華厳経(三)
華厳経は文庫本にして二千ページくらいの分量があります。そのうち最後の四分の一は善財童子の物語です。長者の息子ですが、発心を起こし、悟りを求めて様々な人に出会います。奇想天外な世界を渡り歩くさまは、ガリバー旅行記やSFのような面白みがあります。
ジャータカも終盤はこのような主人公が宝やお嫁さんを探すために、世界を旅する物語が多くなります。二千年前のインドで流行していたストーリーのようです。千一夜物語はこの変形です。
さて、この「童子」という訳語。中国人の訳ですが、ちょっと正確ではありません。ジャータカに出てくる「童子」は大人として扱われていて、仕事をしたり、村のリーダーとして政治をしたりもします。本来は「結婚をしていない若い青年」という意味なのです。だから子供を思い浮かべるのは正確ではありません。
善財童子の物語を見直すと、女性の登場人物が多いことに気が付きます。実はこれはインドの昔話の類型の一つである嫁取り物語の変形なのです。ジャータカでは王様の子供や仙人などが嫁を探して世界を冒険する物語が載っています。仏教説話に嫁取りはまずいので、いろいろと言い訳はしてあるのですが、素敵な恋人を探して世界を旅する物語としか解釈できない説話がいくつかあります。しかも長編です。
ジャータカは女性は修行の妨げになるという前提があるため、女性差別が激しいです。しかし華厳経の善財童子の物語は女性差別がありません。おそらくこちらが嫁取り物語の原型を保存しているのでしょう。すなわち、善財童子はお金持ちのお坊ちゃんで、プレイボーイであるのです。さて、善財童子はどういう女性と出会うのでしょうか。
(1)自在清信女(炊事)
自在清信女は龍王の娘で海の底の城に住んでいます。龍宮城の乙姫様です。女盛りの年齢で、容貌美しく、しかしアクセサリーなどはつけていない素朴さのある女性です。
自在清信女の周りには世話をする童女(若い女性)たちがいて、歌を歌い、とても良い香りがするそうです。お坊さんたちはお寺の奥でどんな顔をしながらこの物語を読んでいたのでしょうか?気になります。
でも自在清信女やお付きの童女を見ても、よこしまな心は起きず、むしろ心が清らかになるそうです。
この童女はおいしい食べ物を世界の隅々、地獄の餓鬼にまで施してくれるそうです。
(2)不動清信女(お話)
不動清信女は安住王城に家族とともに住んでいます。彼女は当然ながら美人で、口から妙なる香がする息を吐き、美しい装身具を身に着けています。やはり彼女を見てもよこしまな心は起きません。
不動清信女はおしゃべりが上手です(辨才門)彼女は優しい言葉で心をリラックスさせてくれます。
(3)寶光明童女(貞淑)
金色に似た肌、目と髪の毛は金色、美しい声、とてもおしとやかな身のこなし。六十人の少女とともに大王に仕えていますとあるので、彼女は少女です。
彼女は人を褒め称える功徳によって、天界に生まれ変わったそうです。彼女は前生で、カピラパットゥ城で摩耶夫人に侍女として仕えていました。
(4)離垢妙徳女(純心)
彼女は蓮の花から生まれて、庶民の夫婦に育てられていました。仏からの教えを受けていました。王子に恋心を抱いていましたが、王子は本当は出家する願いを持っていました。離垢妙徳女は王子に思いのたけを打ち明けましたが、王子の本心を聴き、王子を仏の元に連れて行きました。王子は出家して功徳を積みました。王子はシッダールタ太子の前世だったのです。
(5)摩耶夫人(母性)
次に善財童子が会った女性が、お釈迦様の生母である摩耶夫人でした。華厳経は摩耶夫人の姿は如来に等しいと賛嘆しています。
摩耶夫人は善財童子に驚くべきことを説きます。彼女は大願智幻の法門を成就している。その功徳によって廬舎那仏の母になることができたのだと。これは従来の仏教には無かった考え方です。女性は悟りを開けず、功徳を積んで男性に生まれ変わらなければならないと説いてきました。
しかし、悟りを開くに等しい修行を積んだからこそ、母になることができたと言っています。華厳経は母性を全面的に承認しています。そして摩耶夫人は菩薩がこの世に生を受ける時には、何度でも生まれ変わって母となるであろうと言います。
(6)天主光天女(時の管理人)
善財童子が最後に出会った女性が、天主光天女です。彼女は天空に住んでいて、これまでの宇宙で起きたこと全てを記憶し、眼前に映像として再生することができると言います。
彼女だけは容貌の描写がなく、おそらく色身がない概念的な存在であると考えられます。宇宙のデータベースの管理人は女性であると華厳経は言っています。これも結構衝撃的な発言です。
(7)賢勝清信女
彼女は発心をする前の菩薩手前の女性です。そろそろ旅が終わりに近づいて物知りになった善財童子から、菩薩になるための方法を教わります。華厳経は、女性も女性のまま菩薩となることができると言外に述べているのです。
500ページもあってまだ読み切れてはいないのですが、善財童子の物語の隠されたテーマは女性の救済であると私は思います。他の経典では修行の邪魔をする悪とされる女性の容姿や性質が、修行の助けになるとさえ説いています。また、母性を女性の徳目の最上位に置いています。女性が男性と同等に扱われてきた日本にふさわしい経典と言えるでしょう。
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