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2020年12月19日 (土)

忌部氏について

ダウンロード -お遍路マップ (札所1~19番) ohenromap01.pdf

 

四国八十八ヶ所の歩き遍路を始めました。弘法大師空海が定めたとされる四国の霊場八十八寺を回る巡礼です。八十八ヶ所は阿波国、現在の徳島県から始まります。阿波国(徳島県)→土佐国(高知県)→伊予国(愛媛県)→讃岐国(香川県)というように、四国を時計回りに回っていきます。

阿波からスタートするのは、古代の日本の中心畿内に近いからですが、お遍路の一番札所霊山寺は板野郡の板東にあります。ここは鳴門から西に10㎞ほど内陸に入ったところにあり、どうして上陸地点の鳴門からスタートしないのかという疑問は残ります。それを理解するには忌部氏について知る必要があります。

 

阿波国には忌部氏という古代豪族が住んでいました。忌部氏は中臣氏とともに大和朝廷の祭祀を担っていました。祭祀で使用する織布・玉・矛・楯などを朝廷に納めていたと言われています。平安時代初期に忌部広成がまとめた古語拾遺によると、忌部氏は豊かな土地を探して四国東部の阿波国に至り、そこを開発した後、さらに黒潮に乗って房総半島にたどり着き総国(ふさのくに)を開発したとされています。彼らが根付いた土地は安房国と呼ばれるようになりました。私が調べてきた房総の開発には忌部氏が関わっています。

天皇が即位して最初に行う大嘗祭で着る荒妙(あらたへ・新たな衣の意)は、現在でも徳島県の吉野川市麻績で作られています。平安時代から室町時代まで阿波国忌部郷から献上されていました。応仁の乱によってこれは断絶しますが、麻績・山崎・川島の人たちの尽力により、昭和天皇の大嘗祭の時から荒妙献上が復活しました。

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山崎忌部神社。式内社忌部神社の論社のなかで最も有力。荒妙は麻績で収穫された麻を使い、忌部神社の巫女が織った布で作るとされている。

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山川町の峡谷。山崎よりもさらに吉野川の上流。さらに奥(南)には古代からの神聖な高越山(阿波富士)に高越寺がある。奈良時代からある修験道の道場。四国の修験道としては最も古いと考えられる。中央で中臣氏に政治的に敗北した忌部氏は、ここを本拠に忌部修験道を作った。

 

さて、忌部広成が「古語拾遺」を書いたときの忌部氏の本拠地は吉野川中流域の山崎あたりだったと考えられますが、地域の伝承では忌部氏はまず板野に入り、その後に山崎へ移住したと言われています。

「粟島誌」によると、「忌部さんは土地の開拓者つまり、忌部族と粟島に深い関係があります。武布津神が出雲を平定して天照大神に報告するため、事代主命を送って阿波に来た。一説に讃岐の志度に上陸して日開谷を通過して伊笠山付近に陣取りました。その時忌部族は高天族の不意の侵入を咎めて小競り合いがあったが、やがて忌部族の天日鷲命は武布津命のために社殿を香美に建てて、事代主命を自分の妹の阿波比売の館に迎えた。本須賀の八幡宮(現在の粟神社)は阿波比売の遺跡であります。」とあり、忌部氏が讃岐から侵入した勢力に押されて吉野川北岸から後退したことが推測されます。

ちなみにこの伝承の舞台は十番札所切幡寺付近です。おそらく切幡寺の山に武布津神(武御雷命と経津命)が陣取ったと考えられます。

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十番札所切幡寺。山の中腹にある。背後には遠く八十八番の大窪寺の山も見える。

 

大体分布としては

十番切幡寺ー三番金泉寺-一番霊山寺・大麻比古神社(阿波一ノ宮)

粟島(善入寺島)

忌部郷(十一番藤井寺)

という風に並んでいます。

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阿波一ノ宮大麻比古神社。お遍路さんはここでお祓いをして道中の無事を祈る。

板野郡の板東にある一番霊山寺の奥には阿波一ノ宮の大麻比古神社があります。御祭神は天太玉神です。忌部氏の祖神である天日鷲命と同じ神様とされていますが、名前が違います。この辺りは中規模な古墳も多く、古代から開けた地域でした。しかし今も残る阿波国岡上郷戸籍によると、板野で多いのは粟凡直(阿波国造)と物部氏です。忌部氏ではありません。大麻比古神社も古語拾遺と同じように、天太玉神の命令で豊かな土地を探して阿波国に至ったことになっています。

戦前は皇国史観の影響が強く、祖先が天孫族と戦ったという伝説が大っぴらになると不利益をこうむったため、板野の大麻比古神社の伝承と山崎の忌部神社の伝承はあえて混同して考察されていました。そのため、忌部氏が理由もなく板野から山崎に後退したことになっていました。しかし粟島の伝承を加味して考えると、阿波国の古代史がわかりやすく整理されます。

 

(1)吉野川流域に最初に忌部氏が移住してきて、先進的な技術をこの地に移植した。

(2)その後、天孫と出雲の合同勢力(粟・物部)が讃岐から侵入した。

(3)小競り合いの後、粟・物部は吉野川北岸を占領した

   彼らは先住の忌部氏を吸収しながら、板野を中心として栄えた。(大麻比古神社)

(4)忌部氏は吉野川の南岸に後退した。そして山川・山崎・麻績のあたりを開発した(山崎忌部神社)

(5)忌部氏の一部が房総に移住した

(6)忌部氏は天智天皇・天武天皇に協力し、日本神話と宮中祭祀の骨格を作った(5以降は後で考察)(大野寺・隆禅寺)

(7)奈良時代に板野から勝虞(勝悟)という高僧が登場し、法相宗を大成、板野郡で仏教が栄える(札所一~五番)

(8)嵯峨天皇の時代、法相宗と弘法大師が協力関係を結ぶ、これにより後世に阿波で高野山が優勢になる

(9)忌部氏が中央で敗退し、山岳仏教に注力、吉野川南岸の山間部で寺院が建立される(高越寺・札所十一~十三番)

(10)(1)より先、鳴門と淡路島には海部が勢力を張っていて阿波とは別の扱いを受けていたと思われる、仏教の導入も遅れた

 

つまり八十八ヶ所は四国の神道や古代豪族の歴史と密接なつながりがあることが予想されるわけです。以上の大きな流れを頭に入れておきながら、板野から順にお遍路と周辺の神社について考察を進めてみましょう。

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