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2019年9月16日 (月)

華厳経(三)

華厳経は文庫本にして二千ページくらいの分量があります。そのうち最後の四分の一は善財童子の物語です。長者の息子ですが、発心を起こし、悟りを求めて様々な人に出会います。奇想天外な世界を渡り歩くさまは、ガリバー旅行記やSFのような面白みがあります。

ジャータカも終盤はこのような主人公が宝やお嫁さんを探すために、世界を旅する物語が多くなります。二千年前のインドで流行していたストーリーのようです。千一夜物語はこの変形です。

さて、この「童子」という訳語。中国人の訳ですが、ちょっと正確ではありません。ジャータカに出てくる「童子」は大人として扱われていて、仕事をしたり、村のリーダーとして政治をしたりもします。本来は「結婚をしていない若い青年」という意味なのです。だから子供を思い浮かべるのは正確ではありません。

善財童子の物語を見直すと、女性の登場人物が多いことに気が付きます。実はこれはインドの昔話の類型の一つである嫁取り物語の変形なのです。ジャータカでは王様の子供や仙人などが嫁を探して世界を冒険する物語が載っています。仏教説話に嫁取りはまずいので、いろいろと言い訳はしてあるのですが、素敵な恋人を探して世界を旅する物語としか解釈できない説話がいくつかあります。しかも長編です。

ジャータカは女性は修行の妨げになるという前提があるため、女性差別が激しいです。しかし華厳経の善財童子の物語は女性差別がありません。おそらくこちらが嫁取り物語の原型を保存しているのでしょう。すなわち、善財童子はお金持ちのお坊ちゃんで、プレイボーイであるのです。さて、善財童子はどういう女性と出会うのでしょうか。

 

(1)自在清信女(炊事)

自在清信女は龍王の娘で海の底の城に住んでいます。龍宮城の乙姫様です。女盛りの年齢で、容貌美しく、しかしアクセサリーなどはつけていない素朴さのある女性です。

自在清信女の周りには世話をする童女(若い女性)たちがいて、歌を歌い、とても良い香りがするそうです。お坊さんたちはお寺の奥でどんな顔をしながらこの物語を読んでいたのでしょうか?気になります。

でも自在清信女やお付きの童女を見ても、よこしまな心は起きず、むしろ心が清らかになるそうです。

この童女はおいしい食べ物を世界の隅々、地獄の餓鬼にまで施してくれるそうです。

 

(2)不動清信女(お話)

不動清信女は安住王城に家族とともに住んでいます。彼女は当然ながら美人で、口から妙なる香がする息を吐き、美しい装身具を身に着けています。やはり彼女を見てもよこしまな心は起きません。

不動清信女はおしゃべりが上手です(辨才門)彼女は優しい言葉で心をリラックスさせてくれます。

 

(3)寶光明童女(貞淑)

金色に似た肌、目と髪の毛は金色、美しい声、とてもおしとやかな身のこなし。六十人の少女とともに大王に仕えていますとあるので、彼女は少女です。

彼女は人を褒め称える功徳によって、天界に生まれ変わったそうです。彼女は前生で、カピラパットゥ城で摩耶夫人に侍女として仕えていました。

 

(4)離垢妙徳女(純心)

彼女は蓮の花から生まれて、庶民の夫婦に育てられていました。仏からの教えを受けていました。王子に恋心を抱いていましたが、王子は本当は出家する願いを持っていました。離垢妙徳女は王子に思いのたけを打ち明けましたが、王子の本心を聴き、王子を仏の元に連れて行きました。王子は出家して功徳を積みました。王子はシッダールタ太子の前世だったのです。

 

(5)摩耶夫人(母性)

次に善財童子が会った女性が、お釈迦様の生母である摩耶夫人でした。華厳経は摩耶夫人の姿は如来に等しいと賛嘆しています。

摩耶夫人は善財童子に驚くべきことを説きます。彼女は大願智幻の法門を成就している。その功徳によって廬舎那仏の母になることができたのだと。これは従来の仏教には無かった考え方です。女性は悟りを開けず、功徳を積んで男性に生まれ変わらなければならないと説いてきました。

しかし、悟りを開くに等しい修行を積んだからこそ、母になることができたと言っています。華厳経は母性を全面的に承認しています。そして摩耶夫人は菩薩がこの世に生を受ける時には、何度でも生まれ変わって母となるであろうと言います。

 

(6)天主光天女(時の管理人)

善財童子が最後に出会った女性が、天主光天女です。彼女は天空に住んでいて、これまでの宇宙で起きたこと全てを記憶し、眼前に映像として再生することができると言います。

彼女だけは容貌の描写がなく、おそらく色身がない概念的な存在であると考えられます。宇宙のデータベースの管理人は女性であると華厳経は言っています。これも結構衝撃的な発言です。

 

(7)賢勝清信女

彼女は発心をする前の菩薩手前の女性です。そろそろ旅が終わりに近づいて物知りになった善財童子から、菩薩になるための方法を教わります。華厳経は、女性も女性のまま菩薩となることができると言外に述べているのです。

 

500ページもあってまだ読み切れてはいないのですが、善財童子の物語の隠されたテーマは女性の救済であると私は思います。他の経典では修行の邪魔をする悪とされる女性の容姿や性質が、修行の助けになるとさえ説いています。また、母性を女性の徳目の最上位に置いています。女性が男性と同等に扱われてきた日本にふさわしい経典と言えるでしょう。

華厳経(二)

華厳経の教えを象徴する如来が毘盧遮那仏(廬舎那仏・ビルシャーナブッダ)です。東大寺の大仏様ですね。阿弥陀如来と同一視する考えもあります。

華厳経の廬舎那仏品は、日本仏教の根本的な方針を示した内容になっています。和を尊しとなす日本人の思想、太陽信仰と調和する内容であり、華厳を国家の中心に据えようとした聖武天皇の慧眼がうかがえます。

まず華厳経は仏の教えや世界を「海」に譬えています。仏教はインドの平原で生まれました。仏教で世界を表すのはヒマラヤ山脈を象徴化した須弥山(スメール山)です。海はなかなか出てきません。これは華厳経が南インドで作られたことを示唆します。我が国は島国です。仏の尽きぬ知恵を海に譬えた華厳経に、我々の祖先は親近感を抱いたはずです。

華厳経はこの世界は海であり、その形状は様々で、方形・円形・渦巻・川の流れ・網・花のようだと言っています。なんだか銀河や星雲のようです。そして廬舎那仏を中心にして、仏・菩薩・天などが調和しあっているという世界が説かれています。和を大事にする日本人には理解しやすい世界です。

廬舎那仏の身体の中には世界が収まり、廬舎那仏が念じると三世(過去・現在・未来)が一瞬で現れるとしています。時間に流れがなく、過去・現在・未来が同時に存在するとしているのです。ここが西洋的な世界との違いです。世界が収まるので、清らかなものも、穢れたものも、等しく廬舎那仏の一部であると華厳は説いています。排除はしないのです。

華厳経の廬舎那仏品には登場人物が二人います。一人は解説者の普賢菩薩。もう一人は菩薩の代表として言及される如意寶王、すなわち如意輪観音です。如意輪観音は全てを意のままにする如意宝珠を持つ観音様です。

いきなり如意輪観音が登場するのは唐突ですが、ジャータカの末期には如意宝珠(摩尼宝珠)は重要なファクターになります。ジャータカの末期には南インドの影響も見られますので、如意輪観音は南インドの伝統的な神様だったと考えられます。つまり仏教がやってくるよりも先に南インドにいた神様を、華厳経が取り入れたのです。だから文脈に関係なく、如意輪観音が現れるのでしょう。

華厳経の如意輪観音は日輪の光を力の源とし、真珠を持っているとされるので、太陽と海の神様でした。ここも我が国と親和性が高く、平安貴族が如意輪観音を深く信仰した理由です。

ただし「華厳経」には「観音」という単語は一切出てきません(間違い、善財童子の旅に登場します)。観音様は法華経の登場人物です。華厳経に出てくる菩薩・大士・王を観音と同一視したのは、天台宗です。比叡山は南都の仏教を取り込むために、華厳経の神様たちを観音として取り込んだのです。

華厳経の廬舎那仏は世界そのものであり、人々に指図はしません。衆生の善も悪も受け入れながら、人々をよい方向に導こうとします。人々を導くのが菩薩です。これは日本の政治の在り方に深く影響を与えたと考えられます。立憲君主制の基礎となる思想です。

 

廬舎那仏品は密教的な解釈も可能ですが、それはまたいずれ解説したいです。

華厳経(一)

華厳経を読み始めました。華厳経は密教や禅に強い影響を与えたとされる教えです。

華厳経の「浄行品」は、生活の全てが浄業(修行)であると言っています。

基本、良いことに出会えば自分もそうありたいと願い、悪いことは反面教師に、五欲が満足されたらそれを喜びつつも執着はしない

特に美しい物や美味しい物に出会ったときには、仏の教えもまたそのように喜ばしい物であることを思い浮かべよと言っています。

 

浄行品で修行になるとされている行為

家に住むこと、父母に孝養を尽くすこと、妻子を養うこと、五欲を得ること、演劇を見ること、アクセサリーを身に着けること、高い塔に昇ること、プレゼントをすること、会議に出ること、危険な目に遭うこと

信念を持って出家すること、お寺に入ること、師匠の教えを受けること、具足戒を得て正式に出家すること、髪を剃ること、袈裟を着ること、自発的に仏に帰依すること、自発的に仏法に帰依すること、自発的に僧(教団)に帰依すること、お寺に参拝すること、椅子に静かに座って仏に祈ること、床に座って仏に祈ること、座禅を組むこと、座禅を組んで深く瞑想をすること(ただの座禅と分けている)、お祈り中に休憩すること、

衣装を着ること、歯磨きをすること、大小便をすること、大小便の後に手を洗うこと、錫杖を持って行脚すること、お椀を持って乞食すること、路を歩くこと、上り坂を歩くこと、下り坂を歩くこと、険しい道を歩くこと、まっすぐな道を歩くこと、道に埃が舞い上がった時、きれいな道を見た時、

大きな樹を見た時、高い山を見た時、棘の生えた植物を見た時、美しい花を見た時、果実を見た時、流れる水を見た時、池の水を見た時、井戸水をくむとき、橋を見た時、

お百姓さんが田畑を耕すのを見た時、きれいな庭園を見た時、着飾った人を見た時、質素な人を見た時、欲深い人を見た時、喜んでいる人を見た時、強い日をを見た時、病気に苦しむ人を見た時、美貌の人を見た時、むさくるしいなりの人を見た時、恩に報いる人を見た時、恩に背く人を見た時、甲冑をつけた人を見た時、帝王を見た時、帝王の子供を見た時、政治家を見た時、

お城を見た時、都を見た時、神仙を見た時、人の家に上がるとき、厳しい教えを聞いた時、戒を捨てる人を見た時、乞食して何も得られなかったとき、乞食して食物がたくさん得られた時、慎み深い人を見た時、おいしい物を食べた時、まずい物を食べた時、ご飯を食べる時、ご飯を食べ終わった時、

お風呂に入るとき(水浴びをするとき)、暑い時、寒い時、お経を読むとき、仏を拝むとき、仏を念じる時、仏のいる堂舎を拝むとき、塔を巡るとき、仏の姿を称える時

足を洗う時、寝る時、朝目覚める時

 

大小便することだけではなく、手を洗うことも修行に数えています。食事も食べ終わってご馳走様のあいさつをするまでが修行であるとしています。日本人の生活に強く影響している教えです。さらに必ず「衆生とともに」が入っています。仲間と世間で暮らすことを重視しています。人里離れた場所で修行することを最上とした初期の経典とは一線を画しています。

 

・大小便をするときには、汚れを除いて、淫欲・怒り・愚痴をなくそうと願うがよい。

・大小便を流すときには、無垢でありたいと願うがよい

・手を洗う時には、先達の助けで仏の教えを授かりたいと願うがよい(清らかな水を手に受けるように教えを受ける)

・歯を磨くときには、解脱を徹底させたいと願うがよい(歯のように固い意思を持とう)

・道に埃が舞い上がった時には、煩悩を離れることを願おう

・清浄な道を見た時には、仏の大慈悲を浴びて優しい心でありたいと願おう

 

庭園や水墨画に影響を与えたと思われる個所

・深い谷間を見たら正しい法界に向かうことを思う

・大樹を見たら怒りをなくすことを思う

・林を見たら、多くの人から師と仰ぎみられることを思う

・高い山を見たら善行を極めることを思う

・花を見た時には、花のように清らかに心を開き、柔らかい表情を心掛ける

・流れる水を見た時には仏の海に入りたいと願う

・池の水を見たならば、諸々の仏のくずれることのない教えを得たいと願う

・井戸の水をくむ人を見た時には、仏の極まりない弁舌を得たいと願う

・湧水を見たら、尽きない善行を積むことを願う

 

意外な連想

・都を見た時には、よく物を知って遠くを見通せるとうにと願う

・守り続けることが困難な規則に出会ったら、善を捨てないで迷いを離れたいと願う(絶対に守れとは言っていない)

・美食を得た時には、節度を知り、欲を少なくすることを思う

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