2021年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 大野寺と札所十一番 | トップページ | かぐや姫(つくば市の蚕影神社と六所皇大神宮) »

2021年1月23日 (土)

金色姫とシンデレラ(神栖市の蚕霊神社)

(1)常陸国養蚕三社

常陸国(茨城県)には、日本の養蚕の起源と呼ばれる三つの神社があります。神栖市の蚕霊神社(さんれいじんじゃ)、つくば市の蚕影神社(こかげじんじゃ)、日立市の蚕養神社(こかいじんじゃ)です。

この三社は日本全国にある養蚕神社の起源と言われています。かつて養蚕が盛んだったころには、この三社にはたくさんの養蚕や絹織物の関係者が参拝に押し掛けました。

三社の由来には金色姫という共通の伝説があります。継母にいじめられた異国のお姫様が日本に漂着して、養蚕を広めるという物語です。これは養蚕の起源を伝える神話としては広く世界に広がっています。

概要は、若い女性が身内(たいていは継母である)からいじめられて様々な困難に見舞われ、しかしそれを機転や親切な人の助けや動物の助けで切り抜けます。業を煮やした継母は、その女性を船に乗せて海や川に流してしまいます。流れ着いた先で女性は親切な老夫婦に助けられるのですが、やがて病気で亡くなってしまいます。しかし老夫婦の夢の中に現れて、自分は虫に変身したからそれを大事に育ててほしい、その虫から糸を取って役立ててほしいと言います。老夫婦が女性の遺品を調べると、箱の中には蚕がいて、そこから養蚕が始まったという話です。

それでは今週と来週は茨城県の蚕霊神社と蚕影神社を訪れてみましょう。

 

(2)神栖市の蚕霊神社と星福寺

Sanreijinja2

茨城県神栖市の蚕霊神社(さんれいじんじゃ)

 

茨城県の神栖市に養蚕の起源を伝える神社の一つである蚕霊神社があります。この神社は星福寺というお寺に付随する祠でした。明治の神仏分離令によって、神社として独立しました。

 

Seifukujihondo

星福寺の本堂

 

そのため、星福寺創立の縁起と蚕霊神社の由来は同一です。

 

Seifukujiengi

星福寺の縁起

飛鳥時代の舒明天皇の時代に、インドから金色姫が流れ着いて、養蚕を広めたという内容です。金色姫を助けたのは、常陸国日川に住む権太夫さんでした。権太夫さんは養蚕で豊かになり、全国に技術を広めて星福寺を建てたのでした。

 

石碑の抜粋

当山は常陸国鹿島郡豊良浦日向川(日川)蚕霊山千手院星福寺と称し、奥之院ご本尊は蚕霊尊(馬鳴菩薩)あり(※現在の蚕霊神社のこと)、養蚕守護の尊霊にして、養蚕業者悉く帰依渇望の念を運びきたりて参詣報賽せあらる、霊城赫々四方に高く、これ他に求むべけんや、縁起によれば桑の宇津魚舟が塩路常陸なる豊良浦に漂着、時に舒明帝十三年(584)所の漁師権太夫その浮流木を薪にせんと打ち破りてみれば、金色宝々たる姫宮光明赫々なるをみ黒塚権太夫大いに驚き、家に持ち帰り大事に養育せり、父大王からは汝仏法流布の国に行き、蒼生(民衆)を済度せよ(救え)と今比の浦に流れ来た、霊記によれば蚕虫化した姫宮は桑の葉を食し重ねるに宿縁有りて繭となる。その時影道仙人ありてこれを糸と布とにし、寒暑を防ぐ衣服とすることを教え、後権太夫富を得、諸国を巡り蚕業の普及を図り、一宇建立し尊霊を安置し、蚕霊尊と称し、毎年十一月酉の日を礼典、怠ることなく守護、されば絹は豊良浦より起こり常陸絹として名誉後に伝う。

降りて室町時代から江戸時代には益々信を起こし、善を修し大伽藍を建立し世業の円満成就は曼荼羅の和合よりと、人世は相互供養の上にこそ佳すべきなりと、京都総本山醍醐寺より大日如来を勧請して、真言密教の道場となり、養蚕の祈願と共に寺運興隆を見、その名刹を江湖に知られるに至る・・・

 

 

(3)金色姫伝説の矛盾

金色姫伝説には矛盾があります。日本では縄文時代の後期にはすでに絹がありました。遺物が出土しています。古代支那でも日本産の絹布は知られていました。星福寺の伝説では金色姫は六世紀の終わりごろに日本に来たことになっています。ですので、金色姫から養蚕が始まったというのは歴史的には正確ではありません。

金色姫伝説はインドより西方の養蚕起源伝説として一般的です。インドのアッサム地方には金色の糸を作る野蚕(ヤサン)がいます。野蚕とは野生の蚕のことです。カイコガの仲間で日本にも古くからヤママユやクワコがいます。桑以外の木の葉も食べます。やはり繭を作り、そこから糸を取ることができます。日本のヤママユからは美しい黄緑色の糸が取れます。皇居で皇室の女性が飼育されているのはヤママユです。古代の絹布を再現する際に、上皇后さまが皇居で飼育している蚕をご提供されたことが報道されたので、覚えている方もいるかもしれません。

インドのアッサムにはエリ蚕という野蚕がいて、美しい金色の繭を作ります。画像検索でも出てきます。この金色の絹がエキゾチックな興味を掻き立てて、金色姫の伝説を生み出したのではないかと考えられます。

Sanreijinja3

蚕霊神社の由来

 

(4)蚕霊神社と星福寺の起源

では星福寺とはどういうお寺であるのか?常陸国で養蚕が盛んであったことは奈良時代には確認ができます。この黒塚権太夫さんはおそらく大陸渡来の新技術で養蚕を改良したのでしょう。その技術は仏教と同時に常陸の地に導入されたのかもしれません。養蚕を改良して巨万の富を築いた権太夫さんはお寺を建てたのでしょう。これが星福寺です。権太夫さんが活躍したのが舒明天皇の時期だったのでしょう。

残りの養蚕神社のつくば市の蚕影神社の由来も大同小異なのですが、起源が百年さかのぼって欽明天皇の時代になっています。そこには各夜姫(かぐやひめ)が金色姫の生まれ変わりとして登場します。これは次週取り上げます。日立市の蚕養神社では孝霊天皇の時代となっています。蚕養神社が一番古いのですが、孝霊天皇の時代にインドからお姫様が漂着するというのは無理があります。なんらかの後世の後付けがあるのでしょう。しかし日立市もなにか養蚕に由来のある土地だったのかもしれません。

 

(5)軽皇子と中臣鎌足

ダウンロード (飛鳥時代皇室系図)- asukakeizu01.pdf

星福寺ができたのは舒明天皇の代です。舒明天皇は聖徳太子で有名な推古天皇の次代です。そして皇后は宝皇女で舒明天皇の次に皇極天皇となります。宝皇女は舒明天皇の姪です。皇極天皇は乙巳の変(大化の改新)の後に弟の軽皇子(かるのおうじ)に譲位します。そして弟の軽皇子が孝徳天皇となりました。宝皇女と軽皇子は姉弟で茅渟王の子供です。舒明天皇と茅渟王は兄弟です。

そして舒明天皇と皇極天皇の間に生まれたのが、天智天皇と天武天皇の兄弟です。

何故舒明天皇の一家のことを説明したかというと、なんと星福寺のすぐ近くには「軽野」という地名があるからです。

Karunoshogakko

神栖市立軽野小学校正門

 

果たしてこの神栖にある軽野と軽皇子は関連があるのでしょうか?私はあると考えています。神栖の軽野と軽皇子をつなげるのは中臣鎌足です。

藤原氏の始祖である中臣鎌足は鹿島神宮の出身でした。上総国の豪族の生まれだったと言われています。優秀であったので、鹿島の中臣氏の養子となり、さらに飛鳥に留学することになりました。中臣鎌足は最初は軽皇子の学友でした。そこでも異才を発揮し、中大兄皇子の目に留まったと言われています。

私が推測する経緯はこうです。舒明天皇の時代に常陸国は養蚕業で大変に栄えていました。養蚕業者の権太夫さんは舒明天皇の一族に資金援助したのでしょう。あるいは舒明天皇かその弟である茅渟王の部民だったのかもしれません。それで茅渟王は権太夫さんが持つ土地である軽野を息子の名前に付けたのではないでしょうか。当時は王子を養い育てる費用を負担した土地の名前を、王子に名付けるのが一般的でした。

そして権太夫さんは郷土の有為な人材は支援していたのでしょう。鹿島神宮にいるという俊才に援助して飛鳥で最新の知識を身に付けさせようとしたのでしょう。それが中臣鎌足青年だったのです。

上総国の高倉観音に伝わる中臣鎌足の出生伝説では、彼の両親は豪族ではなく裕福な農民とされています(母方は大伴氏だったらしい)。どうやら中臣鎌足は農民だったけれども、才能を見出されて鹿島神宮の中臣氏の養子になり、さらに飛鳥に留学するというようにして、出世していったらしいのです。日本史を支配した藤原氏の始祖が、古代業族ではなかったかもしれないのは驚くべきことです。藤原鎌足も日本史で時々現れる豊臣秀吉や伊藤博文と言った、シンデレラボーイの一人だったのかもしれませんね。

 

(6)金色姫とシンデレラ

さて表題ですが、金色姫の伝説の内容はシンデレラそっくりであることに気が付きましたか?おそらく金色姫伝説が西洋に伝わり、養蚕の部分が抜け落ちたのがシンデレラなのでしょう。金色姫の伝説はペルシャ・トルコ・イタリアあたりまでは養蚕と結びついていますが、それ以上北では寒くて養蚕ができないので、蚕に変身するという部分が抜け落ちてしまったと考えられます。

しかし絹からはきれいな衣装が連想されますので、金色姫が死んで蚕に変身するという部分が、魔法でお姫様に変身するというように変えられたのではないかというのが私の推測です。

« 大野寺と札所十一番 | トップページ | かぐや姫(つくば市の蚕影神社と六所皇大神宮) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 大野寺と札所十一番 | トップページ | かぐや姫(つくば市の蚕影神社と六所皇大神宮) »