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2021年3月13日 (土)

札所十八番、十九番

ダウンロード - お遍路マップ札所18-23番 ohenromap1823.pdf

 

札所十八番 恩山寺

母養山 宝樹院

ご本尊 薬師如来

 

南小松島駅から歩いて一時間半くらいで札所十八番につきます。ここにはお大師様とそのお母さんの伝説が残っています。

その昔、お大師様がこの寺で修行中、母の玉依御前が讃岐から訪ねてきました。しかしこの寺は女人禁制だったため、お大師様は七日七晩この山の女人禁制を解く秘法を修め、御前を寺に招き入れて孝養を尽くしたそうです。

この物語は史実に基づいているのかもしれません。というのは、お大師様は唐に渡る前、若い頃にこの先の札所二十一番太龍寺で修行をしていました。今でいう中学生くらいで讃岐から奈良の都の大学に入学した眞魚少年ですが、大学の勉強に飽き足らず私的に出家して近畿地方や四国の修験道上で修行していました。

奈良の都で眞魚少年の世話をしていたのは、玉依御前のお兄さんに当たる阿刀大足でした。大足は大学の先生でした。なので学校を抜け出したことはすぐにお母さんには伝わったはずです。まだ高校生ぐらいですから、お母さんはとても心配したことでしょう。その息子が四国に戻ってきて修行しているということを知れば、矢も楯もたまらずに逢いに来るのは自然なことです。佐伯家は村長に当たる地位ですので、そのくらいのお金はありました。

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恩山寺から太龍寺までは私の足で二日の旅程です。当時は道も悪かったでしょうから三日くらいでしょう。太龍寺は修行道場ですので、もちろん女性は上がれませんし、険しい山の上にあります。おそらく讃岐から船で阿波に渡って小松島に上陸し、恩山寺のあたりに泊まり、太龍寺に使者を出したと考えられます。

玉依御前の使者が太龍寺に到着するのに三日、眞魚少年の説得に一日、眞魚少年が山を下りて恩山寺にたどり着くまで三日、合わせて七日かかります。このように、この説話は実話に基づいているのかもしれません。

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恩山寺の大師堂、右側は玉依御前を祀る御母公堂。玉依御前はここで剃髪したとされる。

 

ここから歩き遍路道は道路を離れてハイキングコースのような道を行きます。それほど険しくなく、自然も豊かで快適です。

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二時間くらい歩くと立江寺にたどり着きます。

 

札所十九番 立江寺

橋池山 摩尼院

ご本尊 延命地蔵菩薩

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立江寺は安産祈願のお寺として知られ、境内には立派なお堂が複数建っています。立江駅近くにあり、付近には門前町もあります。

ここは阿波の関所寺といわれ、行いの悪い人はここから先には進めなくなるそうです。それは札所二十番から二十二番までは険しい山の中にありますので、生半可な気持ちの人はそこから先を進むのは二の足を踏むという意味と思われます。

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大師堂

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本堂。市街地にある八十八ヶ所のお寺としては大きいです。

 

ここから遍路道は再び山中に入っていきます。四日目は朝に小松島を出て昼に立江寺につき、門前の定食屋でお昼を食べ、後はひたすら山に向かって歩きました。

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櫛淵で見つけた歴史学者喜田貞吉の銅像。ここの出身だそうです。

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櫛淵八幡神社。鯨マニアとしては外せません。櫛淵荘は寛元元年(1017)から石清水八幡宮領となり、八幡神社が祭祀されたそうです。そのせいか小松島は八幡神社が多いです。境内には樹齢数百年の楠木があります。

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この日は鶴林寺の登り口まで行き、バスで引き返しました。バス停の位置が変更されているので注意です!新道沿いのコメリの横になっています。

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