売り出されたアニメージュの増刊号に、トラウムは実の娘を亡くしたとネタバレがありました。しかし、ルールーはわざと娘に似せずに作ったそうです。

そこが科学者としての最後の一線なんだとか、最近のクリエーターは色々と考えているのですね。

子供が失語症になる展開は何気に非常に重いと感じました。

敵側自身が自分の間違いに気がつきつつも、破滅に向かって突進するこの重さは、ライブマンの終盤を思わせます。逆にチェンジマンは敵側壊滅でも明るい感じでした。これは多分ハグプリとライブマンは、敵の首領が同じ悩める人間であるからなんでしょう。

未来の4人のプリキュアが剣を持って戦ったのに対し、はなちゃんはチャラリート戦で剣ではなく楽器を選んで戦った事を指摘する意見もありました。実はここが分岐点だったのではないかという考察です。えみるとルールーは音楽活動してるし、音楽はハグプリの裏テーマかもしれません。
39話以降の話はいろんな要素をこれでもかとぶち込んでます。

情事もとい、ジョージクライ氏は未来から持ち出した閻魔帳を持っていますね。その閻魔帳では、キュアエールは剣を持って、民衆とともにオシマイダーを、倒したことになっていたけれど、結果は違いました。

ということは!?・・・結末は凄いことになるかもですね。プリキュアでは今までにない形になるかもしれませんね。

ちなみに音楽に焦点を当てているのは、ハグプリの裏テーマが観音信仰だからでしょう。

観音菩薩というのは、アボラキティーシュラバの訳語としては誤訳らしいのですが、語感は正しい訳語の観自在菩薩よりも正しい気がいたします。

身体障碍ですか、すごいのをぶっ込んで来ました。
ノーボーダーを標榜するのであれば確かに避けては通れないテーマです。でも健常者だったキャラクターを途中から障碍者にするのは、制作も勇気がいったと思います。

事故というのはありえないことでは無い。再来年にはパラリンピックもあることだし。

来週はほまれが多分ハリーから振られるんでしょう。

望んだ通りにはならない未来の話が続きますね。まさしく仏教でいう「苦」です。でもそれと時間を止めてしまえというのは繋がらないとこの作品は言いたいのでしょう。

思春期の時に抱いた夢が必ずしも自分の人生のテーマとは限りません。早くから子供に将来の職業を選択させようとする昨今の教育には私は疑問を感じています。会社内教育を軽減したいという企業側の思惑から出てきた潮流だからです。

夢が実現しました、めでたしめでたしへのアンチテーゼを提出しようとしているハグプリは色々と不自由な中、頑張っていると思います。

プリキュア的には前回以降は試練回で、プリキュア一人一人が試練を乗り越えてさらなる高みに登る流れなのですが、ハグプリではプリキュアではなく一人の人間として試練を乗り越えるストーリーになってますね。前回はえみる、今回はアンリ、次回がほまれなので、さあや、ルールー、はなの試練もその後に続くのでしょう。
しかしアンリくんの運命は残酷です。まさに「苦」ですよね。

最初はなちゃんに「応援なんか誰にだってできる」と毒づいていたアンリが自分から「僕にエールを!」と呼びかけたのが今回のクライマックスでしたね。応援は人にとって必要なのだと。

アンリ君は、登場時にはすでに足首に爆弾を抱えていたことになりますから、世界のスーパースターが急に日本の学校に転入してきたことがこれで説明がつきますね。スケート選手としての最後の日々を、最も理解し合えるほまれのそばでどうしても過ごしたかったのでしょう。そう考えるといじらしくて、意外に年相応に甘えん坊なアンリが見えてきそうです。

自分の終わりが近づいているという視点からアンリ君の台詞をもう一度見直してみたら、色々と発見がありそうですね。サトジュンだからそこまで考えて作っていると思います。

キュアアンフィニの技がプリティーリズムの無限ハグみたいだなと思ったら、やはり絵コンテが菱田正和先生でした。プリティーリズムは男子プリリズと言って、子供向けアニメで初めてお耽美系の描写を入れた記念すべき作品でした。菱田先生はシリーズの監督です。

43話。これまでの話が凄すぎたので普通に見えた回ですが、ほまれの告白とハリーの回答、ほまれの親子関係などをきちんと描いた佳作でしたね。戦闘が付け足しに見えてしまうくらい、日常の描写が濃い話でした。
次回はさあやの話ですね。年末までの残る2回はルールーとはなの話で、クライアス社との決着は来年になりそうです。

緻密な日常の描写がキャラクターに生命力を与えているのでしょうね。

写真から起こしたような精密な背景や、きれいな服を着せればいいという物ではない。

そんな今日の絵コンテはサトジュンでした。自然なんだけれど、劇的でよかったですね。職人芸を見せてもらえました。

なんか数字ブログの旦那が珍しく凹んでますね、

人気ブロガーは大変ですなぁ。

ジェンダー論は荒れる話題ですからね。

‪「プリキュアはポリコレの道具ではなく、子供達のもの」は言わなかった。リアルサウンド映画部様へ寄稿しました。 http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/realsoundkikou‬

「ですので決してプリキュアをポリコレの道具として「大人の政治の道具」に使うべきではないのだとも、思います。」

これは数字ブログの旦那の叫びでしょう。

>「男の子プリキュア」が出てくること自体が「目的」ではないのです。
>この先「子供達が幸せに生きていくのに必要な事」だからこそ描かれた「結果」に過ぎないのです。

この言葉の意味を考えると、プリキュアで暗示されている事は、子供たちが生きて行く未来では実際に起こっている事だから、プリキュアで取り上げているという事になりますね。
ジェンダーから自由になる事も、自分とは異質な存在をハグする事も、子供たちが生きていく世界においては必要だという事です。この視点はイデオロギー的なポリティカルコレクトネスよりも、より深く考えた見方ですね。

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