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2021年1月30日 (土)

かぐや姫(つくば市の蚕影神社と六所皇大神宮)

 

ダウンロード (飛鳥時代皇室系図)- asukakeizu01.pdf

 

筑波山の南麓の豊浦の地には常陸養蚕三社の一つである蚕影神社(こかげじんじゃ)があります。

Tsukuba2

豊浦から見た筑波山

 

Kokagejinja

蚕影神社

 

蚕影神社には3つの由来があります。

(1)第十三代成務天皇の時代に阿部閇色命(あべしこおのみこと)が筑波国造に赴任し、筑波大神に奉仕し、豊浦の地に稚産霊命(わかむすびのみこと)を祀った

(2)昔金色姫が現れて常陸国に養蚕を伝えた時に、筑波の神が影道仙人となって表れて、里の人々に絹糸と布の作り方を教えた

(3)金色姫が欽明天皇の皇女各夜姫(かぐやひめ)として生まれ変わり、筑波の土地に飛来し、神衣を織り、国人たちに養蚕太伸とあがめられた。

Kokagejinja2

 

3つそれぞれに根拠がありそうです。(1)成務天皇とは日本武尊の弟です。常陸国が大和朝廷に服属したのは、日本武尊の時代と言われています。阿部閇色命はこの土地に大和地方の信仰を導入したのでしょう。稚産霊命は産業の神様です。下総国の麻賀多神社でも祀られています。どうやら、大和朝廷の支配が常陸や下総に届いたときに、近畿から最初に入ってきた神様は稚産霊命らしいことが分かります。

 

(2)は先に見た星福寺の金色姫伝説です。大陸から活発に技術が導入された六世紀から七世紀にかけての、この地域に起きた変化を表していそうです。

 

(3)は平安貴族が「竹取物語」として改変する前の「原かぐや姫」を伝えています。かぐや姫は元々は筑波の養蚕起源伝説であったようです。かぐや姫は古事記では垂仁天皇の后として登場します。そういう名前の皇族はどうやら上古にいたようです。筑波の伝説では欽明天皇の王女が空を飛んで筑波に舞い降りて、養蚕機織りの技術を伝えたとなっています。

 

私はこの筑波の各夜姫は日本の野蚕であるヤママユを説話にしたものではないかと思うのですがどうでしょうか。ヤママユの幼虫は美しいエメラルドグリーンをしており、緑色の繭を作ります。これが緑色の月の光を連想させ、紀貫之をして月のお姫様の物語を作らせたのではないかと思うのです。

 

さて、蚕影神社から歩いて一時間余り、筑波山の登り口にはかつて六所皇大神宮がありました。皇大神宮とあるように、伊勢神宮の分社でした。伝承では桓武天皇の時代に坂上田村麻呂が鳥居を作ったことになっており、源頼朝が御家人と共に寄進をしたことが確認できるので、少なくとも平安時代にはこの神社は成立していたようです。

Rokusho1

室町時代から江戸時代にかけて、この地域の伊勢信仰の中心として栄えたものの、残念ながらこの神社は戦前に政府によって弾圧されたらしく(村社としての存続が許されなく、無収入になってしまい、祭祀が途切れかけた)、鳥居の根元から発掘されたと言う坂之上田村麻呂の名前があったという銅鏡も、この神社の由来を示す文章もどこにあるのかは不明です。現在この神社は神社本庁には属さない宗教団体が管理しているので出土物や文書は或いはこの団体が保有しているのかもしれませんが公開はされていないのでこれ以上の調査が難しいです。

面白いことに、この神社には幼少期の天照大神が育った土地という伝説があります。果たしてこれは中世に後付けされた話と片づけてよいのか。

Rokusho2

私が気になるのは、あの有名な天の岩屋戸伝説は金色姫と同じストーリー展開であることに気が付いたからです。天の岩戸でも、天照大神が弟の素戔嗚尊の数々の暴虐にショックを受けて岩戸の中に引き籠ってしまいます。そしてより強力な太陽神として復活します。身近な人からいじめられる、中空状の場所に籠って変身するというのは金色姫型の養蚕起源伝説の重要な要素です。

天照大神が元々は養蚕の神様だったのではないかというのは古くから提唱されている説です。記紀神話でも岩戸隠れに先行して、天照大神の侍女(本人という説もある)が機織りをするシーンが入ります。これは天の岩屋戸伝説が、本来は日本固有の養蚕起源伝説を基としている可能性を示唆します。

平安の朝廷も常陸国に残る養蚕起源伝説と記紀神話の類似に気が付いていたのではないでしょうか。それで筑波山のふもとに伊勢神宮の分所を作って崇拝したのではないかと私には思えてなりません。

しかし明治政府は、東国に天照大神の起源に触れる神社があることを、記紀神話との矛盾と捉えたのでしょう。この神社の存続を許しませんでした。

それはともかく、この神社の奥の森林と清流は美しく、古代人が天照大神が幼少期を過ごしたと想像したのも無理はないように私には思えました。筑波山は万葉集の時代から夫婦の神様がいる山として有名でした。山頂が二つあるのですからそれは自然です。その麓に筑波山の夫婦神の子供の神様がいてもおかしくありません。

 

※私は現在六所皇大神宮跡を管理している宗教団体とは全く関係はありません。

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