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2020年11月28日 (土)

誉津別命と誉田別命(系図を追記)

このエントリーは

ダウンロード (前期古墳時代皇室系図)- zenkikofunnkeizu01.pdf

を傍らに開いて読むのが分かりやすいです。

 

実は応神天皇が障碍者であった可能性を示す伝承があります。応神天皇の別名として大鞆和気命があります。これは天皇が生まれた時に、肩が武具(大鞆)のように盛り上がっていたからそういう名がついたのですが、これはおそらくせむしを表しているのではないかと私は思います。

せむしは正面から見ると肩が盛り上がっているようにみえます。

 

さらに応神天皇の神名は誉田別命(ほむたわけのみこと)ですが、この中には「たわけ」という言葉が入っています。たわけの由来の俗説は、田んぼを分割して相続することによって子孫が困窮することですが、誉田別命という神名の中に田別けが含まれています。

とはいえ「たわけ」の本当の語源は、気まぐれであることを意味する「戯く」であるらしいです。であるとしてもやはり「戯け」が神名に入っています。

ほむたわけのみこととは品たわけ命になりますので、とても不敬な呼び名になるはずですが、不思議と誰も問題視していません。「たわけ」という罵り言葉は成立が中世です。私は恐らく誉田別命は白痴であったという伝承があって、そこから「たわけ」という言葉が生まれたのではなかろうかと考えています。白痴を神聖視する風習も古くから世界中にあります。

 

応神天皇の治世の前半は、母親の神功皇后が摂政をしていました。江戸時代までは神功皇后を天皇としてカウントしています。応神天皇は補助が必要な人であったのかもしれません。長い間母親の胎内にいたという伝説は、そのような意味を含んでいるのかもしれません。

 

誉津別命と日本武尊の伝説と組み合わせることで、古代人が神格化していた応神天皇には、身体的、もしくは知能的な障害があった可能性が浮かび上がってきました。古事記の著者も大っぴらには言いにくかったので、後世に伝えるために推理のヒントをちりばめたのでしょう。

 

誉津別命と誉田別命の関係です。この2人は同一人物(神様)と考えられます。ホンジナシが訛ってホデナシと言われるように、ホンヂワケノミコトは、東の方に行くにつれて「ホンズワケノミコト」や「ホンデワケノミコト」と呼ばれるようになるはずです。東国ではジ・ヂ・ズ・ヅの区別がなくなってザ・ダになっていく傾向があるからです。

ホンデワケノミコトを漢字に直すと誉田別命になるでしょう。これはおそらく、坂東における誉津別命の呼び名が誉田別命であり、再び近畿地方へ帰ってきて、別の神様として記録された可能性を示唆します。

障碍者の保護者である誉津別命と、障碍者であり関東地方で支持されていた応神天皇とが同一視されて、誉田別命という新しい神様として河内で定着したという説をここに提示したいです。

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コメント

島根県安来市にも祭っている神社がありますね。安来市といえばたたら製鉄、それでできたけらを大同で叩き潰し、小分けにして玉鋼を成し日本刀の素材にするという。古事記以来の出雲街道の伝統は最近日本遺産に選ばれたことからも分かります。

修理固成さん、初めまして。

安来にもありましたか。
誉津別命は山陰と北陸の神様ですからいるでしょうね。

日本武尊は鉱業と冶金の神様なんですが
誉津別命にもそういう要素があるのかもしれません。
鉱業と冶金の神様は、なぜか世界中どこでも不具という特徴があります。

北欧のロキなんかもそうなんですよね。

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