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2021年5月16日 (日)

筑波山周辺の鯨

1)筑波山周辺の鯨地名

筑波山といえば茨城県出身者にとっては感慨深い山です。そして古代の遺跡や、古い神社やお寺が筑波山を取り巻くように分布しています。関東の古代史マニアには避けて通れない山です。

筑波山については大和の朝廷も注目していたようで、古事記、日本書紀、万葉集、常陸国風土記は筑波山を豊城入彦命、日本武尊の伝説とからめて記録しています。そして筑波山の歌垣について詳細に記録しています。

歌垣というのは、若者たちが筑波山に登って男女が夜通し無礼講で遊んだお祭りのことです。歌垣の夜だけは性的な発散が許されたともいわれています。結婚相手を探すお祭りだったともいわれています。風土記や万葉中にその様子をうたった歌が残されています。

ダウンロード - 筑波山古代関連図 tsukubakodaimap.pdf

 

 

筑波山の周囲には鯨地名が少なくとも3つあります。下妻市の鯨、石岡市(旧八郷町)の鯨岡、筑西市(旧下館市)の久地楽です。

 

下妻市の鯨には、先に見たように平将門伝説、奥州安部氏の伝説が残されています。この辺りでは奈良時代から製鉄が行われていて、栗山観音に残されている薬師如来像は、製法と造形から、奈良時代から平安時代初期にかけての仏像であることが分かっています。古い歴史がある土地です。

下妻の鯨から筑波山を挟んで東北には石岡の鯨岡があります。鯨岡には足尾山の里宮である葦穂神社があります。徳一創建の西光院や薬王院があります。

徳一とは奈良時代後期の僧侶です。藤原仲麻呂の末子で少年時代に出家しました。しかし出家していたおかげで、父が反乱を犯した際に罪一等を逃れ常陸国に流罪になりました。常陸国と磐城国で数多くの寺を建立しました。天台宗の最澄との論争、真言宗の空海が蔵書の写経を依頼した手紙などが残されています。空海と最澄も一目置いた僧侶でした。

筑波山の北にも久地楽という地名があって、新治郡衙跡が発掘されています。新治国造が葬られたとみられる古墳もあります。

 

2)石岡の鯨岡

石岡の鯨岡に行ってきました。写真と共に紹介します。

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鯨岡の集落センター

石岡駅から関東バス柿岡車庫行に乗り、終点で降ります。そこから歩いて30分くらいで鯨岡につきます。集落の名前は葦穂(あしほ)です。これは足尾山の麓であることからついた名前です。足尾山は明治以前は修験道の道場でした。

 

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葦穂の集落にある鯨岡山照岩寺。

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山号が鯨岡山になっています。珍しい名前のお寺です。

 

葦穂から東北に2㎞くらい登ったところに長楽寺という山寺(今は無住)があります。このお寺は時代劇の撮影でよく使用されることで一部では有名です。

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長楽寺の本堂。大河ドラマの「武蔵」や「篤姫」で使用されたそうです。村の青年がこの山で修行して天狗になったという伝説があります。

 

3)豊城入彦命

鯨岡の東側には、佐治塚古墳、丸山古墳があります。茨城県では最古、最大級の前方後方墳です。4世紀頃の築造といわれています。伝説では豊城入彦命が葬られたとされています。

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豊城入彦命ととは第10台崇神天皇の長男。垂仁天皇の異母兄、豊鍬入姫命の同母兄です。

古事記や日本書紀によると、どうやら上古の天皇家は末子相続だったらしく、長兄が弟を補佐した、あるいは神官になって一族を霊的に保護したという話がよく出てきますので、豊城入彦命もそのような役割を与えられた皇子だったようです。

豊城入彦命は、父崇神天皇が見た夢のお告げにより、東国を平定する役割を与えられて関東へ旅立ったと言われています。そして上毛野国造の祖先となりました。なので群馬県に多く伝説が残っているのですが、筑波山にも伝説が残っています。

崇神天皇がいた時代は4世紀頃といわれています。しかし群馬県の豊城入彦命関連の遺跡は5世紀以降が多いのです。従って豊城入彦命の墳墓としてはむしろ茨城県石岡市の丸山古墳の方がふさわしいと言えます。丸山古墳は北関東では最古級で、同時代では関東最大級の古墳です。どうやらこの時代に石岡の辺りに強い権力を持ち、大和と強いつながりを持つ人物がいて、それが古墳の文化を持ち込み、葬られたのは間違いなさそうです。

 

4)豊鍬入姫命

豊城入彦命の同母妹である豊鍬入姫命は、崇神天皇に命じられて、天照大神の御神体を宮中から三輪山の麓に遷座させたお姫様です。この時代、倭迹迹日百襲姫、豊鍬入姫命、倭姫命と3代にわたって天皇家の女性が神話に残っています。

これは天皇家の若い女性が、神に仕えたという伝説です。

  倭迹迹日百襲姫 三諸の神(大己貴命)の妻

  豊鍬入姫命   天照大神の御神体を宮中から三輪山の檜前に遷座させる

  倭姫命     天照大神の御神体を三輪から伊勢の山田に遷座させ、伊勢神宮を創始する

この3人の役割分担は、天照大神信仰が出雲の影響を脱していく過程を示しているようで興味深いです。やがて伊勢の斎宮に発展していく、皇室による天照大神の祭祀の萌芽が見られます。豊城入彦命と豊鍬入姫命の家系は、太陽神の神官として重視された家系だったのかもしれません。

筑波山の男体山と女体山は、やがて伊耶那岐命と伊耶那美命に擬せられていきますし、筑波山の南の六所皇大神宮は伊勢神宮にも認められた天照大神を祀る重要な神社でした。六所皇大神宮には、蝦夷征討から平安京に帰還する坂上田村麻呂が、神鏡を奉納し鳥居を新設したと言われています。明治三年に「石鳥居征夷大将軍坂上田村麿建立之 」と刻まれた鏡が鳥居の柱の下から発掘されています(筑波山神社に保管されているらしいですが、学問的な調査はまだされていないとのことです)。

陸奥国には、坂上田村麻呂が徳一と協力して寺院を建立したという伝説が複数あります。坂上田村麻呂が、徳一の本拠地である筑波山を訪ねて、神社に奉納したというのはありそうなことです。

筑波山には天照大神が幼少期を過ごしたなんて楽しい伝説も残っています。筑波山は天照大神信仰とも関わりが深い山であるのです。

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筑波山の南の蚕影神社。

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六所皇大神宮奥の清流


以上のように石岡の鯨岡は豊城入彦命と繋がりがあるようです。

新治の久地楽と久慈郡の鯨岡はあの日本神話のスーパースター日本武尊と関わりがあります。これについては、いずれ世情が落ち着いてから調査をしてご報告したいと思います。

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