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2020年9月12日 (土)

蒲田の稗田神社

JR蒲田駅と京急蒲田駅の中間あたりに稗田神社(正確な表記は薭田神社)はあります。延喜式に磐井神社と並んで八幡神を祀る神社として記録されています。稗田神社の祭祀は中世に一時期中断していたようで、正確な位置はわかりません。先に見たように三田の御田八幡神社も稗田神社の後継者であると主張しています。

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稗田神社

 

この神社の御祭神が興味深いです。天照大神、誉田別命(応神天皇)、春日明神、武内宿禰までは普通です。武内宿禰は応神天皇を助けたスーパー軍師ですので、八幡神社ではよく祀られています。問題は荒木田襲津彦命です。彼は何者なのでしょうか。

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由緒を刻んだ石碑。鳥居を入ってすぐ左側です。

 

荒木田襲津彦命を検索すると葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)が出てきます。ここがネットの良いところです。関連がありそうな単語を自動的に拾ってくれます。

葛城襲津彦は神功皇后、応神天皇の時代の軍人で、海を渡って新羅と戦ったと言われています。朝鮮半島側の記録にも沙至比跪(さちひこ)として登場します。大和朝廷の使者として朝鮮半島に渡って活動していたらしいです。古事記では武内宿禰の七男となっています。娘の磐之媛命が仁徳天皇の后になっていることが日本書紀に見えて、葛城氏のかなり有力な族長であったようです。

紀氏の系図である紀氏家牒の逸文によると、葛城襲津彦の母は荒田彦の娘である葛比売としています。紀氏家牒によると、荒田彦は葛城国造なのだそうです。荒木田と似ています。


普通に考えると、葛城襲津彦の母方の姓が誤って関東に伝わったで片づけられてしまうのでしょうが、ここに見過ごせない万葉集の歌があります。

葛城の 襲津彦真弓 荒木(新木)にも 頼めや君が 我が名告りけむ(万葉集11-2639) 

これは通常は葛城襲津彦が使った強弓を引けるような頼もしいあなたが、私の名前を呼んだ(求婚した)のだから、これは私のことを強く愛している証拠でしょう。と読むそうです。荒木の部分が意味不明とされてきました。新しい木で作った弓という解釈がありますが、弓を作るときには木を乾かします。白木は弱くて弓には使えませんのでこの解釈は間違っています。

 

これは素直に読めば、「葛城襲津彦、あるいは荒木とも言われているが、その人が使ったような強弓を」となります。つまり荒木田襲津彦と葛城襲津彦が、当時から混同されていたことを示唆しています。

 

 

荒木田が見過ごせない理由は他にもあります。荒木田氏は歴史に残るような重要な氏族です。成務天皇の時代に荒木田の姓を与えられて、伊勢神宮に仕えるようになったとされています。代々伊勢神宮の内宮の禰宜をしていました。成務天皇は日本武尊の弟で、応神天皇にとっては大叔父に当たります。

 

では荒木田という地名はないかと探すと、これは東京都の荒川区にあります。荒川区の荒木田というのは造園家には荒木田土の産地として有名です。荒川沿いの田んぼの底から採取される粘土で、目が細かくて水持ちがよいので、陶器作りや園芸作物の栽培に適しています。園芸用の土の代名詞となっています。そして足立・荒川・葛飾にも八幡神社が多く分布していることも見過ごせません。

 

荒木田襲津彦が何者であるかについて、3パターンの推測を立ててみました。

 

1つ目は、荒木田襲津彦、伊勢出身説です。

稗田神社は、和銅二年に天照大神、誉田別命、春日明神を合祀したという伝説を持っています。伊勢神宮の御霊を蒲田まで運び、正式な神道の祭祀をこの地に移植したのが荒木田襲津彦であるのかもしれません。

この説の良いところは、どうしてこの3点セットであるのか説明がつくことです。天武持統朝は伊勢神宮を国家祭祀の中心に据えました。伊勢神宮の祭祀を全国に広めるために、全国に神職が派遣されたのでしょう。

稗田神社には、ここが垂仁天皇の時代から神を祭る霊地であったという伝承が残っています。実際に付近で縄文時代の遺物が発掘されています。日本では新しい神様が来ても、古い神様を追い出したり消したりはしません。誉田別命は荏原郡ではポピュラーな神様ですから、伊勢神宮の信仰を取り入れる前から信仰されていたのでしょう。

そして荒木田氏は中臣氏の一派という説があります。春日明神(鹿島神社)は藤原氏・中臣氏の氏神ですので、個人的な信仰として春日明神を加えたとも考えられます。

 

2つ目は、荒木田襲津彦、武蔵国出身説です。

武蔵国の荒木田襲津彦が応神天皇の時代に武将として活躍した。故郷の人たちはこの武将を記念して神として名前を残したのです。荒木田氏は葛城氏と縁戚関係にあったのかもしれません。それで近畿地方には彼の活躍は葛城氏の功績として残りました。そして荒木田氏は伊勢の禰宜として働くようになったとは考えられないでしょうか。

 

3つ目は、紀氏が独自の伝承を持ち込んだという説ですが、これについては別二爻を立てて検討していますのでお楽しみに。

 

古事記では神功皇后に西の国を討てとお告げをしたのは天照大神となっています。日本武尊を保護したのは、天照大神を伊勢までお連れした倭姫命でした。日本武尊・神功皇后・誉田別命は天照大神と縁が深いのです。特に関東では伊勢神宮・日本武尊伝説・八幡信仰は混然一体となっています。応神天皇の将軍である葛城襲津彦と同じ名前を持ち、伊勢神宮の禰宜を務めた一族の氏をもつ荒木田襲津彦が、武蔵国の蒲田で、天照大神、誉田別命、武内宿禰とともに祀られている。その理由はわかりませんが、必然のような気もします。単なる誤伝では片づけられないのではないでしょうか。

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