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2018年12月 9日 (日)

HUGっと!プリキュア 第39~43話

第4クールに入ってますます快調の「HUGっと!プリキュア」。ストーリーは面白いし、現代的なテーマにも深く切り込んで、すごいと思います。まとめて感想を書きたいと思います。
 
 
第39話「明日のために...!みんなでトゥモロー!」
 
第1話の前に未来で何が起きていたのかが明かされました。未来なのに、ストーリー展開としては過去というのは変ですが、最近のアニメでは未来から人が来て過去を改変しても、新しい世界ができるだけで、宇宙には矛盾は発生しないという考え方が主流になっています。時間を遡ったハリー、はなたちを未来に送ったDr.トラウム、そして過去の時間を止めようとしているジョージ・クライ社長にも、時間を遡ることへの葛藤はありません。
 
何の説明もありませんでしたが、未来の世界には知能を持つ齧歯類がいるようです。「ジーンダイバー」で触れましたが、30年前の学研の漫画にこういうSFがありました。知能があるネズミが大量に繁殖して、人類の文明が滅び、ネズミ人類が現生人類の遺跡を探求するという物語でした。
 
妄想をたくましくすると、「HUGっと!プリキュア」の未来の世界では、人類の文明は老化してみずみずしい生命力を失い、反対にハリハム族の文明が勃興しつつあるのかもしれません。ハリハム族に脅威を覚えた人類は、ハリハム族を滅ぼすために病気を蔓延させたのかもしれません。
 
病気に侵されたハリハム地区が駆除される描写がありました。クライアス社は生き残ったハリーたちを保護しています。クライアス社は単純な悪者ではないのかもしれません。
 
クライアス社は営利企業ですので、未来では時間を止めることが儲かるのでしょう。苦しい現実に立ち向かいたくないという人が増えているのだと思われます。未来を信じる勢力がプリキュアですが形勢は思わしくなく、キュアトゥモローを残して全滅、彼女もクライアス社に囚われてしまいました。
 
プリキュアがハリハム族を助けるために戦っていたようには見えませんでした。リストルとビシンも、プリキュアには敵意を向けています。プリキュアがハリハム族のために戦っていたのだとしたら、そんなことはないはずです。ハリーは絶望の淵から個人的に救ってくれたキュアトゥモローを救いたいと考えているようです。
 
ハグたんはやはりキュアトゥモローでした。時間を遡るために、マザーの力だけでは足りなくて、自分の力も使い果たしてしまったために赤ん坊になってしまったのでした。
 
 
第40話「ルールーのパパ!?アムール、それは...」
 
Dr.トラウムがルールーの制作者であったことが明かされました。トラウムは娘を亡くし、その代わりに自我を持ったアンドロイドを作ろうとしたのでした。しかし彼自らが「矛盾」と呼ぶように、娘の代理品としてアンドロイドを作ることに、彼はタブーを感じていたようです。
 
これが従来のSFには無かった描写です。これまでのSFでは、科学者が人間の代用品としてアンドロイドを作ることを、背徳とみなす考えはありませんでした。
 
しかし「HUGっと!プリキュア」ではルールーは自我を持つかけがえのない生命として扱われています。たとえ機械であっても、何者かの代用品として扱うことはもっともしてはいけないことだと「プチキュアを制作している何か」は強く訴えたいのだと思われます。
 
天上天下唯我独尊、人格は空であるがゆえに不滅にして不穢である。般若思想の積極的解釈です。
 
私も似たようなことを考えたことがあります。人間のクローンです。クローンを作ることはよくないことだとされています。もちろん、人工的な操作の途中で何か不具合が発生してしまうといけないからというのがあります。しかし、実際はクローン人間が、一段下の人間として扱われる可能性を一部の人は危惧しているようです。
 
しかし、クローンであろうが何だろうが、人間は人間なのだから、生まれた以上は、他人から生き方を強制する権利は誰にもないと思うのですがどうでしょうか。私の体細胞から培養された人間は、私が好きにして構わないのでしょうか?殺して臓器を取り出して移植しても良いのでしょうか?そんなことはないでしょう。私と同じ遺伝情報を持った双子の兄弟が生まれたようなもので、双子の弟の生き方を決める権利は、双子の兄には無いでしょう。親にもありません。
 
ただし、科学技術が発展すれば、いずれ脳は豚だけれど臓器は人間という移植用家畜ができる日が来るでしょう。それは人間なのか豚なのか?難しい問題です。
 
 
第41話「えみるの夢、ソウルがシャウトするのです!」
 
ルールーが未来に帰ってしまうことを知ったえみるが、ストレスのあまりに失語症になるという重い話でした。生まれて初めてできた親友がいなくなるというのはとても悲しいことだと思います。愛別離苦ですね。
 
しかしそのえみるを救ったのは、物語序盤ではえみるの自由な音楽をつぶそうとしていた兄の正人でした。二人の兄弟愛がとても感動的でした。アンリも今の正人であればえみるの側に立つことが分かっていて、正人に任せました。アンリと正人の友情も良かった。
 
未来の世界では歌がないそうです。ハロウィーンも無いそうです。お祭りや娯楽がない夢のない世界ですね。未来に帰って歌を世に広めるのが、ルールーの夢だそうです。
 
 
第42話「エールの交換!これが私の応援だ!」
 
男の子がプリキュアになったことが注目されがちですが、私はアンリが身体障碍者になってしまったことの方に衝撃を受けました。今日流れた第43話でも、アンリは車椅子に乗って登場しています。
 
事故に遭って体が損傷を受けるというのはそういうことです。身体が動かなくなるとはどういうことかを正面から描いたハグプリのスタッフに敬意を表したいです。しかしこれは世の中に認められるぎりぎりのラインでしょう。話を面白くするためにキャラクターを気軽に半身不随にしたり、手足を切り落とすようにすることには私は耐えられません。
 
アンリはプリキュアに変身しましたが、これは夢の世界の話で、現実のアンリには車椅子の生活が待っています。この対比は残酷です。さすがのアンリも病室では正人とほまれの二人に八つ当たりをしていました。
 
応援など誰にでもできると言っていたアンリが、自分からはなに応援を求めました。はなの応援によって、アンリは闇の世界から光の世界に帰ってくることができました。物質的には何の役にも立たない応援には、無限の力が込められている、「プリキュアを作っている何か」がこの作品で訴えたいことなのでしょう。
 
信仰とは応援であると言いたいのかもしれませんね。
 
それに対峙するのが、信仰を物質的支援を得るための契約ととらえる立場でしょう。
 
 
第43話「輝く星の恋心。ほまれのスタート。」
 
タイトルにビックリマークもクエスチョンマークもありません。プリキュアでは珍しいことです。ビターな筋であることを示唆しています。
 
これまたプリキュアでは珍しい恋の告白があり、しかもほまれは振られてしまいました。でもすっきりして見事大会では4回転ジャンプを成功させて優勝しました。ほまれがとてもかっこよかったです。
 
ほまれのお母さんが離婚した夫(ほまれの父)と結婚したことを後悔してはいないと言ったのは印象的でした。
 
私はプリキュアを見たのは10年ぶりですが、主要キャラの両親が離婚しているというのは今回が初ケースではないかと思います。スイートプリキュアのキュアミューズというのもありましたが、彼女は異世界の住人なので少し特別です。
 
ルールーとDr.トラウムの関係は、元々ほまれの物語として描かれる予定だったのでは?と私は考えています。でもそうするとほまれの内容が濃くなりすぎて誰が主役だかわからなくなるので、ルールーに分離したのでしょう。
 
ボーダーレスを主題とした「HUGっと!プリキュア」でしたが、来年以降はこのような両親の離婚とか、養子関係とかが描かれるのでは?と私は予測しています。日本でも離婚は珍しくなくなっていますので、子供たちにとっても一般的な問題となりつつあるはずです。

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アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

未来においてハリハム族の勃興と人類の衰退が起こっているのであれば、それはクライアス社が時間を止める十分な理由になります。ハリハム族はネズミの姿ですが、これが多産による人口増加を意味しているのであれば、やがて人口で人類がハリハム族に圧倒されるという予測が出てくるでしょう。そんな未来に怯えた人々が、クライアス社の時間停止を受け入れたのかもしれません。
これがハグプリ世界の背景にある問題ならば、現実に起こっている移民問題を寓話的に表しているのでしょう。米国でも欧州でも移民に対する反発が強まっている根本的な理由は、移民、特にヒスパニックやイスラム教徒の増加で、自国の社会が変わってしまう事への恐怖ですから。「ハグ(抱擁)」はそれに反対する行動の象徴でもあります。
この推測が本当なら、ハグプリは現代世界の最大の問題に切り込んでいる事になります。トランプ大統領登場後の世界の動きが、ハグプリという物語を誕生させたのかもしれません。

Baatarismさんも、ハリハム族は移民を示唆していると感じましたか。

現在放送中のゲゲゲの鬼太郎の西洋妖怪編も移民がテーマになっています。

しかし何度か書いたように、東映アニメは復古主義なところがありますので、必ずしも移民と仲良くやっていきましょうという視点ではありません。世の中の現実としてあることを子供にもわかる形で知らせようとしていると言えばいいか。

なんにせよ、ハグプリは相当に設定が作り込まれていると思います。

僕も小学生の子供がいますが、周りを見ても片親が外国人という家庭は、すでに珍しいものではなくなっています。離婚家庭と同様に、世の中ではそれが現実になってますね。
プリキュアはべき論を振りかざすのではなく、世の中の現実を示す方針なのでしょう。

44話。さあやの試練回ですが、ここで自分の意思をはっきりと示しましたね。彼女は共感性が強いので、母親の無意識の望みを自分の夢にしてしまっていたのでしょう。
過去のプリキュアだと、Go! プリンセスプリキュアの海藤みなみ(キュアマーメイド)が似たパターンです。財閥令嬢だった彼女は財閥の経営に携わることを夢としていたのですが、海の動物の獣医・研究をしている女性と出会い、親の意に反してそちらの道を進むことを決断しました。
それ以前のプリキュアにはなかったパターンなので、これも最近のプリキュアで出てきた要素ですね。
そういうシリアスな内容なのに、全体としてはカオス回仕立てで、えみる&ルールーは魔法使いプリキュアネタでしたし(キュアミラクル役のも高橋李依さんも反応していた)、ダイガンはさあやの刺身のツマになってるし、何故か子連れ狼も出ていたし、最後ははぐたんがサンタまで召喚してました。

キャリアウーマンが娘に自分の夢を継いでくれることを夢見る時代が来たということですね。ミンキーモモやぴえろ魔女っ子からついにここまで来たかと隔世の感があります。

周りの子供の反応を見る感じでは、ファンタジー要素が強い回はとても反応がいいみたいなんですよね。映画館や街では、マーメイドになったほまれのことを目を輝かせて親に話している子供を見ました。だから舞台設定は悪くなかったのでは?と思います。

今後は周囲の大人を巻き込んで変身ヒーローになるようなアニメが増えるかもですね。

思い返せば、個性的なプリキュアの代表例であるハートキャッチプリキュアの来海えりか/キュアマリンも、ファッションデザイナーである母親の後を継ぐ道を選んでいるんですよね。親と同じ道を目指すプリキュアは、以前は多かったです。
最近の例ではGo! プリンセスプリキュアの天之川きらら/キュアトゥインクル(ファッションモデル)ですね。これはみなみと対照的な夢として描いたのかもしれません。

プリキュアを実際に見ているのは、主に小学校入学前の女児であるわけですが、登場キャラの中学生にとってリアルな進路の問題をかなり真面目に取り上げているのは、考えてみれば不思議ですよね。

どこかで非現実的なファンタジーに軸足を移す機会はあったのでしょうが、というかそれが「ジュエルペットシリーズ」だったのですが、だからプリキュアはファンタジーでありながら、登場キャラの日常はリアルさを追求する路線を堅持して独自性を出そうとしたのかもしれませんね。

45話 クリスマス話ですが、実は以前のプリキュアではクリスマスは最終決戦の始まりになる事が多い日でした。クリスマスはプリキュアの厄日と揶揄されていたくらいです。
ただこれには制作側に反省があったのか、最近のクリスマス回は楽しい話が多いですね。
ジェロスさんが退職しましたが、彼女の背景はこれまであまり描かれなかったですね。若に女性ばかり有り難がる日本の風潮への批判なのでしょうが。

>最終決戦の始まり
なるほどそうなのですか(笑)
ここで解説してきたように、プリキュアを作っている何か?は、伝統的な日本仏教を信奉している蓋然性が高いので、クリスマスを祝うのは沽券にかかわることだったのだと思います。

ハグプリはそういうこだわりがかなり昇華されていると思います。法敵だからと喧嘩腰で臨むのもまた執着ですから(笑)

若いお父さんと同時に年をとってから結婚して子供を作るお父さんも増えていますから、トラウムとルールーの和解は、そう言う層への配慮かもしれないと感じました。

日本社会が中年以上の女性を差別していることはないですが、若い女性にチヤホヤしすぎというのはその通りで、だから年をとった時のギャップに女は悩むのかもしれないですね。

もう少し若い時から真の意味で男女を平等に扱えということかもしれません。

年が明けて46話。
ジョージ・クライがはなちゃんに執着する理由が明かされ始めましたね。クライの回想で出てきた女性は、大人になったはなちゃんなのでしょうか?
クライの言葉を聞くと、彼は一切皆苦に耐えられなかったように思えるのですが、トラウムの「何もしない男なんだよ。クライは」という言葉も気になりますね。

ここまで主人公のプライベートなテリトリーを侵略してくる悪者はアニメ全体を見渡しても珍しいです。人の心の隙につけ込むクライは悪魔の象徴なのでしょう。

お釈迦様が悟りを開いた時に、悪魔がやってきて、今の最高の気持ちのまま死ねと勧めます。ジョージ・クライと似ています。しかしお釈迦様はそれを跳ね除けました。

次にこの教えは難しくて大衆には理解されないから、一人山奥で悟境を楽しみながら暮らそうかと思います。インドの伝統的な仙人のあり方です。そこに梵天がやってきて、衆生を救うために教えを説いてほしいとお願いします。そこでお釈迦様は布教のために山を下りました。

東映はハグプリで降魔と梵天勧請を表現しようとしているのかもしれないですね。

クライに誘惑されたはなを、さあやとほまれが助けるのが良かったです。

ジョージ・クライの瞼の裏に浮かんだ女性、彼が持っていたスナップ写真に写っていた女性ははたして大人になったはななのか?似ているだけなのか、はたまたはなの子孫なのか。

もともとはなの関係者であったとすれば、プライバシーを侵害してくることには説明が付きます。

今回はラスボスの改心に時間を使いそうな展開ですから、次回以降に期待しましょう。

今回はクライアス社退社組がプリキュアを助け、プリキュア達がはなちゃんを助け、はなちゃんは挫けそうになりながらもついにジョージ・クライと対峙する事になりました。
大人達のかっこよさが印象的な回でしたね。

退職組の参戦が熱かったです。

ジョージのはなへの異様な執着の原因はなんなのでしょうか?

はなというキャラクターをとことんまで深掘りする最終回になりそうですね。

ハグたんが唐突に大人化して、全部解決というこれまでのプリキュアにありがちだった安易な展開は今回はなさそうです。

ハグたんはずっとはなのことをママと呼んでいるけど、これもまだ理由が明かされて無いですね。
はなとハグたん、ジョージ・クライ、それにキュアトゥモローなど未来のプリキュア達の間には、因縁があるのでしょうね。

ママ四的な結末なのでしょうか。この物語の開始時点から薄々感じてはいたんだけど。

だとするとマザーははなの成れの果てということになりますが、ジョージははなが人間でなくなってしまう未来を止めて、普通の人間として幸せになってほしいということなのかもしれないですね。

ただ、はながはぐたんの直接の母親なのか、それとも未来のプリキュア勢力の根源となる太母であるのか、どっちなんでしょうね。

はながマザーになるのをジョージが阻止しようとするのなら、まどマギの叛逆の物語みたいになりますね。

48話。前半のはなとジョージ・クライの対話は、まさに「苦」についての議論。後半は「草木国土悉皆成プリキュア」とでも言うべき展開でしたね。
途中、若き日のクライのような青年が出てきてましたが、いずれはなと出会って別の未来を作るのでしょうか。その未来がそう遠く無いのなら、大人になったえみると、未来に帰ったルールーの再会もありそうですね。

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