2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« ビックニープリキoア 第9話~第20話 | トップページ | 筑波山周辺の鯨 »

2021年5月 9日 (日)

宗任神社(3)

宗任神社がある宗道からに3㎞くらい東に鯨という地名があります。周囲より1-2mだけ小高くなった小貝川の自然堤防の上にできた集落です。幅は東西に700m、南北に長さ2㎞弱の自然堤防のようです。鯨には県道56号が通っており、古代には交通の要衝であったことが分かります。地図をご覧ください。

ダウンロード - 下妻市古代関連地図shimodumamap.pdf

 

Shimodumakujira01

鯨地区の電柱、確かに住所が「鯨」です。

 

(1)古代交通の要衝だった鯨村

鯨の特徴

  1. この地域は下総国豊田郡で、常陸国新治郡、白壁郡、筑波郡、河内郡、下総国結城郡、猿嶋郡の中心部にあって交通の要衝
  2. 県道56号(古代の道路?)が小貝川を渡る地点で、子飼之渡しがある
  3. 子飼の渡しから常陸国筑波郡の中心地を通る。そこで県道24号に乗り換えると、金田官衙遺跡(河内郡衙)を通る、そして国道6号に乗り換えて石岡(常陸国府)に到る。
  4. 県道56号を西に向かうと柴崎古墳群と仏性寺がある。仏性寺は寺伝によると聖武天皇の時代の創建で、奈良時代~平安初期に作られたと考えられる、東国最古級の仏像が伝わっている
  5. 小貝川と鬼怒川に挟まれた地域には、かつて下総国豊田郡という細長い郡があった。その中心地は豊田館があった石毛付近と考えられる
  6. 鬼怒川の左岸には柴崎古墳群、香取神社古墳、矢尻北古墳、秋葉山古墳が分布
  7. 南西には尾崎前山遺跡がある。奈良時代から平安時代にかけて製鉄をしていたことが確認されている。

このように、鯨から石下の周辺には古代の遺跡が集中しており、古くから交通の要衝であったことが分かります。現在の道路交通は国道125号を中心にしていますが、中世までは下妻市の中心部には大きな沼がありましたので、古代道路は県道56号がメインルートであったはずです。この古代のメインルートが鬼怒川を渡る宗道と小貝川を渡る鯨は、非常に重要な土地でした。

 

平将門は石毛駅の西にあった豊田館で生まれたとされ、壮年期には宗道駅のすぐ近くの鎌輪之館を本拠地としていました。そこから西に一里ほどで尾崎前山遺跡製鉄炉跡があり、平将門時代に稼働していたことが確認できますので、平将門の乱は交通の要衝と製鉄を巡る争いだったのではないか、という推測ができます。

 

(2)鯨村と日光久次良氏とのつながり

以前に鯨という地名は古代の祭祀の痕跡ではないかという自説を紹介しました。下妻市の鯨には図書館やネットで調べた限りでは、明確な古代の祭祀の証拠は出てこなかったのですが、山岳仏教、特に日光の勝道上人とのつながりがありそうなことが分かりました。

Shimodumakujira02

鯨の北部に甲神社と香取神社(旧鎧神社)があります。社伝では松本秀則が安部宗任の鎧青龍と一緒に、陸奥国鳥海山から落ち延びて宗道の地に落ち着き、鯨に鎧兜を埋葬してそれが神社になったとしています。京都に将軍塚がありますが、古代には甲冑や武人の像を埋めることで、住居を呪術的に防御する信仰があったようです。古墳の埴輪まで遡れる風習かもしれません。

撮影した写真を間違って消してしまって残っていないのですが、香取神社には御嶽神社の石碑があり、石裂山大権現が祀ってあります。こちらのページに詳しいです(茨城見聞録、阿部宗任ゆかり久千代川村の鎧神社、甲神社、宗道神社)https://ibamemo.com/2020/02/11/yoroi_kabuto_sodo/

このページにあるように、石裂山大権現とは、栃木県鹿沼市上久我の加蘇山神社の御神体で、磐裂命、根裂命、武甕槌男命の三柱を指します。神護景雲元年(767)に勝道上人が開山したと伝わります。勝道上人は日光の二荒山中禅寺を開いた奈良時代の僧侶です。

勝道上人の姓は若田氏といわれています。勝道上人の生地には仏生寺があります。下総国豊田郡の仏性寺(栗山観音)と同じ名前であることも気になります。

古代に日光を治めていた豪族は久次良氏(くじら)で、日光東照宮の住所は今でも久次良町です。宇都宮市の奥州街道と日光街道が分岐する地点には徳次郎町(とくじら)があり、これは日光の久次良氏が日光山を降りて麓に移住して作った集落です。かつては外鯨邑といったそうです。これについても宇都宮市徳次郎町の智賀都神社に参拝し、宮司さんから確認しました。久次良氏は勝道上人に帰依し、日光中禅寺を支えていたと考えられます。

Shimodumakujira03

宇都宮市徳次郎町の智賀都神社の由来

 

江戸時代になってから同じ鯨という地名に加蘇山神社が注目して布教して、勝道上人の信仰が下妻市の鯨村にも根付いたのか、それとも日光・鹿沼で行われていた神事と共通するものが下妻の鯨にも古代からあって、それで下妻の鯨に加蘇山神社の信仰が残っているのかは、今となってはわかりません。

 

(3)鯨村と筑波山系の山岳信仰

鯨の集落の中心部には花蔵院という寺院があります。

Kazoin01_20210509115901

花蔵院

同じ名前の青梅市の花蔵院は友田御嶽神社の別当となっていて、下妻の鯨村の花蔵院も山岳信仰と関連がありそうです。

 

さらに、下妻の鯨村と筑波山を結んで北東側には石岡市の鯨岡があります。鯨岡には足尾神社の里宮があります。豊城入彦命の墳墓の伝承がある丸山古墳も近くにあります。

筑波山には大きく3つの山岳信仰の中心地があります。北から加波山、足尾山、筑波山です。古代には下妻から常陸国白壁郡(現真壁郡)の郡衙を通り、足尾峠を越えて鯨岡に出て、新治郡衙に出る道があったとされています。

 

(4)奥州安部氏よりも古い?

私が思うに、鯨村の甲神社、鎧神社の信仰は安倍宗任の家臣の入植よりも古いのではないでしょうか。下妻の鯨は、日光と加蘇山の勝道上人の山岳信仰と筑波山系の徳一上人の山岳信仰を結び付ける土地です。勝道上人の山岳信仰と、徳一上人の山岳信仰が、鯨という地名でつながるのはとても興味深いです。

石岡の鯨岡についてもいずれ調査に行きたいと考えています。

« ビックニープリキoア 第9話~第20話 | トップページ | 筑波山周辺の鯨 »

鯨の謎」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ビックニープリキoア 第9話~第20話 | トップページ | 筑波山周辺の鯨 »