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2021年2月13日 (土)

房総半島太平洋側の神社

房総半島の太平洋側にある神社にお参りしてきました。

 

1)玉前神社(上総国一ノ宮)

千葉県長生郡一宮町にある玉前神社。文字通り上総の国一ノ宮です。一宮というのは、院政時代以降にその国の代表的な神社を自然と呼ぶようになったものです。上総国は玉前神社、下総国は香取神宮、安房国は安房神社(忌部神社)です。房総三国の一宮には、海に所縁のある神様が選ばれています。

玉前神社に祀られているのは、玉依姫命です。玉依姫命は、大綿津見命(大海神命)の娘で、豊玉姫命の妹です。豊玉姫と日子火火出見命(山幸彦)の間に生まれた鵜茅葺不合命を乳母として育て、命が長じてはその妻となり生まれた子供が日本磐余彦命(神武天皇)です。

ダウンロード 神代系図 - shindaikeizu01.pdf

そのため玉依姫命は縁結び、子授け、出産などの神様とされ、北条政子が懐妊の折、源頼朝は安産を願って玉前神社に捧げものをしたことが伝わっています。

 

上総国の玉前神社には上総十二社祭という房総半島では最古の浜降り神事があります。玉依姫とその一族の神々が釣ヶ崎の海岸に集まって再会するという壮大な祭です。下総にも平安時代になって始まった神幸祭が伝わっています(後述)。

 

境内には小さな白石を並べた環状の通路があり、そこを裸足で三周すると健康になるとされています。トライしてみましたけれども、足のツボが刺激されてめちゃくちゃ痛かったです。

 

2)玉崎神社(下総国二宮)

上総国一ノ宮は九十九里浜の南端にあります。浜の北端である旭市飯岡にも玉依姫を祀った玉崎神社があります。こちらは下総国二宮に選ばれています。

玉崎神社は日本武尊が人柱になった妻の弟橘姫を偲び、海神を鎮めるために玉依毘売命(玉依姫)の神霊を祀ったとされています。パンフレットによると、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤らが参拝したそうです。最古の記録は崇徳天皇の長承年間から残っているそうです。

飯岡は天保水滸伝のモデルとなった飯岡助五郎が活動していた土地でもあります。座頭市のモデルも飯岡に住んでいたと言われています。江戸時代には東回り航路の風待ちの湊として銚子は栄えました。平田篤胤も滞在しています。

 

3)橘樹神社

茂原市にあります。日本武尊が海神を鎮めるために人柱になった妻の弟橘姫を偲んで、海岸に漂着した櫛をこの地に祀ったのが始まりといわれています。川崎市にある橘樹神社に伝わるご由緒と同じです。上総国二宮です。

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拝殿の扁額は東郷平八郎の揮毫です。海の守護神ですし、弟橘姫が入水した走水は横須賀の鎮守府の沖だからでしょう。

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神社にいた猫ちゃん。尻尾が太くて狸のようでした。

 

4)猿田神社

銚子市にあります。垂仁天皇の時代に創建されたとされています。平安時代初期にはあったことが確認できます。民衆から強く信仰されており、茨城県や千葉県には猿田という名字の人が多くいます。とても霊験あらたかな神社なのだそうです。猿田彦神も海に所縁のある神様です。

 

5)雷神社(らいじんじゃ)

旭市見広にある神社。この地域はかつては海上と呼ばれており、東側には椿海という大きな湖が広がっていました。神社は50mの高台の上にあります。

神社の縁起によると、応神天皇の御世に下海上国造となった久都伎直(くずきのあたえ)が、自らの祖先神を奉祀したと言われています。

御祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)です。天穂日命は天照大神と素戔嗚尊の誓約によって生まれた五男神三女神のうちの一柱です。天から大国主命の元に遣わされたとされています。出雲国造や土師氏の祖になったとされています。すなわち久都伎直は出雲国造系の氏族ということになります。

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印旛沼周辺と椿海の西側の匝瑳には、登美命(長髓彦、櫛玉命)と饒速日尊を信仰する物部氏が住んでいました。鹿島には武御雷神が祀られていています。武御雷神は天孫系の神様。香取には経津主神が祀られています。出雲に残る神話では、天穂日命は経津主神と共に地上を平定したことになっており、物部系の天孫の信仰が強い下総国の中にあって、香取と海上はなぜか出雲系の信仰を持つ人たちが生活していたようです。

あるいは、景行天皇が亡き日本武尊を追慕して東国を巡幸された際に、椿の海の東端の高台に立たれ、ここに東国鎮守として一社を創建したともいわれています。

東大社、豊玉姫神社、雷神社の3社は20年に一度、銚子の渡海神社まで神輿で渡御して集合する式年大神幸祭を行います。東大社、豊玉姫神社がある香取と雷神社がある海上から、渡海神社がある銚子までは20㎞以上あり、数日かかる大規模な祭礼です。平安時代から千年、合計54回、戦国時代の混乱を除いてほぼ欠かさずに20年に一度行われてきました。混乱した際も一年ずらしただけで、やはり祭礼は挙行されています。

 

6)渡海神社

銚子市外川浦にあります。御祭神は綿津見大神と猿田彦命です。猿田彦命を祀っているのは、この土地が人々が集まり散っていく道標となる場所であることによるそうです。外洋に突き出た銚子にふさわしい伝説といえます。

文字通り、遠方から海を渡って人々が移住してきたことを記憶する神社です。式年大神幸祭では、東大社、豊玉姫神社、雷神社の神輿がここに集合します。鎮守の杜は鬱蒼とした照葉樹林の極相林で、小さな丘によって周囲からは隔絶していて境内は静寂が支配しており、厳粛な気持ちになりました。

 

房総半島の海神系の神社には天孫の影は薄く、大和朝廷によって神話が再編成される前の、海人族の古い信仰を伝えていると言えそうです。つまり豊玉姫や玉依姫は祀られているけれども、その夫である日子火火出見命や鵜茅葺不合命の伝説は残されていません。この地域の天孫は印旛沼や匝瑳の物部氏が信仰していた饒速日尊ですが、物部氏は房総の海人族とはあまり交渉を持っていたようには見えません。

記紀神話を分析する際に、海人族は天孫神話を生み出した母胎とされることも多いのですが、房総に残る海人族の神話を見る限りでは、海人族と天孫はやはり別物であったと考えるべきかと思います。

印旛沼周辺の麻賀多神社では豊受大神が信仰されており、その祖神として稚産霊命と稚日女尊が祀られています。豊受大神が天照大神とは独立した別の神様だったことが分かります。

天照大神の原型ともいえる養蚕の神は、神栖や筑波山周辺で信仰されています。

この房総と常陸国の神様の分布は、大和朝廷が記紀神話を創り出す前の日本の原始的な信仰を良く保存していると言えるのではないでしょうか。

そして関東では皇祖神は神倭伊波礼毗古命(神武天皇)ではなく、誉田別命(八幡神)であるのです。関東でも皇祖神は古くから信仰されていましたが、それは天照大神でも神武天皇でもないのです。それが意味するところは私もまだよくわかりません。しかし古代の日本人は、神を統一しなくても、日本人としてのアイデンティティーを共有することに支障はなかった。そういうあり方もあることは指摘しておきたいです。

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