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2020年10月17日 (土)

櫛の謎

櫛と神様の関係について深堀してみます。

 

1.氷川神社と櫛稲田姫

櫛を名前に持つ神様として最も有名なのは櫛稲田姫です。出雲の斐伊川を箸が流れ落ち、素戔嗚尊はそれを拾うことで集落があることを知り、櫛稲田姫と出会い、八岐大蛇退治へとつながります。箸は細い木の棒ですから串を連想させます。櫛稲田姫は八岐大蛇の生贄にされるすんでのところで素戔嗚尊に助けられました。

室町時代以前からの存在がたどれる氷川神社や武蔵国の出雲系神社では、櫛稲田姫が御祭神に入っているケースが多いです。素戔嗚尊の妻は複数います、しかし武蔵国は素戔嗚尊に櫛稲田姫を配する比率が非常に高いので、私はむしろ武蔵国中心部の古い主神は櫛稲田姫なのではと推測しています。

Kushinada01

埼玉県川口市の東本郷氷川神社

 

2.橘樹神社

櫛と神様の関係で思い当たる伝承がもう一つあります。弟橘姫です。弟橘姫とは日本武尊の奥さんです。東国で弟橘姫と出会った日本武尊は、三浦半島の走水から房総半島へ渡ろうとしますが、荒波に行く手を阻まれます。そこで弟橘姫が海に身を投げて生贄となることで、荒波は収まり、日本武尊は旅を続けることができました。

犠牲となった妻を悼んだ日本武尊は、渡った先の上総に橘樹神社を建てたと言われています。

Tachibana01

川崎市の子母口富士見台古墳。弟橘姫の遺品を葬ったとされる。

Tachibana02

川崎市の橘樹神社、日本武尊伝説を取り扱った書物の中では川崎市の橘樹神社はなぜか殆ど取り上げられることがなく、川崎市に縁がある身としては少々悲しいです。

実は川崎市の大部分は、明治まで橘樹郡と呼ばれていました。武蔵国橘樹は、日本書紀にも出てくるとても由緒ある地名です。

弟橘姫の櫛は故郷の武蔵国橘樹郡に流れ着き、土地の人が彼女を祭る橘樹神社を建てたと言われています。弟橘姫と櫛稲田姫は身に付けていたものが流れ着く、人柱になるという点が共通しています。千葉県茂原市の橘樹神社の方が日本書紀に出てきて有名なのですが、弟橘姫は恐らくは武蔵の国の神様です。橘樹郡というのは古墳時代から武蔵国にある地名ですし、川崎市の橘樹神社のすぐ近くに7世紀頃の古墳が2つあり、郡衙の遺跡も見つかっています。影向寺からは白鳳時代の瓦が発掘されています。

 

3.溝口神社・久地神社・久本神社

橘樹神社から北西に3㎞くらいのところに溝ノ口があります。そこには久地神社があります。やはり「くじ」が出てきました。溝ノ口は多摩丘陵の先端なので、これも神聖な山の一つなのでしょう。櫛の先に当たる場所に久本神社があります。近代になって複数の神社を合祀して作ったらしいのですが、久本という地名は「久地」の先端を連想させます。溝ノ口の台地はそんなに高くはありませんが、久本神社から見上げると段丘涯には迫力があって、霊地と呼んでも差し支えないなと感じます。

Kuji01

川崎市の久地神社

 

神社は「みぞぐち」と読みます。溝口神社と久地神社は兄弟神社と言われています。なぜ兄弟なのかは伝承は失われているようです。私が思うに、本来は溝久地神社なのではないでしょか。なぜ溝かというと、多摩丘陵はここで切れて溝になっているからです。梶が谷の住宅地のある当たりが溝に当たります。

今では溝口神社の御祭神は天照大神ですが、元々は赤城明神でした。山岳信仰の神社であったわけで、これは溝ノ口が聖なる櫛の一つだったという補強になると思います。

Mizoguchi01

川崎市の溝口神社

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川崎市の久本神社

 

4・櫛玉命・櫛玉姫

もう一人の櫛という名前を持つ女神は櫛玉姫です。歴史を語る際には三炊屋姫と記述されることが多いです。櫛玉姫は饒速日尊の妻で、長髓彦の妹です。櫛玉姫の名前で祀っているのは奈良県明日香村の櫛玉命神社、葛城の櫛玉比女命神社、伊勢の櫛田神社などです。饒速日尊と櫛玉姫の子孫が物部氏、穂積氏とされています。あるいは饒速日尊と櫛玉姫の間から宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)が生まれて、そこから物部氏が出て来たともされています。

櫛玉姫も天孫系の妻となった地元の女性という意味で、櫛稲田姫、弟橘姫と共通しています。神様になっているわけですから、櫛玉姫には巫女的な要素もあったのでしょう。大和郡山市で櫛玉姫を祭った主人神社に人身御供の伝承が伝わっているそうです。どうやら聖なる櫛の信仰と生贄とは切っても切れないつながりがあるようです。

 

さらに櫛玉命という男の神様がいます。長髓彦とされていますが、饒速日尊を櫛玉饒速日尊と記述するケースもあります。櫛玉命と饒速日尊は場所によっては未分離なのです。さらに古代には異母兄妹が結婚するのは珍しくはなかったので、櫛玉命が櫛玉姫の兄であり、夫であるのは別に不思議でも何でもありません。

櫛玉命(長髓彦)が饒速日尊と習合しているケースは他にもあります。千葉県の印旛沼西岸に分布する鳥見神社です。これは「とみ」と読みます。登美彦は古事記や日本書紀にも載っている長髓彦の別名です。つまり印旛沼の鳥見神社は本来は櫛玉命を祀っていると言えそうです。記紀神話では長髓彦は神武天皇に歯向かった悪神にされてしまったので、妹の婿である饒速日尊に変えたのでしょうか。

 

武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社にはアラハバキという神様がいます。荒脛巾神と表記します。あれ?脛とは「すね」のことです。これは長髓彦のことなのでは?アラハバキには信頼できる史料がないので類推の域はでませんが、私はアラハバキは長髓彦(櫛玉命・登美彦)であると考えています。それに大宮台地もやはりかつては海に突き出す「櫛」でした。

おそらく日本全国に残る櫛では、櫛玉命と櫛玉姫を祀っていたのでしょう。櫛玉命は時に荒々しさを見せる自然を表す神様で、人身御供が行われることもあったのでしょう。

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コメント

いつも楽しく拝読しています。私も一時期溝の口近辺に住んでいたことがあり、
溝久地説にはほほうと思いました。
ところで私は「橘(立花)」という言葉の響きと可愛らしい花が大好きです。
鳥羽ではヤマトタチバナが市の木なのだとか。文化勲章もそうですね。
さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今和歌集、詠み人知らず)
この季節に陰暦4月の歌というのも妙な話ですが、
冬場が近づくにつれて柑橘系は身近なものになって行きます。
そういえば記紀には田道間守が持ち帰った不老不死の薬について「是今橘也」
と説明しているくだりがあったような。ビタミンCは大事ですね。
肌寒くなって来ましたのでお風邪など召されません様。それでは。

a jelly doughnutさん、こんにちは

川崎に住んでいたことがおありですか。溝ノ口は、大山街道の宿場町として栄えたらしいですね。江戸時代には二ヶ領用水が整備され米所として有名でした。そのため嘗ては造酒屋も多かったと聞きます。

米将軍吉宗の施策なんかは、まず第一にあの辺りの産業育成を目的にしているんです。江戸の後背地でしたから。幕府の政策は橘樹郡、都築郡、荏原郡を思い浮かべると理解しやしいです。

かつては六郷川(多摩川)を野菜をのせた船が江戸へ向かい、肥を載せた船が遡っていました。

あの辺りはなかなか歴史のありそうな酒屋も多くて、今度酒屋巡りをしてみたいなと思っています。

日本の古典に登場する橘は柑橘類全般を指していますから、ときじくの実というのは、ミカンとか文旦のことですよね。ビタミンが不足し勝ちな冬には貴重だったのでしょう。

しかしどちらかというと西国の作物の印象がある柑橘類ですが、田道間守命は東国に探しにいきます。そこが多少不思議です。

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