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2019年9月16日 (月)

華厳経(二)

華厳経の教えを象徴する如来が毘盧遮那仏(廬舎那仏・ビルシャーナブッダ)です。東大寺の大仏様ですね。阿弥陀如来と同一視する考えもあります。

華厳経の廬舎那仏品は、日本仏教の根本的な方針を示した内容になっています。和を尊しとなす日本人の思想、太陽信仰と調和する内容であり、華厳を国家の中心に据えようとした聖武天皇の慧眼がうかがえます。

まず華厳経は仏の教えや世界を「海」に譬えています。仏教はインドの平原で生まれました。仏教で世界を表すのはヒマラヤ山脈を象徴化した須弥山(スメール山)です。海はなかなか出てきません。これは華厳経が南インドで作られたことを示唆します。我が国は島国です。仏の尽きぬ知恵を海に譬えた華厳経に、我々の祖先は親近感を抱いたはずです。

華厳経はこの世界は海であり、その形状は様々で、方形・円形・渦巻・川の流れ・網・花のようだと言っています。なんだか銀河や星雲のようです。そして廬舎那仏を中心にして、仏・菩薩・天などが調和しあっているという世界が説かれています。和を大事にする日本人には理解しやすい世界です。

廬舎那仏の身体の中には世界が収まり、廬舎那仏が念じると三世(過去・現在・未来)が一瞬で現れるとしています。時間に流れがなく、過去・現在・未来が同時に存在するとしているのです。ここが西洋的な世界との違いです。世界が収まるので、清らかなものも、穢れたものも、等しく廬舎那仏の一部であると華厳は説いています。排除はしないのです。

華厳経の廬舎那仏品には登場人物が二人います。一人は解説者の普賢菩薩。もう一人は菩薩の代表として言及される如意寶王、すなわち如意輪観音です。如意輪観音は全てを意のままにする如意宝珠を持つ観音様です。

いきなり如意輪観音が登場するのは唐突ですが、ジャータカの末期には如意宝珠(摩尼宝珠)は重要なファクターになります。ジャータカの末期には南インドの影響も見られますので、如意輪観音は南インドの伝統的な神様だったと考えられます。つまり仏教がやってくるよりも先に南インドにいた神様を、華厳経が取り入れたのです。だから文脈に関係なく、如意輪観音が現れるのでしょう。

華厳経の如意輪観音は日輪の光を力の源とし、真珠を持っているとされるので、太陽と海の神様でした。ここも我が国と親和性が高く、平安貴族が如意輪観音を深く信仰した理由です。

ただし「華厳経」には「観音」という単語は一切出てきません(間違い、善財童子の旅に登場します)。観音様は法華経の登場人物です。華厳経に出てくる菩薩・大士・王を観音と同一視したのは、天台宗です。比叡山は南都の仏教を取り込むために、華厳経の神様たちを観音として取り込んだのです。

華厳経の廬舎那仏は世界そのものであり、人々に指図はしません。衆生の善も悪も受け入れながら、人々をよい方向に導こうとします。人々を導くのが菩薩です。これは日本の政治の在り方に深く影響を与えたと考えられます。立憲君主制の基礎となる思想です。

 

廬舎那仏品は密教的な解釈も可能ですが、それはまたいずれ解説したいです。

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