華厳経(十四) 天主光童女
彼女は既に解脱したのだと言っています。従って如来ということになります。
遂に天宮に行って童女と会うと書いてありますので、これが善財童子の最終到達点でした。ここから先は人間の認識を超えた次元です。
世界樹の先ですから、これは世界樹が宇宙の果てへと続く宇宙エレベーターでもあることを示しているのでしょう。善財童子が求めてやまなかった現生のテーマ「女人」の彼にとっての真理を見た後で、彼は時の管理人に出会います。よくここまで来ましたね、ということで特別に時の管理人との面会がかなったのでしょう。
わざわざ宇宙の果てまで来て「女」を検索したこの正直者に時の管理人も興味を抱いたのかもしれません。
彼女はガンジス川の砂の数ほどの数限りない菩薩を見てきて、
・菩薩が母胎に入った時
・誕生の時
・よちよち歩きをしたとき
・口をきいたとき
・子供として遊んでいた時
・菩提樹の下で正しい悟りを開いたとき
・魔を下して人々を強化したとき
すべてを記録して、眼前に映像として再生できます。
この場合の菩薩というのは宇宙の知的生命体一般です。その人生を全て記憶しているのです。宇宙のデータベース(世界樹)そのものと言えます。宇宙のデータベースはなんと童女(少女)でした。
乳母、妻、生母と来て最後に現れたのが童女でした。
自分は八十四億八千那由他の仏を見てきた。
Wikipediaの那由多の説明によると
これは10の38乗に等しいです。(億が10の8乗)
一つの銀河の中には一千億、大いい物では一兆の星があります。
人間が想定できる宇宙の範囲内には銀河は二千億個あるらしいです。
10の8乗の二乗ですから10の16乗です。
10の38乗はその二乗の1万倍です。
ということは、宇宙の知的生命体1人1人に宇宙の生命体全てが含まれていて、それが1万世代と考えると1つの宇宙の知的生命体の数として規模は合います。
善光宇宙時代では、ジャンプ州の塵に等しい数の仏を供養した。
無量光宇宙時代には、20のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。
善悲宇宙時代には80のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。
勝游宇宙時代には60のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。
妙月宇宙時代には70のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。
今は6つ目の宇宙です。少なくとも6つの宇宙を経験し
そこで起きたことをすべて残らず記憶しているというのです。
天主光童女の解脱の力ですべての神変の力を理解していると言います。これは究極の智慧です。その名も無礙念清淨解脫です。自分の法門が「解脱」と言っているのは彼女だけです。解脱と言っているわけですから、この後に控えている弥勒菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩よりも格上です。
これは如来すら超えており、究極の存在と言えるかもしれません。しかし彼女は三十三天の一つ、正念王の王女ですから、まだまだ上には上がいるということなのでしょう。
宇宙の広さは果てしないのです。
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べっちゃんさん。こんばんは。
天主光童女は、ガンダムのララア・スンでしょうか。シャアが求めた「妻、生母」。そのような印象を受けましたし、キリスト教の聖母の被昇天のような感じも受けます。
ユニコーンガンダムからナラティブガンダムへと続くサイコフレーム「光」の謎。「解脱」との関係も興味深いです。
「ニュータイプとは預言者」というのがあるブログで指摘されていましたが、読ませていただいて、キリスト教より仏教系の色合いが濃そうですね。
宇宙のデータベース(世界樹)は、F.S.Sのモナーク・セイクレッド(銀河の中心で時が静止している空間にある人類の記録を紡ぐ装置)を彷彿します。
また、北欧神話での三女神、宗像三女神も含め「女」を様々に変化して「女とは何か?」を問い続けていくものなのですね。
投稿: hahnela03 | 2019年10月29日 (火) 17時54分
hahnela03さん、こんにちは
ガンダムシリーズの生みの親である冨野由悠季氏は、チベット密教にはまっていてことがあります。立花隆の「宇宙からの帰還」の影響も見られます。ガンダムの方が時期的に早いので、冨野氏は「宇宙への帰還」のネタ元である、米国の原著の方に当たっていた可能性もあります。
ガンダムシリーズの基本的なストーリーの構造は、天(宇宙)で暮らしていた無垢な魂が、肉体(モビルスーツ)をまとって下界(地球)に降りてきて、様々な苦難を体験して人間として成長し、最後はまた天(宇宙)に帰って行くというもので、非常に宗教的なお話なんですね。
しかし異色なのはVガンダムで、これだけは地球から出発して、宇宙へ行き、最後は地球に帰ってきます。だからどうも冨野氏はこのストーリーが自分では気に入らなかったらしいのですが、Vガンダムは主人公のウッソとヒロインのシャクティが幸せに結ばれる話です。だからこれはガンダムでは珍しく「女性」を扱った話ということになります。
女性を大地母神に見立てて、母から生まれて、最後は母なる大地に還るストーリーとしてみればVガンダムはおかしくないです。冨野氏は照れ臭いのかもしれません。
おっしゃるように、ララァは冨野氏にとっての世界樹の乙女なのかもしれませんね。
投稿: べっちゃん | 2019年11月 3日 (日) 19時07分
べっちゃんさん こんにちは。
ご返答ありがとうございます。
大蓮華を中心とした光輝く世界観である蓮華蔵世界に「解脱」することで、「この世の始まりから終わりまでを見通す」。ヤマト2202でのテレサ(女性)は正にそういう存在でした。
ダンバインの設定もオーラ世界から具象界へ出現しても、必ず「帰還」する際の主導権は男性ではなく女性。
日本のアニメを社会学的にみる研究者が多い印象がありますが、根底にあるのは物理学ですね。
投稿: 保守系左派 | 2019年11月 4日 (月) 14時36分