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2021年3月22日 (月)

札所二十番ー二十一番

五日目は札所二十番鶴林寺と二十一番太龍寺へお参りしました。初日と同じでほとんど山登り。

 

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南小松島駅から横瀬西行のバスに乗り30分くらいで生名のバス停に到着。仕出川の方面へ歩いていくと鶴林寺の標識があるので、それに従って山へ入っていきます。1時間半ですが急勾配の登山道が続きます。

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登り口のミカン園から勝浦の町を遠望。

 

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水飲み大師の辺りの道しるべ。南北朝時代の町石が残る。

 

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前日からの雨が上がり、ありがたい感じの写真が取れました。

杉林の中をつづら折りに進む車道を横切りながら急こう配の参道を登っていきますと鶴林寺に到着します。

 

札所二十番 鶴林寺

霊鷲山 宝珠院

ご本尊 地蔵菩薩

仁王門は運慶の作と伝えられる金剛力士像が守っています。木々に囲まれた境内は静かで清冽な感じがしました。

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本堂。山腹の狭い土地に本堂、大師堂、三重塔が建っています。かつてこの土地に修行に訪れたお大師様は、地蔵を守る二羽の金色の鶴を見てこの地に寺を作ることにしたそうです。

鶴林寺からの山道は崩落して通行止めになっていたので、車道を下り、大井の集落に出ました。

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鶴林寺を降りたあたりで阿南市に入る。だいぶ南まで来たなという思い。

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若杉山辰砂採掘遺跡

太龍寺の登山道のわきにありました。辰砂とは水銀鉱石です。古代の石器、陶器、勾玉などと一緒に坑道の跡が見つかっています。意外なことに古代の辰砂採掘跡としては日本唯一だそうです。水銀は古墳の石棺に敷かれていました。遺体の防腐のためとも、時間とともに色が鮮やかに変化する辰砂に神聖さを感じたためともいわれています。水銀は低い技術でも分離しやすく、古代から重視されていた金属です。金メッキに不可欠なため、仏教伝来以降はさらに大量に採掘されたのは確実でしょう。

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阿波国に住んでいた忌部氏は、機織りや農業の技術をこの地に持ち込んだという伝説を持っており、技術者の集団であったようです。鉱業の技術もまた持っていたのでしょう。平城京の大仏を作るために大量の水銀が必要とされたはずですので、このあたりは奈良時代には意外に開けていたのかもしれません。

険しくはないのですが、長く続く山道を2時間くらい歩きつづけてようやく太龍寺に到着しました。

 

札所二十一番 太龍寺

捨心山 常住院

ご本尊 虚空蔵菩薩

太龍寺は空海の生涯を語るうえで非常に重要な寺院です。空海が24歳の時に記した三教指帰に「阿国大瀧岳によじのぼり、土州室戸ノ崎に勤念す、谷響きを惜しまず、明星来影す 」と書いてあります。この大瀧岳は太龍寺と室戸岬の2つの説があります。母玉依御前に会うまで七日かかったという恩山寺の伝説や、太龍寺に辰砂の鉱山があって当時から開発されていたことから推測するに、空海の修行の本拠地は太龍寺で、さらに室戸岬まで赴いて修行することもあったと考えるのが適当でしょう。

空海は大瀧岳で百日間で虚空蔵菩薩の御真言を百万遍唱える虚空蔵求聞持法という厳しい修行をして、満願の日に明けの明星が体内に入って悟りを開いたといわれています。虚空蔵求聞持法は百日間ひたすら真言を唱え続けるので、誰かに生活の面倒を見てもらわないとできません。大規模な寺院で行ったと考えるべきでしょう。となると室戸岬ではなくて太龍寺だったのではないでしょうか。

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太龍寺の山門。

非常に深い山なのですが、太龍寺の辺りは少し平らになっており、境内は広いです。西の高野山ともいわれています。おそらく空海が高野山を選んだ際には、若い頃に滞在した太龍寺を意識していたと思われます。

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太龍寺の本堂(奥)

ご本尊は勿論虚空蔵菩薩です。虚空蔵菩薩は知識を司る仏様です。金星の神様でもあります。若い女性の守護神でもあり、昔の女性の成人式である十三詣りでお参りする神様でした。

虚空蔵求聞持法を達成すると、記憶力が飛躍的に伸びるそうです。これによって空海は漢語と梵語に通じるようになったと言われています。真言を唱えることで記憶力が伸びて、言語能力も伸びたと言われても、にはかには信じがたいことです。frも虚空蔵菩薩の真言は「ノウボウアキャシャキャラバヤオンアリーキャマリボリソワカ」です。早口言葉のような感じで、活舌は良くなりそうな気はします。

密教では、天空に蓄えられた智慧と慈悲を表すと言われています。これは金剛般若経の「空観」を発展させたものです。空というのは、言語では表し切れない智慧という意味でした。それを密教では空間に知識が書き込まれていて、虚空蔵菩薩にアクセスすれば、その無尽蔵な知恵を取り出すことができると考えるようになりました。

これは「空」という言葉の連想から生まれたオカルトなのですが、それが正しいかどうかについてはここでは論じません。

虚空蔵菩薩に対応するのは地蔵菩薩です。だから札所二十番に地蔵菩薩がいて、隣の山に虚空蔵菩薩がいるのでしょうか。虚空蔵菩薩は修行者のための仏という面があり、地蔵菩薩は庶民を守ってくれる仏様です。

虚空の神様、金星の神様なので、深山幽谷の地に祀られていることが多いです。お遍路では焼山寺、太龍寺、室戸岬。京都の神護寺。意外なところでは安芸の宮島の厳島神社というのは元々は虚空蔵菩薩を祀った寺院でした。どことなく女性的な雰囲気を漂わせる優美な仏像が多いのも特徴です。剣を持っている姿は不動明王に似ていて、如意宝珠(摩尼珠)を持っているのは如意輪観音や地蔵菩薩や摩利支天と似ています。なかなかミステリアスな仏様です。

ただ、虚空蔵菩薩を祀る寺院の中には、商売本位なところもいくつかあるので、そこは変な行者につかまらないように注意してください。

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太龍寺の大師堂。本堂と大師堂、共に重層で見事でした。一日山道を歩いてたどり着いただけあって、感慨もひとしおでした。

恩山寺から太龍寺そして室戸岬の最御崎寺にかけては、史実の空海が実際に歩いた道です。千二百年前にお大師様が同じ道を歩いたのかと思うと感慨深いです。

この日は太龍寺を降りて国道195号まで歩き、バスで阿南駅に行きました。その日は徳島市に宿を取りました。今回のお遍路はここまで、最終日は神山町に戻り、神社を回りました。

2021年3月13日 (土)

札所十八番、十九番

ダウンロード - お遍路マップ札所18-23番 ohenromap1823.pdf

 

札所十八番 恩山寺

母養山 宝樹院

ご本尊 薬師如来

 

南小松島駅から歩いて一時間半くらいで札所十八番につきます。ここにはお大師様とそのお母さんの伝説が残っています。

その昔、お大師様がこの寺で修行中、母の玉依御前が讃岐から訪ねてきました。しかしこの寺は女人禁制だったため、お大師様は七日七晩この山の女人禁制を解く秘法を修め、御前を寺に招き入れて孝養を尽くしたそうです。

この物語は史実に基づいているのかもしれません。というのは、お大師様は唐に渡る前、若い頃にこの先の札所二十一番太龍寺で修行をしていました。今でいう中学生くらいで讃岐から奈良の都の大学に入学した眞魚少年ですが、大学の勉強に飽き足らず私的に出家して近畿地方や四国の修験道上で修行していました。

奈良の都で眞魚少年の世話をしていたのは、玉依御前のお兄さんに当たる阿刀大足でした。大足は大学の先生でした。なので学校を抜け出したことはすぐにお母さんには伝わったはずです。まだ高校生ぐらいですから、お母さんはとても心配したことでしょう。その息子が四国に戻ってきて修行しているということを知れば、矢も楯もたまらずに逢いに来るのは自然なことです。佐伯家は村長に当たる地位ですので、そのくらいのお金はありました。

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恩山寺から太龍寺までは私の足で二日の旅程です。当時は道も悪かったでしょうから三日くらいでしょう。太龍寺は修行道場ですので、もちろん女性は上がれませんし、険しい山の上にあります。おそらく讃岐から船で阿波に渡って小松島に上陸し、恩山寺のあたりに泊まり、太龍寺に使者を出したと考えられます。

玉依御前の使者が太龍寺に到着するのに三日、眞魚少年の説得に一日、眞魚少年が山を下りて恩山寺にたどり着くまで三日、合わせて七日かかります。このように、この説話は実話に基づいているのかもしれません。

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恩山寺の大師堂、右側は玉依御前を祀る御母公堂。玉依御前はここで剃髪したとされる。

 

ここから歩き遍路道は道路を離れてハイキングコースのような道を行きます。それほど険しくなく、自然も豊かで快適です。

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二時間くらい歩くと立江寺にたどり着きます。

 

札所十九番 立江寺

橋池山 摩尼院

ご本尊 延命地蔵菩薩

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立江寺は安産祈願のお寺として知られ、境内には立派なお堂が複数建っています。立江駅近くにあり、付近には門前町もあります。

ここは阿波の関所寺といわれ、行いの悪い人はここから先には進めなくなるそうです。それは札所二十番から二十二番までは険しい山の中にありますので、生半可な気持ちの人はそこから先を進むのは二の足を踏むという意味と思われます。

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大師堂

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本堂。市街地にある八十八ヶ所のお寺としては大きいです。

 

ここから遍路道は再び山中に入っていきます。四日目は朝に小松島を出て昼に立江寺につき、門前の定食屋でお昼を食べ、後はひたすら山に向かって歩きました。

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櫛淵で見つけた歴史学者喜田貞吉の銅像。ここの出身だそうです。

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櫛淵八幡神社。鯨マニアとしては外せません。櫛淵荘は寛元元年(1017)から石清水八幡宮領となり、八幡神社が祭祀されたそうです。そのせいか小松島は八幡神社が多いです。境内には樹齢数百年の楠木があります。

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この日は鶴林寺の登り口まで行き、バスで引き返しました。バス停の位置が変更されているので注意です!新道沿いのコメリの横になっています。

2021年3月 6日 (土)

宅宮神社

古いお遍路のルートは、十七番の井戸寺から南に折れて再び鮎喰川を渡り、徳島市内を通らずに眉山の西側を回って小松島方面へ行きます。近世になるまでは徳島市は湿地帯でまだ拓けていなかったからです。

 

眉山のふもとに地蔵院という大きな真言宗の寺院があります。安産の祈願所です。大きな池もあります。ここから歩き遍路は登山道になります。このルートは地蔵越えといわれています。

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地蔵院 ご本尊 延命地蔵菩薩

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地蔵越え、標高は150m程度だが、坂は急で滑りやすく遍路転がしの坂といえる。

 

峠で県道203号から西に分岐する林道があり、小一時間ほど下ると八万町の集落に出ます。ここに宅宮神社(えのみやじんじゃ)という古い神社があります。

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宅宮神社鳥居

今回の旅行に出る前から「変わった名前の神社だな」と何となく気になっていたのですが、読みが「えのみや」であることを知り、Fateという漫画の主人公の衛宮(えみや)と同じ名前なので俄然興味が湧いて行ってみることにしました。

 

御祭神は大苫邊尊(おおとまべのみこと)で家宅・建築の守護神。だから家を守ると書いて宅宮なのだそうです。

他には大年大神(おおとしのおおかみ)と稚武彦命(わかたけるひこのみこと)もお祀りしています。

 

この神社は延喜式に意富門麻比売神社(おおとまひめ)として名前を留める由緒ある神社です。札所一番霊山寺の奥に鎮座する大麻比古神社と名前が似ています。戦国時代に戦乱で焼けて江戸時代になって現在の場所に再建されたそうです。徳島藩主蜂須賀家から代々篤く崇拝され、今でも地域住民から大事にされている神社です。

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由緒の説明。この辺りの寺社はたいてい長曾我部元親によって焼かれたことになっています。どこまで本当なのでしょう?

社務所でご朱印と古代文字で書かれた護符をいただけました。ありがとうございました。

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境内はよく整備されていました。宮司さんも熱心な方のようで、お祭りも盛んで、資料館もあるようです(コロナでお休み中でしたが)、神代文字についてはちょっと眉唾でしたが、とても落ち着いた気持になれました。

 

この日は地蔵橋駅まで歩き、徳島市内のホテルに泊まりました。

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