宗任神社(1)
茨城県下妻市の宗任神社(むねとうじんじゃ)へお参りしてきました。御祭神は安部宗任。
ダウンロード -奥州安部・清原・藤原氏系図 abekeizu.pdf
安部宗任とは前九年の役(1051-1062)で陸奥守源頼義・義家に敗北した奥州安部一族です。奥州安倍氏は奥六郡(今の岩手県)の支配していました。鎮守府(京都の朝廷の出先機関)と融和的であったのですが、源頼義と対立し、十数年にわたる戦いの末に敗れます。
前九年の役の際の奥州安倍氏の当主は安部頼時、戦いで先頭に立って奮戦したのは長男の安部貞任でした。安部貞任は大河ドラマの「炎立つ」で村田雄浩さんが熱演されていたので覚えている方もいるかもしれません。
しかし、奥州安部氏の嫡男は三男の安部宗任だったと言われています。それは宗任の母が仙北三郡(秋田県)の長である清原氏の出身だったからです。鳥海の柵を任されていた安部宗任は途中で源氏に降伏し、筑前国宗像に流されました。連行された京都で梅の花を見せられて、見事な歌を詠んで都人を驚かせたと言われています。
安部宗任の家臣松本秀則と秀元は、源氏の追っ手を振り切って逃げて、会津から鬼怒川を下って下妻の豊田に流れ着いて住みつきました。そしてその地にかつての主君を偲んで宗任神社を建てたとされています。
神社の由来では神のお告げでたどり着いたことになっていますが、松本氏がこの地に土着したのは二つの理由から必然でした。それをまず松本氏と奥州藤原氏の関係、そして下妻に残る古代の信仰の痕跡から解明していきましょう。
宗任神社参道
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